第10話 ヨネタヒロキ4
リサイクル工場は家からだいぶ遠い。昨日までいた組立工場は渋滞に巻き込まれながら三十分だ。それでもきつかったのが一時間十分に伸びた。才能任せに辞めちまえばいいのになぜかアサミヤというブランドに引っかかるものがあった。才能に目覚めてから俺は家具について何も知らないことに気がついた。ようは勉強不足だ。カメラマンになりたかった事を悪くは思わないが、そのおかげで変にフィルターが出来てしまっていた。こんな事になってもアサミヤにいれば情報は入ってくる。
放り出される前に給料をもらいながら少しでも学べればとも思いしばらく耐えることにしたのだ。
まったく高倉のおかげで家具のデザインと向き合う時間が減った。思いつくイメージは溢れているのにどうにも出来ない、当面の計画に狂いが出たけど仕方ないか、深海にでも叩き込まれたみたいに愚痴という泡がおれのまわりで漂っていた。
そんな気分のままリサイクル工場の敷地に入る。
新しい工場と聞いていたわりには恐ろしく汚れた建物が視界に入る。ベージュの壁はペンキがはげコンクリートは欠け落ちて剥き出しの鉄骨が所々錆びついていた。別会社のロゴを無理矢理はがした跡がくっきりと見て取れアサミヤが救世主のごとく安く買い叩いたのがみえみえだ。新しいというのは新しく買い取ったという事か。
そんな会社の駐車場にはどう見ても中古で買った低価格の高級車が止まっていた。
今時、真っ黒なガラスにアーティストのステッカーが貼ってあるものまで、オリジナルにカスタマイズされたVIPカーと呼ばれるヤンキー仕様の車が何台か目に付く。
従業員のカテゴリーがすぐわかるなと思いながら事務室に急いだ。
一通りの挨拶を済ませ工場での持ち場に案内された。案内人はもちろん金髪の日本人で半そでの作業服から伸びる腕から桜をチラ見せするお洒落さんだ。吹きだまり感をたっぷり満喫できそうな職場環境に、何て所に回されたんだと悲観しても仕方がないので笑顔で歯を食いしばる。
この工場はアサミヤの家具の下取り品を使える物とそうじゃない物に餞別してリメイクにまわしたり廃棄したりする部門と、新規参入でアサミヤが始めた建設リサイクル業の部門に分かれる。俺は建設リサイクルの部門に回された。建築現場で出た廃材がトラックで運ばれてきて俺たちが分別する。はっきり言って重労働、家具の組み立てが懐かしくなるのは鉄筋の廃材を分別していると腰が悲鳴を上げ始めるからだ。デザイン室出身者は2日持たないとここのやくざみたいな主任が言っていた。俺は工場出身なので10日ぐらいはもちそうだと笑う主任の顔が悪意に満ちて高倉の顔とダブる。
せめて高倉にイッパツお見舞いしないと辞める決心もつかないのでしばらくはここで耐えるしかないかと思うが悠長にもしていられない。次の展開を考えなければどうにもならないのも事実だ。
次々運ばれてくる建築廃材の入ったかごをクレーンがひっくり返してゴミの山が出来る。
そこからベルトコンベアで流れてくるコンクリート片や鉄筋やサッシのアルミなど手作業で分別していく、午前中の作業だけで、汗と埃が交じり合った薄い膜で覆われ固められたみたいになる。きっとコンクリートの粉塵がこびりついて固まったのだ。
それでも昼休みにスケッチブックを開き鉛筆を走らせた。初日だけ同僚たちが興味深げに覗いてきたが、鼻で笑って去っていった。
さてどうしたものかと六日目の勤務が終了して帰り支度をしているときだった。
「米さん、すごい美人が面会に来てるよ」
事務室の気のいいおっさんが俺を呼びに来た。
ガテン系のギラギラした同僚連中の視線をかわしながら会議室とは名ばかりのプレハブ棟に急いだ。すごい美人で俺に面会に来る女の心当たりといえば牧田しか思いつかない、案の定プレハブ小屋の前には漆黒のメルセデスがとめてある。
何か問題でも起きたのだろうか?
