第3話 ユウトママ
ピアノに書道、水泳にダンス、ダンスはヒップホップと社交ダンスだったかな?
そういえば1年前にはフィギアスケートの体験レッスンもさせたような、その他数々のお稽古をやらせて見たのにひと月もったことがない。下手な鉄砲撃ちまくって何かの才能があればと思っていたが空振り続きで最近は虚しくなってきた。
北村家は代々続く老舗の呉服屋でこの街では名の知れた家だった。
従業員だって最盛期には百人いて隣県にも支店があり、駅前のデパートと国道沿いにも店舗があった。お正月にはテレビの新年広告だって出した事がある。
私が嫁に来たころは男子を産んで後を継がせようと思っていた。が……この不況で着物需要が落ち込んで事業を整理縮小してしまった。それから半年でダンナの独断で店をコンビニに変えてしまったのだ。
ダンナと二人研修を乗り越え、と言ってもダンナは確かサボりがちだったが……私は見事コンビの店長になった。ちなみにダンナはオーナー社長だ。付き合い始めたころは結婚を意識して呉服屋の嫁ならばと取得した着付け技能の資格は見事に無駄になった。
今では着物を着る事など無くなって、もっぱらコンビニのロゴ入りシャツが定番となった。自分で言うのも癪だがしっくりと馴染んでしまった。
家族に何の相談もなく、突然に歴史ある家業を捨てたダンナに義両親は怒り心頭だったが、経営が安定して軌道に乗るといつしか文句も言わなくなった。正直、世間のコンビニに対するブラックなイメージとは裏腹にウチはうまく行っていると思う。
運がいいのか、バイトさんにも恵まれ、借金も少ないしそれなりに儲かるので、両親の怒りは収まり頑張る私にもねぎらいの言葉までくれる。家の事はいいからと言って忙しいときは一人息子の面倒まで見てくれる優しい義両親になった。
しかしだ!
私はコンビニの店長をするために嫁に来たのではない!
品よく「老舗呉服店の奥様になりましたの、おほほほほ」と、サラリーマンの妻になった友人達に自慢したかったのに、これは何?
経営するコンビニは現在三店舗あり運よく直営店の餌食にもなっていない、経営もすこぶる順調で今度四店目を出す計画がある。旦那は「俺こっちの方が向いてるな」とか自慢げに言っているが、経営のほとんどを私がやっている。それなのに儲かりついでに若い女と浮気している。バレないとでも思っているのだろうか?
私は結婚した以上はこの家と悠斗を守り安定した生活を送ることが一番大事な方針だ。
旦那の浮気など勝手にやらせておけばいい、めんどうくさい事になるより適当に遊んでくれた方が楽でいい。
そんな私は、生活優先の地味で報われない人生設計を息子の才能に託してみようとしている。勇んではじめたお稽古通いも何の成果も出せないまま一年が過ぎた。
「北村悠斗君」
息子の順番だ。週一回のボーカルレッスン、これはひと月と一週目に突入した。先生も良い方で息子もノリノリで楽しそうに歌っている。
これは才能あるかもと将来を想像する……
成長した悠斗、きっとイケメンだ……
スポットライトがまぶしいステージでヒット曲を熱唱した悠斗は肩で息をしてタオルで汗を拭いた。
悲鳴のような歓声に答えながら、成長した悠斗が何か言っている。
騒いでいた観客が悠斗の声を聞こうとしてすぐに会場全体が静まり返った。
「ありがと~今日はみんなに紹介したい人がいます!」
悠斗が私の方を向くとスポットライトに照らされステージに導かれる。ざわつく観客が私に視線を向ける。
「紹介します!僕の母です。いま僕がこうしているのは母のおかげです」
歓声で悠斗の声が聞こえなくなる。
「……さん、悠斗君のお母さん?」
突然呼ばれてご都合解釈の白昼夢は何処かへ消えてしまった。
だいたい昭和の歌謡大賞じゃあるまいしコンサートに母親を呼んでステージに立たせるアーティストはいないだろう。引きずり戻された意識が居心地の悪さと夢想していた恥ずかしさで呼びに来た先生をつい睨んでしまった。
バツが悪く熱湯で顔を洗ったみたいに熱い、それでもつとめて冷静を装ったのに汗が一筋頬を伝うのを我慢できなかった。
「あっ、すいませんよろしいですか?」
なにがよろしいのよ! と言いたいのをこらえて、間の悪い先生に奥様らしく微笑み、睨みは無かった事にした。
「もう終わりですか?」
「いえ、そうではないのですが、今日から本格的なレッスンに移行するのですが、悠斗君、なにか面白くないようでボイストレーニングしようとしないんです」
そういえば前回まではお歌は楽しいとか言っていたような……
