3-3
「星?」
「そう、星」
夜、俺はベッドに寝転がって異世界にいる愛花へと連絡する。
「たとえば異世界は異星という可能性もあるんじゃないかと思ってさ」
「宇宙かぁ。たしかにこっちの世界でも夜には星が見えるよ。それって空の向こうには宇宙があるってことだもんね」
「だから地球と愛花のいる星との距離がわかれば、愛花が魔法でこっちまで飛んでくることができるんじゃないかと思ってさ」
こっちからロケットで迎えに行くのは現実的じゃない。
自分が宇宙飛行士になれるとも思えないので、やはり最後は魔法に頼ることになる。
「そんな魔法あるのかな? 宇宙に行ったって人は聞かないけど」
「ワープできるって言ってたじゃん」
俺が入院していた頃、一度見せてもらったことがある。
「あれは短い距離しか試したことないもん」
「じゃあ魔法に詳しそうな人に訊いといてくれ」
「わかった。訊くならカルハさんかな。偉い魔法使いさんだし」
俺のそっくりさんは、愛花の話に登場する頻度が高い。
異世界の俺も愛花を気にかけているようだ。
それはあんまり面白くない話だけど、それを口に出すのも情けないので別のことを尋ねる。
「そっちの調子はどうだった。なにか手がかりになりそうなものは見つかったか?」
「蓄音機を発明したおかげで、お城の中にある立派な図書室にも入れるようになったんだけどあんまり資料は見つからないかな。国の歴史とか、そういう本ばっかり」
「まぁ別世界へ行く方法なんかが書いてあるわけないよな」
せめて過去に他の世界と接触した、というようなことでもあればいいんだけど望みは薄そうだ。
「なら愛花は引き続き、魔法でのアプローチと、ついでに天体についても調べてみてくれ」
「うん、明日またお城の本を調べてみるね」
「ああ、頼んだ。こっちでも天体について調べておくからさ」
「ゲンちゃん、今日はなんだかいつもより元気だね。いいことでもあったの?」
「いや、特には。そもそも俺はいつも元気だよ」
変わったことなんて久しぶりに学校へ行ったことくらいだ。
そして俺は学校に行って元気になるほど、授業や校舎が好きなわけではない。
だから愛花の勘違いに違いなかった。
***
翌朝も委員長……じゃなくて、飯田さんは我が家まで迎えに来てくれた。
さすがにもうサボるつもりはなかったが、そうは言っても信用はないだろう。
両親、特に母親は片目になった俺が一人で外を歩くのを嫌がるため、飯田さんが迎えに来てくれるのを喜んでいる。
ケガをしてから初めて気づいたけど、うちの母は過保護な人だったらしい。
それから毎日飯田さんが迎えに来る、学校に行く、という日々を繰り返した。
教室できちんと授業を受け、一週間分の学力的空白をなんとか埋めようとしている間に目まぐるしく日付は過ぎていく。
そうしてあっという間に数日が過ぎて、約束の土曜日がやってきた。
天気は良い。
暑くもなく、寒くもなく、ちょうどいい日だ。
毎日こうなら学校にも通いやすいだろう。
約束の時間に駅前へ向かうと、そこにはすでに飯田さんが待っていた。
「こんにちは。時間通りですね」
「早いね、飯田さん」
「私も五分前に来たところです」
なんの変哲もないやりとりなのに、なんだかむず痒い。
普段は意識しない、心臓の裏側あたりがぞわぞわとした。
「そういえば、今日はメガネしてないね」
俺が自分の目の当たりを指して示すと、飯田さんは顔をそらした。
「ちょっとメガネの調子が悪かったので、今日はコンタクトレンズを使ってます」
「メガネにも調子が悪い日ってあるんだ」
「ええ、まぁ。メガネがないと変ですか?」
「いや、そんなことはないよ。ちょっと印象が違って見えたから、びっくりしただけ」
「なら良かったです」
なにが良かったのかわからないが、飯田さんが言うのだからそうなのだろう。
「それでは行きましょうか」
「はい、よろしくお願いします」
自然と頭を下げてしまう。
飯田さんが踵を返すと、いつもよりも長い丈のスカートが翻った。
