2-3
散策を再開した俺は次の目的地であるコンビニへ向かうが、店内に入る前に目薬をさしておくことにする。
これで多少は義眼による違和感が薄れるのだ。
そういえば、片目になって困ることがもう一つある。
目薬の狙いが定まらないことだ。
以前は開いているほうの目に、狙いを定めて点眼していた。
だが今は左側のまぶたは開けていても見えない。
すると右目で照準を合わせる必要があるのだが、これはどうしてもずれる。
三度ほど失敗しながらも、なんとか義眼に目薬を落とす。
狙いを外し、顔を濡らした目薬はティッシュで拭ってからコンビニの店内に入った。
雑誌コーナーで立ち止まってから、右目を閉じて携帯電話を取り出し耳に当てる。
「コンビニについたぞ」
異世界の景色は窓の外を映している。
どうやら愛花もベッドから起き上がったようだ。
「おー、なんだかエアコンが涼しい気がする」
「それは気のせいだ。感覚まではつながってない」
「そういえばあの漫画の単行本ってもう出てたっけ? ほら、ゲンちゃんの部屋にあった刀で戦うやつ」
「いきなりコンビニじゃなくても良さそうなことを言うなよ」
「雑誌コーナーだったからつい。じゃあアイス買ってよ」
「別にいいけどアイスを買ったって、愛花は食べられないだろ」
「それでもいいの」
「はいはい、わかったよ」
どうも愛花の考えていることはよくわからなかった。
委員長の言動も含め、異性の考えが読めない俺が未熟なんだろうか。
それとも、他人の考えはわからない、人と人とは真にわかりあうことはできないのだ、という人生における壮大な疑問に直面しているのだろうか。
どっちでも現状は変わらないけど。
コンビニの冷凍庫から適当なアイスを一つ取り出し、レジで会計を済ませる。
店を出てすぐゴミ箱に包装を捨てながら、俺は左目の前にアイスバーをかざした。
「買ったよ」
右目を閉じて報告する。反応はすぐにあった。
「おぉ、冷気が見える! 太陽が反射してアイスが眩しい! 輝いてる!」
「なんだその妙なテンション」
「ねぇ、何味?」
「ソーダ味。お財布に優しいお値段のやつ」
「それおいしいよね。あたしも好き」
「知ってるよ」
応答しながらアイスを一口かじる。
照りつける日差しで汗ばんだ身体が口の中から冷やされる。
ちょっと涼しい。
「それで、次はどこに行く?」
「うーんとね、じゃあパンダの公園がいい」
「了解」
アイスを食べながら歩き出す。
愛花の言う「パンダの公園」は家の近所にあるさびれた公園だ。
俺たちが子どもの頃に何度も遊んだ場所だが、数年前近くに別の大きな公園ができてからはすっかり人気がなくなってしまった。
愛花が「パンダの公園」と呼ぶのはそこにある遊具がパンダに見えるからだ。
実際には塗装の剥がれたクマの遊具だと思うのだが、うまい具合にパンダに見えなくもない。
案の定、パンダの公園には今日も誰もいなかった。
ボール遊びをするには狭く、遊具が邪魔だ。
だからゲートボールをするお年寄りだってここは使わない。
町中にぽかんと空いた穴のように、パンダの公園の周辺には誰もいなかった。
俺はブランコに腰掛けて甘いアイスを食べ進める。
さびれた公園では、高校生がブランコを揺らしても見咎められることもない。
これは数少ない利点だろう。
味覚も嗅覚も、異世界には届かない。
だから愛花が自然豊かな場所にいても、そのにおいや手触りが愛花を通して俺に伝わってくることはない。
そのため今右目を閉じると、アイスと同じ甘い匂いのする異世界が見えてくる。
「公園についたぞ」
「おぉ、変わんないねここ」
「そうだな。久しぶりに来たけど、懐かしいという感じもしない」
公園が小さくなったように感じるのは、俺が成長したというだけのことだ。
一方、俺が移動している間に異世界の愛花も外へ出たようで、いつか鏡代わりに使っていた川と共に雄大な草原が見えた。
「いいよな、異世界」
思わず感想が漏れる。
あんな景色をこっちで見ようと思ったら、旅費にいくらかかることか。
それが異世界ならどうだ。
魔法や徒歩で移動できる。お金だって稼ぐ方法が現実とは異なるはずだ。
「俺がそっちに行ってたら、冒険者になって世界中を旅して暮らしたのにな」
海、砂漠、雪山。
そういう場所を剣と魔法で切り開いていく、なんてことが実際にできるなんてまさに夢のようだ。
つくづく、なぜ俺のほうが異世界へ行けなかったのかが悔やまれる。
愛花のほうを現実に残すことができればよかったのに。
またアイスをかじる。
甘さと冷たさが舌の上で溶けて喉に流れ込み、不快なくらいに上がりきった体温を一時的に冷やしてくれた。
愛花はどうも話を聞いていないようで、返事はない。
「うー!」