ボイストレーニング? なんじゃそれと思っている時点でここも向いてないと察した。
解放された息子が楽しそうに歩く姿を見ながらとぼとぼと歩く。小学4年にもなると母親と手を繋ぐのが恥ずかしいのかここ最近は少し距離があるように思えた。
「あれ~悠斗ママじゃない、今日は何のお稽古かしら~」
背後から声をかけてきたのはママ友のように振舞う高須家の嫁だ。
うちの息子の一つ上のショウ君のママ。自慢の息子ショウ君は野球のユニホームを着ているので試合の帰りだろう。
「ねえ聞いてよ~ショウがね、今日もたっくさん三振とったのよ、ヒットも打ったし、もーショウってばかっこいいのよ、昔のダンナみたい」
ショウ君は恥ずかしそうに頭をかいた。悠斗は心なしか私の後ろでモジモジとしている。
私は心の中で大きくため息を一つ。
また自慢かよ。この親バカのバカ親、薄給のダンナのせいで、うちのコンビニでバイトしているくせに総括店長に対してタメ口か、だいたいな、お前のダンナの高校なんて地区予選の一回戦負けだし、補欠だし、そもそも大してかっこよくないし。
「悠斗くんは、ボーカルレッスンは順調なの?」
いやみな聞き方に「順調」といって笑顔でごまかした……つもりが、
「つまんないから帰ってきたよ」
悠斗が素直な感想を述べた。ショウママの目じりが下がりいやらしく笑う。
「それは残念ね、今度は何を習うのかな?このままいけばこの街のお稽古教室はコンプリートじゃない、それもすごい才能かもね、なんならショウと同じ野球チームにも入る?私紹介するから、楽しいよ~」
親子でそうしなよと言っている高須嫁の顔は悪意に満ちていて蹴り飛ばしたいが、私はセレブ奥様だから我慢する。この女の時給五円減らしてやるし野球なんか絶対やらない。
悠斗が私の服を掴んで何か言いたげに顔を見たがすぐに俯いてしまった。
「ウチにはゲーム機ぜん~ぶ揃ってるし、ゲームの才能あるみたいだからそれでいいのよ」
苦し紛れの言葉に、俯いていた悠斗がお稽古しなくて良いのと嬉しそうに顔を上げた。
そんな息子を見てさらに惨めになる。
「ゲームね、それもいいんじゃない、役には立たないけど、お金持ちだしね」
そうよ、最後は金だ。それでいいんじゃボケと思うが口には出さない。
「イイナー」と言ったショウくんの腕を引き不機嫌そうに高須嫁は去って行った。
エースで四番といってもたかが小学生チームでしょ……気にするなと思っても小学一年から野球を続ける子供に比べてわが子の根気のなさに滅入ってしまう。もしかしてこの子の才能は根気が無い事ですなんて言われたら私はどうしたらいいのだろう、だれも答えてくれるはずも無くゲームの才能を認められた息子を見つめた。
家が貧乏ならもっと強い子になる……いや、そうじゃない、貧乏なんてもっといやだ。せっかくお金だけはあるんだから、もっとたくさん体験させればきっと何かあるはず。
早く家に戻って新しいレッスンを探しましょう。今度は体操とか陸上競技とかオリンピックをめざすものが良いかな。私が気持ちを強く持てば何とかなるような気がして奮起してみる。息子の未来はきっと明るいはず。
無理やり息子と手を繋ぎ「ガンバロー」と拳を上げた。
ネットで見つけた体操教室は練習場にも入らなかった。
オリンピック選手を出しているらしいが、指導するコーチが恐ろしくスパルタだ、黙々と練習に励む子供たちと、耐えきれず泣いている生徒を見て息子は怖気づいたのだ。
私が見ても虐待にしか思えない練習風景、伝統とは程遠い古びた劣悪な施設とコーチの熱気と汗の匂いに圧倒され、二分で縮み上がった息子は正しい反応なのだろう。
ただあのコーチの早く帰れといわんばかりの態度はどうなんだ?まるで才能無い奴はお呼びじゃないみたいな態度、こっちは客だぞ、コンビニであんな態度の接客をしたら二度とその客は来ない。ここの連中は何様だ。
結局、体操の体験などしないまま教室を後にした。
体験料二千円とここまでの電車賃、それに私の代わりでシフトに入ってもらったバイトさんの時給が無駄になった。
お金はあるのにどうしても費用対効果を考えて割り切れない自分に腹が立った。
悪態が息子にも伝わったのか、今日はいつもよりおとなしい、駅まで続く商店街が期待に胸膨らませていた往路より帰り道は長く感じられる。
「悠斗、駅に着いたら美味しいもの食べていこうか」
キラキラとする息子にあんな所に連れて行ってすまない気持ちになり今度はちゃんとした所に連れて行くからねと誓う……誓う?