そういえば飯田さんの私服姿を見るのは初めてだ。
変な話だけど、相手が女子であることを再認識させられた気がする。
休日に愛花以外の誰かと二人で出かけるのはいつ以来だろう。
まして相手が女子となると、ほぼ経験がないのではないだろうか。
そう考えると貴重な経験だ。
もちろん飯田さんは俺の勉強に協力してくれているため、浮つくのは失礼にあたる。
気をつけていこう。
「授業の遅れは取り戻せましたか?」
「まぁそこそこには」
電車で揺られながら、俺は隣に座っている飯田さんに答える。
休日だが二人で並んで座れるくらいには空いている車両だった。
「次のテストでも、平均点くらいは狙えるんじゃないかな」
「志が低いですね。進路は決めてないんですか?」
「うん。将来の目標とか進路みたいなものってあんまり考えたことないし」
なんとなく大学進学はするんだろうとは思っている。
でも受験なんて一年以上も先のことだ。
熱心な先生は今くらいから受験勉強は始まっていると言うが、そんな先のことまでは考えられない。
明日もしれない我が身だ。
未来のために準備したところで、今日くたばってしまうかもしれない。
以前は半ば冗談まじりに考えてきたことだが、左目を失ってからは実感が伴っている。
だからといって刹那的に生きられるほど思いきりが良い人間でもないので、毎日が中途半端な感じだ。
「進路が決まっていないならなおさら成績は良くしておくべきです。選択肢は多くて困ることはありません」
「人間の可能性とは、その人になにができるかではなく、なにができないかで決まるっていう意見もあるよ」
「誰の言葉ですか?」
「昔観た映画のセリフ。タイトルは忘れたけど」
引用も正しいかどうかはわからない。
けど妙に印象に残っている言葉だ。
「それならできないことを見定めるために、知識を深めるのはいいことだと思いますよ」
「そう言う飯田さんは、もう進路は決まってるの? 将来の夢とか」
「それを決めるために、とりあえず大学には行くつもりです。さいわい両親も同意してくれていますので」
「俺は親とそういう話をしたことないなぁ」
だけど、考えなくてはいけないことだろう。
異世界で暮らす愛花は、アイドルとしての地位を手に入れた。
その上で今は現実世界へ戻ろうとしている。
俺もまた現実でなにかを得るために行動しなくてはならない。
それが失った幼馴染を取り戻すことなのか、他のことなのかはまだわからないけど。
とりあえず今のところは異世界との距離を測るために天文学を勉強したいかな。
のどかな休日には似つかわしくないお固い話をしているうちに、電車は目的の駅にたどり着いた。
「こっちです」
よどみなく案内してくれる飯田さんにしたがって歩くこと五分程度で、あっさりと目的の建物に到着する。
このビルの一部がプラネタリウムになっているらしい。
「よし、早速チケットを買いに行こう」
「もう予約してあります」
「さすがだね」
まったく俺が手出しする余地がない。
四千円のチケット代を半分ずつ出して、飯田さんが支払いを済ませてくれる。
今日の俺は完全にエスコートされていた。
今でも十分ダメ人間の自覚があるのに、飯田さんが面倒を見てくれるおかげでどんどんダメになっていってしまいそうである。
「上映までもう少し時間はありますが、中に入っておきますか?」
「そうだね。どういう構造なのか気になるし」
「わかりました。では展示は帰りに見ることにしましょう」
チケットを手渡して劇場に入る仕組みは、まるで映画館を思わせる。
劇場はドーム型になっていて、天井が高くて広い。
長い間、病室の狭い天井を眺めていた経験があるので、天井については一家言あるのだ。
将来は天井を批評する職業に就くのもいいかもしれない。
そんな仕事があるとすれば、だけど。
「おぉ、リクライニングシートになってるのか」
劇場の中も映画館のような設備だが、スクリーンはそれよりも高いところにある。夜空を見上げるような格好にするためだろう。
