第9話 ノセトモコ1

 元家族の住む実家がある町から電車で二駅ほど離れた町にアパートを借りた。

 才能はうまく譲渡して頂いたようだがいまひとつピンと来ない。

 牧田恵子は「期待しています」と告げて忙しそうに戻っていった。

 ちなみにこのアパートを探してくれたのは牧田恵子で、相談したらすぐに見つけてくれた。帰る場所の無い私はかなり助かった。面倒な契約から敷金礼金まで全部負担してくれて、おまけに必要最低限の家具家電一式も揃えてくれたのだ。

 たった一日で……

「餞別ですから気になさらずに」

 牧田恵子が美しいドヤ顔で言ったのを思い出す。

 あれから二週間ほど過ぎて生活も何とか暮らしていけるぐらいには落着いたのでそろそろ悠斗を迎える準備をしないといけない。素直に引渡してくれればいいけど、そんな事を思いながら求人紙をながめていた。面倒な事案が多いけど今ある蓄えをなるべく使わないように早く仕事を見つけないといけない。

 才能があると言っても何の才能か分からない以上、当分の間食べていくのに稼がないといけないだろう。

 いっそ借金してコンビニを始めるか。ノウハウならすでにあるし元ダンナの店を凌ぐぐらいの店にするのもおもしろいかもしれないと意地の悪い考えが浮かんできたが借金してまでコンビニを始めた知り合いの夫婦の事を思い出して止めておこうとため息をついた。

 そういえば別れた気でいるけど法律的にはまだあの家の嫁、離婚届もらいに行かないといけない。あの家の人間は慰謝料なんてくれるか分らないし一応弁護士さんに相談したほうがいいのかしら、それとも悠斗の親権だけあればそれでいい?

 裁判になればお金だって掛かるだろうし向うは一応金持ちで弁護士とも付き合いがある。

 あれこれと今後の事が駆け巡り、当分才能と向き合う時間はなさそうだと現実を突きつけられた気持ちになりさらに落ち込む。

 不意にテーブルにおいていたスマホが震えだしドキリとする。

 画面を見ると義父からだ。どうせ早く離婚届にサインしろとか悠斗は渡さないとか言ってくるのだろうと思って無視をきめこんだが五分おきに振動するバイブレーションに耐え切れず四度目のコールで通話ボタンを押した。

「ああ、やっと出た。智子さんすまないがすぐに戻ってきてくれ、大変なことになっているんじゃ、このままでは店がもたん、とにかくすぐに戻りなさい」

 何を言っているのか量りかねた? このボケ老人はいったい……

 追い出した人間を命令口調で戻れとはあきれはてて怒る気にもならなかった。

 このままシカトして携帯番号変えるのもありだなと言う選択肢を思いついたが、店が大変になるイコール慰謝料がもらえない、非常に困ると言う公式を瞬時に導き出してそれはまずいなと思い一応打算で返事をする。

「わかりました。今から行きます。ついでに悠斗も引き取りますので準備のほうよろしくお願いします」

 そう言うと義父は口ごもってなにやら吃音を発していたが今は話し合う気など無いので無視して電話を切った。

 しかし店が大変とはどういうことだろう、まだ私が出て行って半月しかたってない、そのぐらいならシフトは出来ているし手だれのバイトがいれば回るはずだ。

 トラブルがあればヘルプで本社から何かしらの救援があるはず。とにかく行って見ないと何もわからないので私はなるべく惨めにならないようにスーツを着た。

 姿見で笑顔を確認する。

 就職面接用に急いで買ったスーツなので惨めではないが、率直な感想として若くないため保険の勧誘とかしていそうな感じがする。

 まあ良しとしよう。

 これから悠斗を育てていかないといけないのだから保険の勧誘だって何だってやる覚悟はあるし、才能の使い道はそのうち見つかるはずだ。

 身なりを整え鏡の前に立つ。化粧も濃くない、自分で言うのもなんだが小学四年の母としてはそんなにダメなほうじゃない、むしろいい感じだと確認して鼻息を荒げた。

 とにかく今は私の育てた店の様子が気になる。


 義父からまた電話があり店に直接言ってくれと指令が来た。

 この人ほんとに私のこと派遣社員か何かと勘違いしているなと思ったがめんどくさいので従った。

 大通りから乗ったタクシーは15分程で二号店の前着いた。二号店は出店時に事務所スペースを一号店より広くしたのだ。こちらが今の有限会社北村商店の本社である。

 タクシーを降りて店の中を伺うと、何故か電気が消えて昼間だと言うのに静まりかえった店に戸惑う。

 私の記憶が確かなら停電とか無い限りコンビニに休みなど無いはず、しかも店の前では入ろうとした客が一瞬呆然と立ちすくんで中をうかがうとあきれて去っていった。私は急いで裏口から事務所に入った。