何を誓うのだろう?
私は息子に何を望んでいる。やる気の無い子供を無理やりにお稽古させるのは虐待と同じじゃないのか、このままコンビニを継がせれば何の苦労もしなくてすむ。
それこそがこの子のためになる。才能なんて人間のほとんどが持ってないのにそれをわが子に託すなんて親のエゴでしかないのでは? 自分の事は棚に上げて才能の欠片も無かった自分が満足したいだけ、家族経営のコンビニの店長だって立派な仕事じゃないか。
私は立ち止まって、息子を見た。
「お稽古とかするの、イヤ?」
息子は困ったような顔をして私を見ると、すぐに俯いて頭を振った。
「イヤじゃないよ、いろんな事できて、楽しいし……」
親の顔色を伺う息子に私は言葉を失った。
一瞬眩暈を感じて崩れそうになるのをこらえる。
「いい子じゃないですか、バカな母親に気を使うなんて」
突然話しかけられてギョッとして振り向くと、吸い込まれそうな真っ黒なスーツを着た色白の女が立っていた。
女は薄く微笑んで私達親子だけを見ている。その軽薄な微笑みは美しい顔を不気味に引き立たせたあげく季節感を無視てこの女だけ真冬のように凍えて見えた。
嫌な物に絡みつかれたように背筋が冷たい、逃げ出したいが息子も怯えて硬直していてすっかりタイミングを逃してしまった。
「失礼しました。私このような者です」
差し出された名刺を恐る恐る受け取った。受け取って少し後悔する。聞いた事の無い業種に困惑しながら冷静を保つ、そもそも何故こんな女に話しかけられるのかわからない。
キャッチセールスやアンケートの類なのか知らないが早く消えてほしい。
黙ったまま女を睨む。
「そんなに構えないでください、食べたりしませんから、あっ、私は人肉など食べない主義ですので」
そう言って女は作り物みたいに笑うがどこかずれている言動は子供を怯えさせるには充分な効果を発揮した。
「悪いけど、用がないなら行きますね。忙しいので」
文句を言ってややこしくなるより忙しいふりで逃げるが勝ち、別に勝負しているわけでもないのでそれでいい。踵を返し息子の手を引き女から離れる。
「コンビニの店長は楽しいですか?従業員には陰口叩かれ、だんなさんは今頃バイトの女子大生と何をしているんでしょう?おまけに息子は根気が無いし」
全身硬直したみたいに足が止まる。私の後頭部がどうかしたようだ。後ろに集中して嫌味に対するアンテナがそこに在るように怒りがたまり込んで爆発しそうだ。
この女、名前、何て書いていた?マキタ、牧田恵子、なんでそんな事を知っている?
何か恨まれる事したか、爆発しそうな頭の中をフル回転させ記憶の片鱗を探すが牧田恵子と言う単語はヒットしなかった。
そうなるとこの女は何か目的を持って私にピンポイントの攻撃を仕掛けて来たに違いない。さっきは容姿の不気味さに押されて撤退を選んだが、反撃を選んだら容赦はしない。
叩きのめすのみである。大きく息を吸って女に向き直る。
息子に「ここで待っていてね」と言って私だけ女に歩み寄る。
「なにか恨みでもあるのかしら?私はあなたみたいな下品な人と知り合った覚えがないのだけど、根拠の無い言いがかりは止めて下さい」
極めて冷静に怒りを表したつもりだ。
「それは失礼しました。私は本当の事を言っただけで別にあなたに興味はありません。仕事として声をかけただけですが、お気に障ったのなら謝罪します」
眼を合わせた瞬間ハッとする。
美しい瞳の視線を私は捕まえる事が出来ない、まるで全てを0と1の情報としてしか認識しない機械のような眼差しにうろたえて結局自分のほうが視線を逸らした。
謝罪どころか(気持ち)と言うワードも存在しないような冷めた存在、この女の本質に人間が踏み込んでも暗闇が流れ込んでくる……
私の事なんて見ていない、この女は本当に興味ないのだということが良くわかる。
事務手続を進めるためにわざと人に言いがかりをつけこちらに返事をさせる。やくざと同じ、取れる利益にしか興味が無いのだ。多分返事をした時点で私の負けだ。
「何が狙い?何か売りつけるの、私が自由に使えるお金なんてたかが知れているわ。だいたいこんな公衆の面前で、卑怯よ」
負けを悟られないように勢いだけで怒鳴りつけた。
もう人目なんてどうでもいい……って、あれっ?