そのため並んでいる座席はすべて、背もたれを深く倒すことのできるものだった。
「こっちですよ」
先導する飯田さんについて、どんどん前へと進んでいく。
映画館だと前列は首が痛くなる代わりに臨場感が楽しめるが、プラネタリウムでもそんな感じなんだろうか。
ちなみに俺は映画館だと無難に真ん中あたりを選ぶ。
映画館ではスクリーンとの距離よりも、音響のほうが大切だ。
サラウンドがもっとも効果的に聴こえるのは劇場の中心くらいなんじゃないかな、と思っている。
「ここです」
ぼやぼやと他のことを考えているうちに、飯田さんが予約してくれていた座席についたようだ。
「え、ここ?」
しかしそこは席というよりかはなんだか丸いベッドのようになっている。
大きさは家のベッドよりも大きく、二人の人間が楽に寝転がることができそうだ。
背もたれのようなものはあるが、それはもたれるためというよりかは周囲の視線を遮るためのもののように見える。
「ここに座るの?」
「どちらかというと寝転ぶような形になりますね。そのほうが見やすいかと思いまして」
「たしかにいい席なんだろうけど」
星を見上げる、という観点で言えば寝転がってしまうのは最適だ。
草原で仰向けになって星やオーロラを眺めるシーンは映画でもよく見る。
しかしどうだろう。
座席と言われたベッドには真ん中に衝立のようなものはない。
大きなものとはいえ、これに女子と二人で寝転がるのは色々と問題があるのではないだろうか。
思わず周囲を見回す。
同じタイプの席にはカップルとおぼしき男女が仲睦まじく寝転んでいる。
他には女性同士のお客さんもいるようだ。
「ひざ掛け、使いますか?」
俺が戸惑っている間に飯田さんはすでに腰掛けてしまっている。
しかもシートのそばにあるひざ掛けにまで手を伸ばしていた。
たしかに冷房はよくきいているが、今はそれよりも大事なことがあるだろう。
それとも女子はこういうことに抵抗がないのだろうか。
あるいは、飯田さんの警戒心が薄いのだろうか。
俺が変に意識しすぎているだけという可能性もある。
うーむ、と考えてみるが結論が出る前に疲れた。
飯田さんが良いと言うのだから良いのだろう。
「そんなに寒くないからひざ掛けはいいよ」
俺は飯田さんの隣に腰をおろし、そのまま後ろに倒れる。
すると視界がスクリーンでいっぱいになった。
上映が始まったら、さぞいい景色が見えることだろう。
「面白い座席だね」
「そうですね。小学生の頃はありませんでした」
そう言いながら隣に飯田さんが寝転ぶ。
お互い仰向けになっているため姿は見えないが、距離が近いため存在は感じる。
俺の右足、右手、右頬など身体の右側は落ち着きなく近くにいる飯田さんの存在を絶えず脳に伝えてきていた。
どこか気持ちが落ち着くいい匂いがする。
それがスクリーン自体の設備なのか、他のどこかから発しているものなのかはわからない。
世の中にはわからないことが満ちている。
そのたびに考えるのは大変だ。
ほどほどに考えないということも大切なことだろう。
そういえば飯田さんはいつも俺の右側にいてくれる。
その意味はわざわざ考えなくてもよくわかった。
「なんだか眠ってしまいそうですね」
慣れない冗談でも口にするように、飯田さんの声は笑みを含んでいる。
「俺も」
冗談で同意したつもりだったが、あたりが薄暗いのも手伝って本当に眠気が押し寄せてきた。
目を閉じてしまいそうになったとき、異世界のことを思い出した。
俺はそこにいる愛花のために星を学びに来たのだ。
だけど、今だけは一旦そのことを忘れて、純粋にこの場を楽しもうと思う。
それが多分、正しいことなんだと勝手に判断して、俺は目を閉じるのをやめた。
現実を見つめる俺の右目には、まもなく星空が映る予定だ。
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