第4話 ヨネタヒロキ2

 昼に会った牧田から電話があった。

心の大部分は、まさか本当に連絡が来るなどと思っていなかったようで困惑気味だ。

 幻だと脳が勝手に変換していたような気がする。少しだけ後悔している自分に今頃遅いと突っ込みを入れるところだ。

 日課の海外ドラマDVDを見終わって、風呂でくつろいでいた俺は裸のままで引きずり出され電話口に立たされた。時間は午後十一時だ。家の固定電話にかけてくるところが牧田の作戦なのか対応した妻は女の声にもかかわらず仕事の話だとでも思ったらしい。

 一応は信用されているからだろう。今まで浮気などしたことはないし、夜もそれなりだ。夫婦としては結婚してからも、うまくいっていると俺は思っている。

 あくまで俺の思い込みなのだが。

 温かみのカケラもない声が受話器の向こう側で響いて寒気に襲われクシャミをイッパツおみまいしたが所詮電信の向こう側、牧田は意に介しない。

「夜分にすいませんが、全ての準備が整いましたので今からお迎えに行きます。早く服を着てください」

 服を着てくださいって監視カメラでも付いているのか?俺は牧田ならやりかねんと思ったが今は突っ込まないでおこう。

「それ、明日じゃダメかな、今寝るとこなんだけど」

 答えてからまたクシャミをした。風邪をひきそうだ。

「適合者様の一人はもう来ています。米田さんを迎えて最後に才能保有者をむかえますので、それに保有者様の才能は時間がありません。なるべく早いほうがよろしいです。適用率が上がりますので」

 時間が限られているならしょうがないかと無理に納得してみる。

「妻にはどう話せばいい?」

 妻が台所で明日の弁当の準備をしている姿を確認して小声で聞いた。

「まったくチキン野郎ですね、奥さんの顔色を気になさるなんて、夫婦円満の秘訣ですか?まあいいでしょう。仕事とでも言ってください、私が着いたら適当な説明をしますから」

 そう言って電話は切れた。三十分ぐらいで着くらしい。

「あなた、仕事なの?」

 電話の感じから何かを察したのか不安そうな顔をした妻になるべくわざとらしくないように微笑み「ああ」と答えた。実際これからの人生を左右する〈儀式〉に参加するのだから遊びでは無い、まあ広い意味での仕事みたいなものだ。

「会社の仕事とは別の仕事で今から出かけないといけないんだ。明日は工場休むからお前から主任に連絡だけしてくれないか、適当なわけ話して」

 妻に不審に思われるのも無理もない、上手い説明は牧田に任せよう。工場勤めで口下手の俺にはこれが限界なのだ。

 とにかく準備するからと言って妻の追求を一時しのぐ、あと二十七分だ。普段は着る事のない古いスーツを箪笥から出すとじっくり時間をかけてネクタイを締める。

 箪笥の姿見に映るくたびれたスーツを着たくたびれた男の姿を確認して今更ながら怖気づいてしまいそうになる。

 対価を払うのだからうまい話でもなかろうに、ビビッてもしょうがない。いい加減腹括れと鏡の自分に言い聞かせる。


 時間稼ぎで挙動不審なトイレと洗顔を終えたころで玄関チャイムがなった。

「夜分申し訳ありません私、CGSの牧田と申します」

 そう言って先に玄関に出た妻に名刺を渡す牧田。妻の疑いの目が俺にむけられる。

 確かに微笑む牧田はモデルのように美しいが、妻よ、よく考えてくれ俺の甲斐性はお前が一番よく知っているはずだ。目で訴えるが通じはしない。

「こんな時間にご主人を連れ出す事をお許しください。実は今日から明日にかけてご主人には写真の仕事をお願いしています」

 妻が、まあと言う顔になり俺は笑ってごまかす。

「うちの社長がご主人の写真を気に入っていまして、是非にと言う事なのです。それで失礼とは思ったんですが報酬のほう現金でお持ちしました。奥様にお渡しするようご主人の方から言われていますので」

 そう言って牧田は大手銀行の封筒を出した。

「ちゃんとした封筒じゃなくてすいません。今回の報酬二十万です。ご確認ください」

 そう言って俺と妻に頭を下げる牧田が恐ろしくなった。そりゃあ現金見せられれば誰だって納得するに決まっている。妻は信じられないみたいな顔で封筒を確認していたが、札を数え終わるとにっこり笑って、「しっかりね」と送り出した。


 ぼろい借家の一戸建てには不釣合いな黒い高級外車に乗り込む。

「あの二十万、俺に返せとか言っても無理だぞ、へそくりなんかねーし」

 牧田の「チキン野郎」の声を不思議なほど待ち望む。罵ってもらう代わりにそれでチャラにしてと願う情けない俺。

「別に返さなくていいですよ。必要経費ですから」

 罵りもしないでたんたんと答える牧田に寿命の値段を確かめたくなる。この連中のズレは人間に理解できるのだろうか。たぶん金なんて寿命に比べたらただの紙切れでどうでもいいのだろう。二十万を大金と認識する俺自身は日々の労働で得るものが、あまりにも小さすぎて惨めになった。

 猜疑的な気持ちの俺を乗せて車は住宅地を抜け峠の道に入った。

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