さっきまで人でにぎわっていた商店街は閑散として人気が無い。今の時間に人がいないなんておかしい。
「どうかしました?もしかしてこの場所が気に入らないとか、しょうがないですね」
そういうと女は自分の右手を握りグーの形を作ると人差し指だけ立てて口元に近づけシーをするように息を吹きかけた。
その仕草は美しく一瞬気持ちが無になる。無と言う状態を知りはしないがその表現がしっくりとくる。
「この場所はどうですか?」
女の声にはっとして我に返る。
仕草に見とれていたらしい、んっ!ここはどこ?私は三半規管がどうかしたのかと思うほど今の風景が理解でできずに目の前が揺れた。今まで見ていた街並みと今見る景色が重ならないのでズレが生じたのだ。起こった現象を脳が受け入れてくれないみたいだ。
「なっ、何をしたのよ」
「お気に召しませんか、街が嫌そうだったので場所を変えました。大丈夫ですよ、適合者の説明をしましたらもとのゴミ溜めに戻りますので」
私達は草原の直中に立っている。雨上がりなのか少し足元がぬかるんでいるようで靴に泥が付くがそんな事はどうでも良かった。すぐに息子を探して後ろを振り向いた。
息子は後ろで固まって立っていて動こうとしない。そばに駆け寄ろうと思考した途端ゾッとする視線で睨まれて体が固まる。
「サルでもわかる説明です。すぐに終わるので聞いてからにしてください。私も忙しいので後にしてください」
下等生物にでも語りかけるみたいな嫌味と人を軽侮する口調に悔しくなるが、どうやらこれは夢落ちなのではと思い始めて自分の頬をつねる。
「北村智子さんこれは夢では無いですよ。あっ、本名より悠斗ママのほうがお似合いですね、今のあなたを良く表していますよ」
私は人格が崩壊しているのだろうか?この女のいう事がナイフのように突き刺さっても痛みを感じない。それは自分の無意識が認めた自分の姿を晒されているからだ。もうすでに智子と言う名は侵食されて私はいつの間にか悠斗ママに代わった。
その事を認めたくなかったのにこの女の美しい不気味さは容赦なくそれを認めさせたのだ。
「それではご説明しますね、悠斗ママさん、あなたは超優良才能の適合者です。これを受け入れれば何らかの才能が開花して、あなたの人生は新たなステージに昇華します。少なくともコンビニの店長とは違う事ができる権利を与えられると思います」
今の私ではなくなるのかな、この胡散臭い提案は恐ろしいほど私の気持ちを揺さぶった。
たとえ非合法な薬とか飲まされても残りの人生、ダンナや家に頼らずに生きていけるのだろうか? 大昔に諦めた夢がよみがえる。何かになりたいとかそういう具体的なものじゃないが、自分の力だけで世の中に必要とされる……派手な人生を送ることが出来ればどんなに楽しいだろうと夢見ていた。
そんな漠然とした夢を諦めて結婚したのは、私は私を理解したからだ。
私には何の才能もなければ何かを凌駕する実力も無い、人並み以上を手に入れるには努力などでは埋められない何かに気がついた。
だから私は人の家を背負ってなるべく優雅に暮らそうと決めたのだ。
後の人生について価値のある妥協をした。
それは最良の選択で、当時はそれがベストなのだと思った。それで今現在苦しんでいるのはかなり滑稽だが、そんな事も予想範囲で諦めて生きてきたように思う。
ある程度の金と見た目そこそこのダンナとかわいい子供にめぐまれている事で諦めもつくし人生はそつなく過ぎる。きっとこの先、老いて死ぬときに、優しい恵まれた人生を送ることが出来たと選択した当時の自分に感謝するはず。
若さだけが武器の時期はあっという間に過ぎ去り、多少の波風なんて目を瞑れば安定した価値ある人生が送れる機会を手に入れた。
私は勝ち組なのだ……が……
「代償はあるの?そんな美味しい話がタダと言うわけはないでしょ」
女はニコリともせずに私の左目の奥を見た。まるで心の奥を見透かされているようだが視線をそらす気になれなかった。しばらく見つめていた女が視線を外すと満足そうに微笑んだ。