代わりになぜか唸っていた。
「なんだ、どうかしたのか?」
「ずるい!」
耐えかねたように愛花は突然大きな声をあげた。
それと同時に異世界を映す視界も大きく揺れる。
ジタバタしているのだろう。
「なんの話だよ」
「ゲンちゃんばっかり、アイス食べてずるい!」
「いや、そんなこと言われても」
「こっちにはコンビニもないんだよ? アイスも、お菓子も!」
「そりゃ異世界だし仕方ないというか……」
愛花から伝え聞いた情報と左目から見える景色で判断すると、異世界はいわゆる「剣と魔法のファンタジー」といった雰囲気だ。
もしファンタジー映画を撮影することができれば映像効果は必要ないだろう。
そんなところにポツンとコンビニが建っていたり、アイスを生産するための工場があるというのは考えにくい。
「携帯電話もゲームもテレビもないんだよ! 音楽だって気軽に聞けないし、そもそもアイドルもいないし!」
「うん、わかるけど」
「それにトイレだって水が流れるやつじゃないし、虫とか怖い動物とかドラゴンみたいのだっているし!」
どうやら俺の左目を通して元の世界に触れたせいで、里心がついてしまったようだ。
知らぬ間に積もっていた不満は一度溢れ出すと止まらない。
「周りのみんなだって、顔や声はたしかにクラスの人や家族に似てるけどさ、着ている服とか態度が違うもん。それに思い出だって違ってる。優しくしてくれるし、友達にはなれるかもしれないけどやっぱり別人だよ」
「で、でもさ」
このままでは愛花が異世界を好きになれないままだ。
なんとかフォローしなければ。
「魔法を使えるんだろう。この前見せてくれたやつ、すごく強力だった」
入院生活の間に見せてもらった光景の一つだ。
異世界なら魔法が使えるんじゃないか、と尋ねたらいくつか見せてくれた。
「ワープだっけ? 瞬間移動ができれば乗り物酔いも遅刻もなくなるしさ」
「それはそうだけど……」
「それに炎とか雷とか操ってたよな。ああいうのを使えば、そこらにいる獣やドラゴンなんて怖くないだろ」
「ゲンちゃんの言うとおり、魔法は使えるよ。でもだからって生き物を殺すのはイヤ。だって怖いもん」
「襲ってくる相手でも?」
「うん。どうせ魔法を使うなら逃げるほうで使うよ」
「そういうものか」
たしかに俺たちは殺生に慣れていない。
町で野犬を見かけることはないし、まして襲われた経験もない。
それに愛花は瞬間移動の魔法が使える。
逃げる手段があるのに、わざわざ相手を殺してまで脅威を排除しようとは考えないだろう。
「困ったな」
薄々わかっていたことではあるが、あらためて思い知る。
愛花は異世界を満喫できてない。
しかし、それは不思議なことでもないだろう。
異世界へ行ったからって人格が変わるわけじゃない。
こっちの世界で臆病だった愛花が異世界へ行ったからって突然勇敢になれるはずもなかった。
もちろん人見知りが改善されるわけでも、殺生が得意になるわけでもない。
むしろ俺たちが過ごしてきたのんびりとした日々は冒険者とは対極の位置にある。
俺はちょっと簡単に考えすぎていたらしい。
異世界へ行けば、襲ってくる敵をなぎ倒せばそれでいいと思っていた。
力があれば自由気ままに暮らせるだろうと。
でも愛花にとって異世界はすでにリアリティのある現実だ。
見ているだけの俺とは違い、魔法を振るえば焦げたにおいも熱風も感じ取れてしまう。
相手が獣だろうと魔物だろうと、血の通った相手に対してそんなものをぶつけられないという気持ちはわからないわけでもない。
「わかった。じゃあ作ろう」
「作るってなにを?」
「愛花が欲しいと思うもの全部。前にも言っただろ。俺が異世界での暮らしをサポートするって」
欲しいものがあるときは、誰かが作ってくれるのを待っていても始まらない。
自分で作るのがもっとも手っ取り早いのだ。
「え、でもあたしコンビニを使いたいけど、コンビニで働きたいわけじゃないよ?」
「それはわかっている」
欲しいものを作る、と言ってもコンビニを利用することと経営することでは意味が大きく違うだろう。
俺も映画が好きだが、それはあくまで観客としての好きであって、映画を撮影したいと思っているわけではない。
そういう違いだ。
「とりあえず愛花の生活向上のために、今後の方針を練るか。そのためにもまずは」
「おぉ、まずは?」
「炎天下の公園から家に帰る」
「なにそれ」
拍子抜けした様子の愛花には悪いが、とても暑いのだ。
冷房のきいた場所でないと考えごとなんてとてもできない。
右目を開け、溶けかけたアイスを口に押し込むと、自宅を目指して歩き出した。
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