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 高校生になって二度目の夏休みだった。


 八月のうだるように暑いその日、俺は学校に行っていた。

 理由は夏季補習でも部活動でもなく、文化祭準備のためだ。


 うちの学校は九月におこなわれる文化祭に力を入れていて、生徒たるもの夏休み返上で準備に明け暮れるのは当たり前、という風潮がある。

 そういう扱いなら冷房をきかせてくれてもいいと思うのだけど、授業中にもめったにつかないものが夏休みに動かしてもらえるはずもない。


 暑い。


 ちなみに出し物はお化け屋敷である。

 うちのクラスの士気はそれなりに高い。

 隣のクラスなんて夏休み中は数人しか来ているのを見かけないが、うちはほぼ全員来ている。


 もちろん最優秀賞を取ったところで賞金は出ない。

 手に入るのは名誉のみだ。

 そのほうが燃えるタイプが多いクラスなのである。


 とにかく暑い。


 そのときの俺は、作業中急遽足りなくなった材料を買うためにホームセンターへの買い出しに出かけていた。


 教室も暑いのだから、買い出しに出かけたほうがまだマシだ。

 道中は地獄だが、店内には冷房がきいている。



「おばけってさ」



 隣を歩く御堂みどう愛花あいかはいつものおっとりとした口調で言う。



「なんで人をびっくりさせるんだろうね」



 愛花も買い出し担当、というか荷物持ち兼話し相手が欲しくて俺が誘った。

 荷物持ちとしては不十分だが、話し相手としては大活躍である。



「ね、ゲンちゃん。不思議だと思わない?」



 愛花はガムテープの入った袋を前後に揺らしながら、首をかしげる。



「びっくりさせると、なにかいいことでもあるのかな」


「さぁな。そもそも向こうが驚かそうとしているとは限らないぞ。暗いところで遭遇することが多いから、こっちが勝手に怖く感じている可能性もある」



 俺のことをゲンちゃんと呼ぶのは、愛花だけだ。

 子どもの頃からの呼び方を、高校生になった今でも続けていて、正直恥ずかしいと感じることもある。

 が、このぼんやりした幼馴染に今さら「奥野くん」とか呼んでほしいと頼んでも無理だと思うので訂正はしない。



「暗がりで急に現れたりしたら、それがどんなにかわいい小動物でも俺はびっくりする自信がある」


「じゃあ飛び出したのがあたしでもびっくりしてくれる?」


「小動物でもびっくりするって言ってるだろ。百五十センチの人影なら腰を抜かすよ」


「ゲンちゃん、ホラー苦手だもんね」


「苦手なんじゃない。金と時間をかけて、わざわざ恐ろしい目に遭いたくないだけだ」


「わかってないなぁ、日常にはスリルも必要なんだよ」



 のんびりとしたウサギみたいな愛花が、スリルなどと言っても説得力に欠ける。



「スリルと言えば、この前一緒に観た映画もスリル満点だったね」


「あれはアクション映画でホラーとはスリルの毛色が違う。それに愛花は途中で寝てた」


「そういえばそうだったね。あれって、最後どうなったの?」


「最後だけ聞いても面白くないだろ」


「そんなことないよ。最初の方は覚えてるし。主人公が突然バーンってなって、それで知らない世界に行っちゃった、みたいな話だったよね」


「フワフワしてるな」


「だって話が難しかったんだもん。主人公っぽい人、映画が始まってすぐ事故で死んじゃったかと思ったらそうじゃなかったし」


「あれは現実世界で死んで、異世界に転生したんだよ」


「そうそう。でもそこが難しいんだよね」


「異世界に行く話は昔から結構あるし、映画でもアニメでもわりと王道だろ」


「そうなんだ。魔女っ子のアニメとかも、魔法の国と現実世界があって行き来するもんね。あの映画もそういう感じなの?」


「いや、うーん……」



 どう考えても同じではないのだけれど、愛花の理解を促すためには否定しないほうがいいのかもしれない。



「あの映画はさ――」



 そして俺は映画のあらすじを口頭で説明する。

 話しているうちに、いい映画だったなと思い返すが、気づくと愛花は雲を見上げていた。



「聞いてるのかよ」


「え? ううん、聞いてなかった。ね、それより今日はすっごくいい天気だね。あの雲なんか、絵に描いたみたいにモクモクしてるよ」


「あのなぁ……」



 子どもみたいな言動に呆れてしまうが、しかしこれが愛花だ。


 今だって汗で制服のシャツが透けているのも気にしていない。

 こういう姿を見ると愛花は女子であることどころか、時々高校生であることすら忘れているんじゃないかと思う。