「寿命をいただきます」
「はっ?」
言い換えれば〈命貰うぞ〉と言う事?何を言っているのよこの女は、それじゃあ才能が開花しても意味が無いじゃん。話にならない、一瞬でもこのオカルトに興味を持った自分が情けなく怒りが湧いてきた。
「ご心配なく、あなたはこのまま行けば九十七歳までコンビニの店長、まあ死ぬまで現役ですね、後に旦那さんと多少の波風はありますが、街の高齢店員として九十歳の時地方紙で話題になりますよ。でもそんな生き方に多少の不満がおありなら、あなたの人生からたったの二十三年ほど寿命をください。それで全てが変わります」
脳のメモリーがおかしな情報に侵食されていて計算ができなかった。
97引く23……簡単な答えが出ない。
「七十四歳まで生きる事が可能です。悪く無いですよ、それで素晴しい才能が買えるなら安いものです。ちなみに別の適合者は六十五歳です、考えるまでも無いですが」
七十四歳まであふれる才能を武器に好きなように生きる。しかもその力で、この世界に自分の生きた痕跡まで残せる。こんな街ともおさらばして自分の城を構えて贅沢に暮らす。
コンビニの売り上げや直営店進出に怯えることが無い本当のセレブ生活。息子の才能に期待する事も無い……息子、悠斗はどうするのかな、コンビニを継ぐのか?
それでも幸せだろうか、根気の無い人間が真面目に店を切り盛りできるのかしら、それに離婚して私が引き取って育てると、コンビニは継げないかもしれないダンナは離婚したら気分よく若い嫁を貰ってその子供に継がせるだろう。だからと言って悠斗と離れるのはイヤだし。
「まだ決められませんか?」
不機嫌そうに聞いてきた女に丁寧にもう少しだけと言った。悔しい事に私は完全にとは言わないまでもこの女を信じてしまったようだ。
「あの、牧田さん、提案なのだけど、その適合才能と言うモノを息子に使う事はできないのかしら?」
牧田恵子は何を言われたか解らずに一瞬目を丸くした。
「それは息子さんに才能を譲渡すると言う事ですか?寿命を差し出すのは譲渡される本人なのですよ、ちなみに息子さんは……」
そう言って女はポケットからスマホらしいものを取り出して操作し始めた。
しばらくして難しい顔で私を見た。
「息子さんの予想寿命、七十七歳です差し引いたら五十四歳ですよ」
そんなに若く?私は息子の顔を見た。何事と向き合っても不安だらけないつもの顔、私に助けを求めるその眼差しに、五十四歳と言う年齢はどうでも良くなった。
これからこの子が力強く生きていくには才能が必要で、その事で少々短命でも黙っていれば運命のような気持ちになる。
「息子は未成年ですので私の了承だけでもいいですか?あえて息子に知らせたくないので」
牧田恵子は何かと交信するみたいにしばらく黙って目を瞑り天を仰いでいた。
「こんな提案は初めてです。手動で計算するのは面倒なのですが……わかりました。それでは一度息子さんの適合を見ましょう」
そう言って息子のそばに牧田恵子が歩み寄った。私は離れて見守るようにした。
「悠斗君、頭を触るけどちょっとだけ我慢できるかな、痛くは無いから」
さっきまでの不気味な表情は消えて優しい美人な牧田恵子がいる。息子もしょせん男なのか美人には弱いらしく素直に言うことを聞いた。
牧田恵子が息子の頭に右手を乗せ、左手でスマホを見ながら何かの数字をつぶやきだした。よく解らないがπとかαとか聞こえるので計算しているのだと思う。
私にはまったく理解できずに見守るしかない。
数秒で息子の身体が僅かに光った。牧田恵子が息子の左目を覗き込みしばらくして検査は終了した。この場所でなければ怪しい宗教の儀式にしか見えないが、ここでは信じてしまう。
牧田恵子が戻る。
「どうですか?息子は大丈夫ですか」
不安を口にするが牧田恵子は関心なさそうに私を見た。
「息子さん、別にこの適合才能がなくてもいいですよ、信じるかはあなたしだいですが充分な才能をお持ちです。後は息子さんが気付くかどうかです」