 物を投げると事務所が散らかります。と言う見本のような光景と一緒に呆然と座り込む元ダンナがいた。ひどくやつれたような惨めな顔をしている。まるで突然リストラされていき場所を失った中年男みたいに髭は伸びて焦点が合ってない。支給品のコンビニ服は何枚か投げ捨てられ事務机の上で固まりになっているし、その脇の床には大量の菓子パンと食パンが箱のままうず高く積まれている。見たことの無い量だ。町のスーパーだってさばけないほどの量で例えばこの量を発注すると警報が鳴り卸し先が誤発注と思い確認の連絡が来るだろう。なのになぜこの量?

「ちょっと、あんた気は確か?いったいどうしたのよ」

 声をかけたとたん我に返った元ダンナ、私を見るなり力ない顔で微笑んで、

「やあ、元気そうだね、今日はどうした」

 すでに思考停止状態で会話に意味をもたせる事のできない元ダンナは自分のふがいなさに打ちひしがれているようだ。

「いったいどうしたのよ、そのパンはどうしたの?バイトさんはどこ?なんで店を閉めているんですか?」

 私は情けない元ダンナに手加減しながら聞いた。その日の入金や仕入れなどどうなっているかすらわからない、こんな状態では本部からFC契約を打ち切られるだろう。トラブルの原因を探りに地域担当者も来ていると思うのになぜだ?

「オマエ……そうだ、お前のせいだ、お前がちゃんとしてないからこんな事になったんだ。そうじゃなきゃユキだって気負わずにすんだはずだ」

 やはりこの男はコンビニの切り盛りも出来ないのだろう。偉そうにしていたくせに言い訳まで私のせいにするらしい。あきれる私の顔は苛立って睨んでいたのか、叫ぶのをやめ黙り込む元ダンナ、出たよ必殺黙秘権、都合が悪くなると黙るのはいつもと変わらない。

「それで、落着いたら話してくれないかしら、何も聞けないと対処のしようが無いのだけど」

 私もこの店には少しだけ愛着もあるけど、もうどうなろうが知らない、それでも悠斗のためにこの哀れな男を救うしかないのかとため息をついた。

「まず、バイトさんはどうしたの?」

 威圧しないように心がける。

「辞めた……」

「はぁ?なんで急に辞めるの、私が追い出されてまだ半月だよ」

 あきれて声がでかくなったのか、元ダンナはびくりと体を震わせた。それでもなかなか理由を言わない元ダンナに痺れを切らして高須家の嫁に電話をした。

「あっもしもし、今大丈夫?ゴメンね店と何かあった?」

 私の声を聞くなり高須家の嫁は待ってましたとばかりに怒りをぶつけてきた。

 どうやらユキと言うこの男の彼女が店に来て私に代わり店長を宣言すると、その占領軍のような振る舞いは改革の名の下に時給にまで手を出したらしい、私の払っていた賃金が高いからとバイトさんの時給を100円下げたのだ。バイトさん不足のこの時期にどう言う根拠か知らないがこのままでは店が潰れるとか、前の店長の怠慢とか訳のわからない事を言い出したそうだ。ついでにこの山のようなパンもユキの提案で本部を無視した勝手なパンまつりに使うと息巻いて、しかも地域担当者を怒鳴りつける暴挙に出た挙句、バイト全員逃げ出したあとユキも逃げ出したらしい。自分は素晴らしい企画を立てたのになぜ?みたなお花畑なユキの提案を呆れて語る高須家の嫁は、追い出されたあなたに言ってもしょうがないよねと最後に同情をくれて報告は終了した。