俺は自分の中で起きている変化や、自分の置かれた状況について何か解決策でも教えてくれる事を期待して、会議室のドアを開けた。
「私に何か期待しても変わりませんよ、あいかわらずのチキン野郎ですか?年甲斐もなく心が折れそうですね、しかも汚くて汗臭い」
薄く笑って突き刺すような視線が心地よいと思う俺はすでに病気なのだろう。この女のもつ独特の雰囲気にすっかりやられてしまっている事に体が慣れて自覚症状まである。
「労働者を馬鹿にした発言は慎んでくれ、それより何か問題でも起きたのか?」
俺はさりげなく、とにかくさりげなく聞いた。
「そうじゃなければこんなゴミタメに来るはずありません、あなたは私に用があるみたいですけど」
やはり見抜かれているのだろう。この成す術のない状況に心より助けを求めている事に気づいてくれたのか。
「不本意ですが、あなたの力を借りなければなりません、今すぐ私と同行してください」
俺の力とは何だろう、あの美しいホールに置くソファーでもデザインする。そんなところかなと高を括る。
「勘違いしないでください、あなた自身に期待しているわけではありませんから、あなたに譲渡した才能に力を借りたいんです」
牧田も素直じゃない結局それは俺の力だろう。
「わかったが、こちらも頼みがある。あんたの事だからわかっているだろうけど」
一瞬、牧田の目が肉食動物のように見開かれ俺を睨んだがすぐに伏目がちに頷いた。
俺も窮地なのには変わりないので借りられる手は遠慮などしない。
「一度家に帰る時間……無いよな」
牧田の表情で悟った俺は妻に電話してから工場を出た。
車は牧田の部下が家に届けてくれるらしいので放置だ。
俺の記憶が確かなら今は九月、街中はまだまだ夏の気分が抜けきらずにいるはずだよな? といささか不安になる。
俺だって作業服から着替えたとはいえ柄の悪い半そでシャツを着ている。
しかし暖房のしっかりと効いた車内から窓の外を見ると紅葉を通り越してすでに雪景色、山道とはいえ、距離を考えるとたいした標高には来ていないはず。どうなっちまったのか見当もつかなかった。
はじめてつれて来られた時は気づかなかったが、どうも一般的な山道とは雰囲気が違うというか、舗装されてはいるが、ここの施設のゲートを通り抜けてから様子が一変した気がする。牧田はさっきからひどい表情でこの雪を眺めてだまりこんでしまった。
牧田が雨は不吉と言っていたのを思い出して、雪になったら不吉を通り越して何になるんだと思った。確かにただ事ではないようだ。この車さっきからコーナーを曲がるたび若干スリップしているような……ガードレールを突き抜けたら……そんなおぞましい考えがよぎる。
筋肉が硬直して車から降りたのは久しぶりだった。
危なっかしい運転はある種のアトラクションに似ていてスリルだけは申し分ないが二度と体験したくない。
「今日はチキン野郎とか言わないんだな」
俺の言葉をスルーして牧田は廊下を歩いていく、よほど深刻な事態ということか。
つれてこられた会議室のような所には女が一人、俺と才能を分け合った人間だと思う。
斜め向かいの椅子に腰を下ろし女を見た。ブラウスの胸元がはだけていて疲れた感じのする女だなと思ったが、俺だってずいぶんとくたびれて見えるだろう。
「当人同士が会うのはトラブルの元じゃなかったのか?」
牧田は俺の質問には緊急ですのでと答え足早に出て行った。
しばらく会議室は沈黙に包まれた。女とは微妙な距離がありお互い眼を合わせなかった。
牧田が出て行って四十分にもなる。
このぶんじゃもう一人も登場だろう。才能を売って生き延びた奴……俺はふと逃げ出したい気持ちになって思わず椅子から立ち上がった。
一瞬のけぞるように女が俺を見る。
その拍子に俺は声をかけた。
「あんた、何か聞いているか?エーと名前は聞いてもいいかな?俺は米田弘樹」
女はキタムといいかけて野瀬といいなおした。俺が不審な顔をしたのに気を使ったのか、近じか離婚するのでと付け加えた。
才能を手に入れてダンナを捨てたのかと思い、なぜか俺が惨めな気分になってため息をついて椅子に座りなおした。
「私も詳しくは聞いていないです、牧田さんはロビーの絵がどうとか言っていましたけど」
そういえば俺にも絵の質問をしてきた牧田が急に怒り出して、いや、ここの連中全員だ。
あの絵に何か関係があることだろうが、俺は絵なんて描けない。
「あ、あの、米田さんは何か才能に目覚めたんですか?」
野瀬が遠慮がちに聞いてきたのと同時に会議室のドアが開き牧田が入ってきた。
「申し訳ありませんが六時間ほど休憩に入ります、まだ何もやっていないのですが準備が遅れていますので、いったん部屋に戻ってもらうかお食事も出来ますので」
牧田の言葉に待ち疲れた俺たち二人は気が抜けてしまい同時に大きく息を吐いた。
「よかったらご飯に行きませんか、お話もしたいし」
俺はすぐに同意した。
二階のラウンジ横の小さなカフェスペースでサンドウィッチを注文した。他に人影もなく俺たちだけが席についている。カウンターにいる給仕係りも退屈そうに突っ立っている。
妻以外の女と二人きりで食事するのはいつ以来だろう。記憶がさび付くほど昔だって事は明らかだ。少し緊張するなといまさら思い始めた。
よくみると野瀬という女は結構美人だった。安っぽいスーツ姿でなければそれなりに見えるだろうと思う。
「さっきの質問だけど」
野瀬は「ハイ」と言って興味深げに俺の顔を見た。俺は家具のデザインに目覚めた事と、ひどい目にあっている事など順を追って話した。野瀬が特に興味を持ったのはカメラを好きじゃないと気づいたときの話だった。
才能がどういう状態で目覚めるのか知りたいらしい。
「私なんてまだ何も感じられないですよ、確かに見えるものの質感ははっきりしたように思います。でも何が出来るのか全然思いつかなくて」
野瀬は遠い目をしてため息を付いた。俺はそんなに焦らなくても大丈夫と根拠の無い励ましをしたが表情は暗いままだった。
「そういえば離婚するとか言っていたけど」
野瀬が辛そうな顔で俺を見たので、まずい質問だったかと反省する。
「知り合ったばかりで聞くことじゃないよな、スマン」
俺がすぐに謝った事で自分の表情に気づいたのか、すぐに作り笑顔を戻した。
「アホなダンナが浮気したんです」
野瀬は取り繕うように言った。少なくとも才能を手に入れたことでダンナを捨てたんじゃないと知ってなぜかほっとした。たまたま人生の転換期に離婚を迎えただけで悪い女ではなさそうだ。才能を分け合った仲間がひどい人間だったからといって関係はないのだが、知り合った以上は気になる。
しかし世の中にはモテる男がいるものだな、こんな美人の奥さんほっといてほかの女に走るなんて、俺にはわからんような。
まあ俺だって妻以外の女に興味がないわけじゃないか。
クソまずいサンドウィッチをコーヒーで流し込んで席を立った。野瀬はまだ話したりないようだが肉体労働で疲弊した肉体が休みたがった。
俺たちはそれぞれの部屋に戻った。
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