「えっ、才能あるんですか?それって根気の無い才能じゃないですよね」
私はどうしても信じられなかった。
「根気が無いのは才能じゃありません。私は芸術系の買取人なので悠斗君のは判りかねますが素晴しい才能ですよ、あなたが信じてやらないとかわいそうです。私には関係ありませんが」
信じる……私には信じる事しかできない、この子の人生は私のものでは無いのだ。
私が干渉したって大人になれば自分で選択して生きていく、それでいい。私は間違いを犯すところだったかも知れない。もう自由にさせてやろう、これからは息子がやりたいことの手助けをしようとあらためて思う。
「あなたはどうします?こうなってはもうあなたの自由じゃないですか、悠斗ママから智子に戻るチャンスですよ」
智子、私の名前。そんな事はどうでもいいか。これから悠斗をしっかりと育てて見守るのが私のポジションだと思った。
「私はこの子のお母さんです。悠斗ママで充分、コンビニの店長も悪く無いですよ、ちょっぴり惜しい気もするけどこれ以上の幸せは望みません」
なんともあっさりと気持ちが落ち着いてゆくのを感じながら牧田を見た。
「それは残念ですね。あなたは今回の適合者の仲でも期待していたのですが」
そう言って機械的に微笑む牧田はぜんぜん残念そうじゃない。そんなものかと少し決まり悪いが、いろいろ気付かせてくれたのかもしれない。私はもう一度牧田と目があった。
牧田が「ん?」と言って何かに気づいた様に微笑むのをやめると今度は卑猥なモノでも覗き込むように目を細めた。
「でも、私の予想ではあなたはもう一度私に会うでしょう。ご連絡お待ちしています」
えっ、何?そう思った瞬間腕を引っ張られた。
「ママ、ママ、どうしたの?みんな見てるよ」
息子が腕を引っ張り身体をゆする。私は商店街の真ん中でぼんやりと立ち尽くしていたらしい。酒屋のおじさんがどうかしたのかいと言って心配そうに聞いてきた。
あの女……放置プレイじゃないか、身体の血が全部顔に集まるような圧迫を覚えながら心配そうな人たちに「大丈夫です」を連発して、その場を逃げるように立ち去った。
「ねえ、悠斗、お母さんどのくらいぼおっとしてた?」
「ええとね、2分ぐらいだよ、どうしたの」
「あのお姉さんはいついなくなった」
息子はキョトンとして誰の事と聞いた。どうやら私は夢を見ていたようだ。立ち止まりくすくすと笑いがこみ上げてくる。それを見た息子は不安そうに「どうしたの」と聞く。
「ねえ悠斗、お母さんの進める習い事とか、もうしなくていいよ、その代わり悠斗がしたいと思ったものを言って、お母さんはそれを手伝う」
息子は「ほんと!」といい嬉しそうに笑った。
私はしばらくぶりに見た悠斗の自由な笑顔に和み、ふと視線を落とす。足元が泥だらけでひどく汚れている事に気づく、すぐにポケットの中を確かめると名刺があった。
駅ビルのカフェでちょっと有名なパンケーキを食べた。昔々に旦那と食べた記憶は埃だらけですでに霞んでいた。懐かしさはないが悠斗との新鮮な思い出が増えた事で得した感じがする。フルーツと生クリームがセンス良く大盛りで運ばれてくると、悠斗が目を丸くしたのが可愛くて思わずスマホのシャッターを切った。
親子で大満足して幸せな気持ちで家に帰ると、皆がそろって私達を待っていた。
義母が私と目も合わせないで悠ちゃんこっちにおいでと促し奥の部屋に連れて行った。
いやな感じと思ったが大人の話だろうと何も言わずにダンナを見た。
「どうしたの、何かあった?」
ダンナは俯いたまま喋ろうとしない。義父はたまりかねて喋ろうとするのをダンナが制して顔を上げた。その目は所在無さげに力なく動く。
「実は、その……子供が……」
ぼそぼそと濁す声が私には聞き取れず強い口調で「なにっ?」と聞き返した。
「外で子供ができた。俺と別れてくれ、頼む」
旦那はソファーに腰かけたまま頭を下げた。