 子どもの頃から変わらない。


 良く言えば天真爛漫だが、俺は愛花のことがいつも心配になる。



「愛花はバカだなぁ」


「えへへ、知ってる」



 俺が愛花をバカ呼ばわりすると、なぜか愛花は褒められたみたいに笑う。

 ある種、お決まりのやりとりだ。



「そうだ、ゲンちゃん。これ、聴いてみる?」



 愛花はポケットからピンク色の携帯音楽プレーヤーを取り出す。


 話題があっちこっちへ飛ぶのも愛花の特性の一つだ。

 もう映画にも雲にも興味をなくしたらしい。



「いつものアイドルソングか?」


「新曲だよー、今度のはきっとゲンちゃんも好きになると思うの!」


「俺はロック以外音楽とは認めないぜ」


「またそんな適当なこと言って」



 束ねていたイヤホンを伸ばしながら、愛花は唇をとがらせる。


 正直に言うと俺は音楽全般にあまり詳しくない。

 ロックもほとんど聞かない。

 映画のサントラを時々買うくらいだ。


 そんな俺とは対象的に愛花はアイドルのファンで新曲を出すたびに購入している。

 特に好きなのは歌って踊る女性アイドルグループだ。

 そして新曲が発売されるたびに、俺へとすすめてくる。


 好きなものを広く布教したいというのは誰にでもある欲求だ。


 俺だって普段は一人で映画を観に行くが、気に入った映画の二回目以降は愛花を誘うことも少なくない。

 持ちつ持たれつの関係というやつだろう。


 そんなわけでイヤホンを片耳にだけ入れる。

 シャカシャカと流れ出すのは、軽快な音楽だ。



「これも踊る曲?」


「そう! 今、練習してるの。覚えたら見せてあげるね」


「そりゃ楽しみだ」



 学校の成績はあまり良くない愛花だが、ダンスの振付や歌詞はすぐに覚える。

 部活にも所属しておらず、アイドル好きの仲間もいない愛花が覚えたダンスを披露する相手は決まって俺だ。


 しかし俺は、そもそもアイドルのほうの踊りを見たことがないので、愛花の完成度がどの程度なのかはいつも判断できない。

 愛花が満足しているので別にいいんだけど。



「ゲンちゃんって、男の子なのにアイドルとか興味ないよね」


「男だからってみんなアイドル好きってわけじゃないだろう」



 綺麗な人を見るのなら、映画に出てくる女優を眺めるだけで十分だ。

 笑顔以外にも様々な表情を見ることができる。

 俺が生まれる前にこの世を去った人も、フィルムの中では永遠の存在だ。



「それを言うなら、愛花のほうこそ女子なのに女性アイドルグループが好きって珍しいんじゃないか?」


「わかってないなぁ。アイドルを好きになるのに、性別なんて関係ないんだよ!」


「お前が先に性別を持ち出したんだよ」


「ステキな衣装を着て、歌って踊るアイドルはかわいくてかっこいい。見ている人たちに元気をくれる。そこには年齢も性別も関係ないの。いいよね、憧れちゃうよね」


「よねって言われても」


 愛花は「はぁー」と恋する乙女のようなため息を吐く。

 が、その目が信号の向こうのコンビニを捉えた瞬間、また表情が変わった。



「ねぇねぇ、ゲンちゃん。あそこのコンビニでアイス買おうよ」



 また話題が切り替わる。


 俺の耳元で歌うアイドルはラストのサビを元気よく歌い上げているが、今はもう愛花の意識にはないのだろう。



「暑いし、あのパキッって二つに分けられるやつ食べたい」


「好きなアイスの名前くらいは覚えとけよ」


「ねー、いいでしょ、片方あげるから」


「そんなこと言って、また途中で俺の分も食べるんだろ」


「今日は取らない。ほんと、ほんと」



 すがりついてくる愛花の手を交わしながら、思わず笑ってしまう。


 これが俺と愛花の日常だ。

 ちょっと間の抜けているが、愛嬌のある幼馴染と過ごす長い時間。


 そこにはスリルなんてない。

 アイドルが放つという輝きもない。

 およそ退屈と言ってもいい穏やかさだ。


 俺は愛花と一緒にいると、周囲の時間がゆっくりと流れるような錯覚に陥る。そしてその時間が嫌いじゃなかった。


 でも、そのことを愛花に悟られるのは気恥ずかしい。



「仕方ないな」



 だからアイスを食べようと誘われたら、渋々といったポーズを取ってしまう。



「やったー、アイス、アイス!」


「あんまりはしゃぐなよ」



 ちょうど信号が青に変わる。

 俺たちは並んで信号を渡ろうとした。


 そこで記憶は途切れている。


 だけどたしかに、イヤホンの中のアイドルたちはまだ歌っていた。

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