俺が転生するんじゃないのかよ

北斗七階

一章 義眼で見える異世界

1-1

 音のない夢を見た。


 色はあるが、妙に立体感のない映像だ。


 夢の中で俺は、緑豊かな草原を見回している。

 余裕たっぷり、という感じではなく怯える小動物のように落ち着きがない。


 足元はおぼつかなく、フラフラとしていた。

 もしかしたら具合が悪いのかもしれない。


 夢の中で体調不良というのもよくわからない話だ。

 もっと良い夢を見ればいいのに、と自分でそう思う。


 およそ現実感のない光景だった。


 空には太陽が二つあり、青空なのにオーロラのようなものがウネウネと光っている。

 遠くには高層ビルのように太く背の高い大樹が不気味なくらい規則正しく整列していて、車や飛行機のような鉄とエンジンの気配は微塵もない。


 夢であるせいか、においもしなかった。


 だから「空気がおいしい」みたいな感想は浮かびようがなかったし、視界が忙しなく動くのでじっくりとなにかを観察するのもままならない。


 そんな夢を見た。


 音もにおいもなかったが、色だけはあったと思う。



***



 目を開けると、看護師さんがいた。


 俺の部屋になんで看護師さんが来ているのだろう、と混乱したがどうやらここは我が家ではないらしい。


 寝ているベッドの感触が普段とは違う。

 指先に清潔なシーツのキシキシとした感触がある。

 自分の布団はもっとくたびれているはずだ。


 天井も違うし、身体も妙に動かしづらい。

 きっと包帯かなにかのせいだろう。


 なによりそれらが非常に見づらい。

 頭にも包帯は巻かれているようで、それが視界の一部を塞いでいるようだ。



「奥野さん、聞こえますか」



 看護師さんがはっきりとした聞き取りやすい声で話しかけてくる。

 まるで意識を確認されているようだ。


 目が覚めたばかりの頭はまだぼんやりとしていて、夢と現実の境界すら曖昧だ。

 一気に状況を把握することができない。


 よし、順を追って考えてみることにしよう。


 状況から判断すると、ここは病室で間違いないようだ。

 それで看護師さんの存在にも、見慣れない景色にも、身体の不自由さにも説明がつく。


 説明がつかないのは、いつどのような理由で俺が病室に運び込まれたのかということだ。


 記憶にあるかぎり、入院が必要になるような病気や怪我を経験したことはない。

 長く病院で過ごしたのはせいぜい新生児だったときくらいだろう。


 これで事情を整理できたはずだが、まだ把握できない。

 そのせいで意識確認をされるなんて貴重な体験だな、という感情が一番強かった。


 しかしそんなことを口に出すより先に不便なことを訴える。



「前が見にくいんですけど、顔の包帯を取ってもらえませんか」



 看護師さんに負けないくらいハキハキとしゃべったつもりだったが、声はかすれていて、滑舌も悪い。

 自分の声とは信じられないくらいだ。


 言葉だけで伝わったのかどうか不安になったため、手を動かして顔の左側をなんとなく指し示しておく。

 どうも包帯による過剰梱包は左側のほうがひどいようで、そちら側が見えにくくて仕方がなかった。


 すると俺の右側に立っている看護師さんが少し困ったような顔をする。

 そして「先生を呼んできますから、待っててくださいね」と言っていなくなってしまった。


 俺はまだ混乱していた。

 けれど医師が現れればそれも落ち着くだろうと、そう信じていた。


 結論から言うと、俺の左目はなくなっていたのである。


 まぶたが腫れて見えづらいとか、包帯に塞がれているとかではなく、そもそも眼球自体がなくなっていたのだ。


 想像もしていなかった事実に、すっかり目覚めたはずの頭がついていかない。


 両親と一緒に医師からそう説明を受けたとき、俺はなんと言うこともできなかった。

 むしろ父や母のほうがショックを受けていたように思う。


 当事者の俺が冷静に振る舞うことができたのは現実感がないせいだろう。


 いきなり「君の左目はなくなった」と言われたところで、そうですかと納得することも、ウソだと嘆くこともうまくいかない。

 せいぜい別れの言葉もなしに去ってしまうとは薄情な眼球だな、という感想しか思い浮かばなかった。


 とにかく、さっきまで見ていた夢とは別方向で現実感がない。


 なので今後の治療についてなど色々と説明されたが、頭に入ってこなかった。

 とりあえずもうしばらくは入院生活が続くということだけはなんとか飲み込んだ。


 病室に戻ったあとも両親は色々と話しかけてきた。

 事故のこと、俺の身体以外の被害についてなど。

 内容は様々だったけれど、ほとんど理解できていない。


 ぼんやりとしていると、あっという間に日が暮れて、夜が更けていった。


 深夜、一人になった病室では話しかけてくる人も、話しかける相手もいない。

 他にやるべきこともないので、俺はこれまでの経緯をできるだけ思い出すことにする。


 なぜ左目を失くしてしまったのか。


 そして、俺が他にどんなものを失ってしまったのかを。

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