息子への愛情はしっかりと確認してきたのに、そういえばダンナは放任で愛情の確認作業を怠ってきた事を思い知らされた。もう随分とスキンシップなどない、世間で言うセックスレスだ。別にワザとじゃない、息子のお稽古とコンビニの仕事にかまけてすっかりほったらかしだっただけ……大人なら理解できる範疇だと思うけど、だけどそれを言うならこの人だって同じじゃないのか?夜勤のふりして若い女といちゃついて、もう私の事を女として見ていなかった。それはとっくに気づいていた。
けれど私を少しでも見ていてくれれば、きっと息子を虐待もどきのお稽古に行かせなくて済んだのに、親子三人出かける事さえなかった。結局貧乏くじは私だけになる。
「悠斗、悠斗はどうするの?あんたの……あんたの女に育てさせる気」
あんたの女と言い放って悔しくて涙が出てきた。そんなどこの馬の骨か判らない女が悠斗の母親になるなんて許せるはずがない。ダンナは下を向いたままだ。義父が何か言いたいような顔をして私を見ていた。
「智子さん、あんたがしっかりしないからサトシが他の女に走るんじゃないか」
結局他人の私が悪くて自分の息子を守るのか、落ちぶれたとはいえ老舗の商売人だけあって言う事が違うわ。私は義父を無視して悠斗の親権についてダンナを攻め立てる。
「とにかくそんな女には悠斗を任せるわけにはいかないから」
「でも、ユキが悠斗も育てていいと」
悪びれる事も無くダンナは言った。
さすがに呆れた。この男完全にそのユキと言う泥棒猫の尻に敷かれてコントロールされているのだ。
「(悠斗も)ってなに?育ててもいい?そんな上から目線で悠斗の事言われて、低く扱われているのに、しれっと女の言う事聞くなんて頭おかしいんじゃないの、とにかく私は別れるつもりは無いから!その女に今すぐ手切れ金でも払ってナントカしてください」
そう言って義母のところから悠斗を連れだそうと奥の襖を開けるとすでに居なかった。
私から悠斗を離すために義母が連れてどこかにいったのだ。巧妙な作戦会議が成されていた事に怒りが満ちて私のハラワタが圧縮と回転と拡張を繰り返して収集がつかない。
私はダンナに詰め寄ると言葉の連射で攻め立てた。義父が何か言っているのも無視しているとダンナに肩をつかまれ力任せに突き飛ばされ後ろに倒れ込む。畳が鈍い音と埃を上げて、ついでに擦り付けた私の手のひらを削る。部屋の中が一度静かになり痛みがこみ上げてくる。
「もう、イヤなんだよ!お前を見てると気持ち悪い!ただのコンビニのおばさんじゃないか、そんな奴と夫婦だなんて耐えられん金はお前に払うからお前が出てけ」
沈黙を破りそう言い放つとダンナは逃げるように外へ出て行った。
昨日まで「智子さんには感謝しています」とか言っていた義父も手のひら返しで煙たそうにこちらを見ていた。
「もうあんたの居場所はここには無いよ、必要なものだけもって早く出て行ってくれ、残りの荷物は後で送るから」
なんだこの展開?私は何のために今日まで頑張ってきたのだろう、四店目が出せるのだって私がしっかり経理や仕入れからバイトの管理までしてきたからじゃないか。
どれだけ苦労したと思っている。
擦り傷で血の滲んだ手のひらを見る。
なんか笑えてきた。この家族だと思って必死に守ってきた連中は、どうやら私の事を子供を生んで仕事までしてくれる都合のいい派遣社員か何かと思っていたらしい。
不要になったら簡単に解雇できると思っているのだろう。
「わかりました私が出て行きます。それでよろしいですね」
そういうと義父はほっとしたようにソファーに深く腰掛けた。
「ただし悠斗は私が育てますから後日引取りに来ます。後はこんな家とは一切関係しませんので。拒否しても私は諦めない」
義父の顔色が変わる。
「何を勝手な!この金もって早く出て行け!二度と顔を見せるな、孫は渡さん、訴えるならやってみろ。こっちには腕のいい弁護士がいる」
そう言って厚みのある茶封筒をテーブルに投げつけた。厚みと言っても百万というところだろう。誰のお陰でその金出せると思っているのか理解して無い、私は鼻で笑ってその金は受け取らずに部屋に荷物を取りに行った。いまだに行ってない海外旅行のために買ったスーツケースに必要最低限の物をつめて、いざという時のための通帳を取り出そうと箪笥の下着スペースを開けた。