「だいたいの経緯はわかったけど、これだけ引っ掻き回してあんたの彼女はどこに逃げたの、まったく情けない話よね。自分が何にも出来ないくせに社長気取りで女作って」

 あまり言いうと愚痴っぽくなる自分がいやでダンナを無視して事務所の片付けを始める。

 元ダンナはぼんやりとして、しばらくのあいだ私を眺めていた。

 そんな私の献身的な振る舞いに何を思ったか急に元ダンナはシクシクと啜り泣きをはじめたかと思うと、頭を抱えて嗚咽交じりに小声でスマンを連呼し始めた。

「スマン、スマン、本当にすまない。ああいう女だって事はわかっていたんだ。俺はだまされたんだよ、お世辞言われてついその気になっていた。やっぱりお前がいないとダメなんだ。このままじゃ店が潰れる。な、戻ってくれるだろ」

 最後には土下座する勢いで絶叫した。

 計算が見える元ダンナの話なんて聞きたくない、あれだけの仕打ちを受けて戻る考えなんてとっくに無くなっているのに、私も甘いな、お金の事なら節約すれば何とかなる。

 そもそもこの連中に期待するのはやめたほうがいいかもしれない。

 片付けの手を止めた。

「やっぱり無理だわ、私、悠斗を連れて帰る。後は自分で何とかして、ほんとに私に戻ってほしいなら自分で何とかしなさいよ。オーナーはあなたでしょ、私はもうコンビニの店長はやらない」

 そういい残して私が出て行こうとすると土下座よろしく座り込んでいた元ダンナが急にすがり付いてきた。

「ちょっと、イヤだ、何するの!」

 抵抗する私を無理やり抱きしめ「いかないでくれ」とグシャグシャの顔で締め上げる。苦しいのと鼻水がスーツにつくのがイヤでとっさに股間を蹴り上げた。

 嗚咽にまじった奇妙なうなり声を上げ床に転がる姿に明らかな嫌悪を感じながら私は逃げ出そうと入り口に向かうが苦しみながらも必死の形相で私の足を掴んできた。

 無常にもそのまま尻餅をついてしまい衝撃でコメカミがきゅっとつりあがる。

「頼む、帰らないでくれ、俺を置いていくな、お前がいないとこの店はどうすんだ、せっかくここまで来たのに潰れちゃうじゃないか、そうなったらお前のせいだ」

 涙と涎と鼻水でいっぱいの顔が擦り寄ってきて彼は私の首に手をかけた。鬼気迫る男の迫真の演技ではない、我を見失って崩壊して衝動に突き動かされる危険行為だ。

「逃げたら許さん、どこまでも追いかけて行くからな、俺の人生どうしてくれる」

 もう言っている意味が出発点から随分と逸脱してしまって被害者ズラし始めた元ダンナは力任せに私を押し倒すと、締めていた手を外しブラウスの首元を引き裂いた。

 散らかった床と背中の間に何か異物が押し付けられひどく痛んだ。

 元ダンナは、開けた胸元とシチュエーションに血迷った獣みたいだ。私はそんな気などあるわけも無く必死で抵抗を試みるが男の力にかなうはずもない。

 悔しいが諦めるしかないのかと思ったとき私の頭の上をヒールを履いたすらりとした足が空を切り元ダンナの頬にヒットした。元ダンナの顔が一瞬ゆがんだあと行き先を見失ったボールみたいに体ごと床に転がりパンの山に埋もれた。

「まったく、どうしようもないチキン野郎ですね」

 起き上がり恐る恐る振り向くと冷たく笑う牧田がファイティングポーズで立っていた。

「北村智子さん、少しお力を借りたいのですがよろしいですか?あっ、旧姓でお呼びしたほうがいいですね、野瀬智子さん」

 元ダンナはパンに埋もれて伸びている。牧田恵子がファイティングポーズのまま何度かヒールの感触を確かめているのがおかしくて吹き出した。

「すばらしいキックね、おみごと」

 牧田恵子の美しい動きに私の中で何か絵のようなものが浮かんできた。流れるような幾何学的な模様と巻物のような長い……何かしら?

 はっきりとしないベルベットのように私の中でヒラヒラと渦巻いている。

「何かひらめいたようですが、とりあえず今は急ぎましょう。時間がありません」

「私にできる事ならいいけど、悠斗を連れて行きたいんだけどダメかな」

 今日の目的である悠斗のことが気がかりだった。北村家の連中に洗脳されたら困るので一刻も早く引き取りたかった。

「その件ならご心配なく、あなたの希望通りに進むようこちらで弁護士を用意しましたので時機に一緒に暮らせます」

 牧田恵子が言う事なら間違いは無いだろう。目的のためには必要事項を的確に処理する能力を発揮する人間、いや、人間ではないな。


 私は牧田恵子に連れられ二度と訪れる事はないと思っていたCGSの研究施設にやってきた。

 今日はいちだんと荒れた天気だ。地下駐車場もエントランスホールも湿気だらけで、そこかしこに水滴が張り付いている。以前感じた情調は消え去り辛気臭いだけの場所。

 はじめて来たときの光りで満ちた面影は奪われ垂直の洞窟にでも落ちてしまったように冷えきった空気が漂う。ホールには人の気配が無い、今日は休みなのだろうか。私と牧田恵子の足音だけが磨きの床から響き渡る。

 また、あの暗い地下に連れて行かれるのかと滅入っていたのだが滝には行かず、インフォメーションの後ろのエレベーターホールから才能移植の日に目覚めた部屋につれて来られた。

「こちらでお待ちいただけますか。準備ができ次第ご説明いたしますので」

 牧田恵子はそう言うとさっさと出て行ってしまった。

テレビもない部屋で一人残され、することも無く窓の外を眺めた。

 住宅地を抜け山道を走って来たにしても時間で見たら十五分程度、なのに考えていた景色よりかなりのズレがあるように思えた。

 稜線の向うに見覚えのある街並みは確認できず、はるか遠くまでうねる様な山々が見え所々に高い塔が点在していた。

 牧田恵子が人間じゃないのは気づいているが、ワープできる種族とは思っていなかった。

 異世界にでも連れてこられたのだろうか?

 地に足が着かないような感覚にだんだん不安が大きく膨れ上がる。ちゃんと地球に帰れるといいけど、トラブルみたいだから何かあれば見知らぬ惑星で一生を終える事になるんじゃないかしらと思いとっさにカバンからスマホを取り出し、通じるかわからないが元ダンナの実家に電話した。

「もしもし、私です」

 電話に出た誰かがしばらく沈黙して怖くなる。

「もしもし、義父さんですか、智子です」

「……おっ、お母さん?……」

 悠斗だ!

 私は久しぶりに聞く息子の不安そうな声に舌がもつれてうまく話すことが出来ない、大人のごたごたに巻き込んでしまった申し訳なさと、離れていた寂しさで涙が溢れ出した。

「悠斗、悠斗なのね、元気だった?ご飯、ちゃんと食べてる?」

「お母さん、大丈夫だよ、ご飯は食べてる。だけどみんながもうお母さんは帰ってこないって言うんだ。僕を捨てて出て行ったって……今どこにいるの?」

 あの家の人間はとことん私を悪者にして悠斗を奪う気でいる。

「悠斗、よく聞いてね、お母さん絶対に悠斗の事捨てたりなんてしない、今はどこにいるか言えないけど近いうちに必ず迎えに行くから、お母さん約束する」

 奥から義父の声が聞こえる。悠斗に誰と話しているのか聞いて悠斗が答えるとものすごい音で電話が切れた。

 すぐに義父の携帯からの着信がきた。

「智子さん卑怯じゃないか、勝手に電話して、ウチの孫をたぶらかすのはやめなさい」

 また勝手な言い分が始まった。

「そんな事より店をほったらかしにしてどこで何をしている?早く店を立て直しなさい」

 もう店の事なんてどうでもよくなってきた。

 こいつらが破産しようと私には関係ない、金が無くても悠斗がいれば私は大丈夫だ。

 才能など無くても悠斗と2人食べていければそれでいい、悠斗を連れ出さないと。

「お義父さん、申し訳ないけど私はそちらの社員ではなく悠斗の母親です。あなたとサトシさんの会社がどうなろうと関係ありません、こちらは弁護士を立てて親権をいただきます。それと私のスマホに電話するのやめてください、迷惑です。ストーカーされていると訴えますよ」

 真っ赤になって怒る義父の顔が目に浮かぶようだ、普段温厚な義父はプッツンと切れて倒れなきゃいいけど、少し笑って電話を切った。

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