「ん?無い?無い、どこに行った?」
先週の預け入れで確認した時は確かにあった。ちゃんと箪笥にしまったのも鮮明な記憶として残っている。しかもキチンと入れておいたはずの下着が乱れていた。
ダンナの仕業だろう。私名義の通帳まで隠してなにが面白いのだろう。印鑑は私が持っているので使われる事は無いのだが許せない。こんな姑息なやり方で追い詰めるなんて本当にどうしようもない連中だ。十年間が一日で無駄にされ、その時間は二度と帰ってこないと気づいてどうしようもなく怒りがこみ上げてきた。
泣きたいのに涙は出ないのはすでに感情の大部分を憎しみに支配されているからだろう。
私はポケットから牧田恵子の名刺を取り出すとスマホの通話画面にした。
「お待ちしていました。早かったですね」
「あの話はまだ有効かしら何時に会える?」
牧田が電話の向こうで微笑んだような気がした。
「すぐにお迎えに上がります15分ほどですが大丈夫ですか」
私は大丈夫と言って電話を切った。
支度をして荷物を持って玄関に下りるとお気に入りの靴も1足だけスーツケースに入れた。義父は座ったまま目を合わせようともしなかった。
玄関を出ると飛び出したはずのダンナが脇でタバコを吸っていて鉢合するかんじになった。私が出て行くのを待っていたのだろう。
「私の通帳返してくれる」
「何言ってんだ、あれ会社の金からの流用だろ俺のだろ、そっちこそ印鑑よこせ」
スーツケースを見てほっとしたのか妙に強気だ。なんて小さい男だろう。
「何を言っているのかわからないわ、あれは私の給料から貯めたものよ、あなたのお給料とは別にね。帳簿にもちゃんと計上しているし税金だって私が払ってる、返さないなら警察に行くけど」
「嘘言うな、五百万も貯められるはず無いだろ」
「あなたバカよね、毎月きっちり五万ずつ八年も続ければ貯まるの、貯金もせずに使うことしか考えない人には理解不能だろうけど、さあ、返して!」
ダンナ、違う!元ダンナとしよう。私の突っ込みようのない正当な言葉に反撃もできずに渋々と通帳を出した。
「あとこのお給料分のほかに、北村商店役員としての退職金と慰謝料、財産分与は、別の事として弁護士と相談するから」
この男共済基金など知らないだろうからそっちはあとで自分でやるか。金融関係が苦手で私任せだったことを後悔するがいいわ。
元ダンナは何か言おうとしているが意味も分からずさらには金額も想像できずに泣きそうだ。
自分の犯した過ちに気付くのも時間の問題だろう。自分の会社の本当の経営者が誰だったのか思い知れ。
そんな私の思惑を手助けするように私達の前に漆黒のメルセデスが静かに止まった。助手席が開き牧田恵子が降りてきた。唖然とする元ダンナ。
「お待たせしました智子様。お荷物はこちらに、どうぞお乗りください」
牧田恵子が深々と頭を下げ丁寧に荷物を受け取ってから、後部座席のドアを開けて私をエスコートする。
私も内心縮み上がったが、あくまで冷静に元ダンナを見た。
口をぽかんと開けた情けない顔、確かにこれに比べたら高須のダンナのほうがましだ。
「ど、どど、ど、どういうことだよ」
どもる元ダンナに冷たく視線を送る。
「私ぐらいになるとスカウトする所もあるの」
理解に苦しむ顔をする元ダンナが何か言おうとするのを無視して続ける。
「新しい奥さん、ちゃんとコンビニの経営できればいいわね、じゃあね」
そう言うと、はっとして私を見た元ダンナを無視して車に乗り込んだ。
牧田恵子が元ダンナを「チキン野郎ですね」と言ったのがなんかおかしくて笑った。
車が静かに走り出した。後は悠斗を取り返す。
私は車窓を流れる見慣れた風景を見送りながら無駄になった十年のために一度目を閉じてから一粒だけ涙を流した。
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