第2話 ヨネタヒロキ1

 その女が現れたのは妻と病院に行った次の日、つまり今日だ。

 俺は規格品のデザイン家具を組み立てる工場で働いている。

 何の才能もいらない使い捨てOKの工場作業員だ。

 今日も真面目に午前中の作業をこなし昼休みのチャイムを聞いた。

 昼休みは工場内にある社員食堂で三百二十円の日替わりA定食をいただくのが毎度の事なのだが、今日は珍しく妻が弁当を作ってくれた。久々の愛妻弁当を同僚にからかわれるのが嫌で車の中でこっそりといただく事にしたのだ。

 郊外の工場に車通勤で助かったと胸をなでおろす。

 午前中の作業終了のアナウンスと同時に駐車場専用の出入口に向かう。自動ドアの横に設置された自動販売機でキンキンに冷えたダイエットコーラを買って車に急ぐ。妻は嫌がるが飯にはコーラ派の俺の昼の楽しみでやめられない習慣だ。やたら広い敷地が冷えたコーラの温度を上げるのが嫌で早足になった。

一昨日からのひどい腹痛で病院へ行った事がきっかけではあるが妻が弁当を作ってくれるのはいつ以来だろうと思う。腹痛は急性胃腸炎で嘔吐と下痢を繰り返し熱にうなされ死ぬかと思ったのは間違いない、ただ医者のヤローが「子供によく見られるものです」とか笑いながらぬかしたのがちょっと悔しいなと思いつつ、ストレスなどではない事に複雑な気持ちだ。

 そんなストレスとは無縁な俺に気を使ったのか、家を出る時この弁当を手渡された。ヘルシーなモノを食って健康第一でしっかり稼げと言う事だろう。コーラもだめとか言われたような気もするがスルーした。

 そういえば昔はよく妻と二人で写真を撮りに出かけた思い出がよみがえる。

 二人で撮影会などと言って出かけた先でランチボックスいっぱいの手作りの弁当を食べたものだ。若かった二人のデートは金も無く俺の夢のために過ごした。

 今でも金は無いが弁当デートの当時を思い出し懐かしくなる。

 専門学校を出てしばらくプロのフォトグラファーのアシスタントをしていた。辛く楽しい経験で俺の青春を賭けた大事な思い出だ。それと同時に写真を撮ってメシを食うだけの才能がないと気づいてカメラを辞めた事も同時に思い出した。

 アシスタントで七年、重い機材を運ぶ事も師匠に怒鳴られる事も苦労とは思わなかった。

 それでも若さが削られるごとに物事の道理や世の中が見えた。結婚するとそれなりの稼ぎも必要になってくる。

 後輩の写真がクライアントにもてはやされる頃には、同じプロでもタレントのスキャンダルを狙うようになっていた。まあ、ただのバイトみたいなことだからプロでもないな、今となっては才能の無さを露呈する笑い話だが、自分の想うモノと違うモノを生み出して、自分の好きなカメラを穢していく苦しみは俺自身を傷つけた。

 そんな、なけなしの才能の脅迫から楽になりたくて後生大事にしがみついていたカメラを手放した。カメラを放した俺は自分の両手を見つめなおした。

 いったいこの手は何ができるのだろう?何をなすべきか解らずにもがく、一年もがいたが結局何も出来ないことに気づいた。

 カメラを捨てて世の中に役立たずのオジサンを一人増やしただけだった。

 夢を諦めてから普通に笑えるようになるまで随分と時間がかかったなと思いながら車の前に立ち弁当片手にドアノブに手をかけた。

「米田弘樹さんですか」

 不意に名前を呼ばれ振り返るとその女が立っていた。

 色白な女は黒いスーツ姿で、そのスーツが晴れた空を背景とした駐車場の空間にポツリと開いた深い穴みたいに見えるのが不気味で言葉が出ない。

「米田弘樹さん、三十四歳ですよね」

 女は無表情のまま首を少し傾け俺を見つめる。その不気味な黒い穴に年齢まで言われ嫌な気分で答える。

「何か用か?」

 恐る恐る聞いた俺に女は口元だけニコリと笑うと名刺を差し出した。

「技能仲介業?才能買取人?」

 牧田と名のる女の名刺に書かれた業務内容の意味が判らずに俺は立ち尽くした。

 女は相変わらず口元だけ笑顔でこちらに視線を向けたまま俺の反応をうかがっている。

 不思議なほど妖しい美人に反応した俺の何処かの器官が、恥ずかしいほど体全体に汗を吹きださせる。

「何かの売り込みか?金ならねーぞ」

 牧田は表情を変えずに右手で自分のおでこをポンと叩くと口元だけでフフッと声を出した。俺は何か可笑しなことを言ったのか?困惑して女の表情に目を細めた。

 長い髪の毛が風に流れる。乱れた髪の毛を右手でそっと掻き上げ耳に掛けた。

 ハッとして目が離せなくなる。

 その顔や動作が美しすぎて封印していたカメラを引きずり出しそれに収めたいと思った。

 そんな衝動はすごく久しぶりで、たまらず大きく息を吐き出す。

「写真を……撮りたくなったのですね」

 牧田は営業職ならではの真剣な顔に戻り俺に告げた。

 見透かされた俺は悪戯のばれた小学生みたいに姿勢を正す。カメラが趣味ですなんて言っても普通なら恥ずかしくも無いのだろう。だが俺は違う、一度は本気で目指したという事実は俺に何かの呪文みたいに絡みついて口にするのもおぞましかった。今の生活にカメラは不要でスマホのカメラ機能は使われることなく無駄にしている。

「そんな、えっ、なんで写真?」

 新手の詐欺か?と思ったのは確かだ。けど何でそんな事がわかるのだろう、疑問は尽きないまま焦って後ろに下がると、車のドアに体が当たり逃げ場を失うような姿勢になる。

 そもそもこの女は何の仲介をするのだろう。どこを見ても金なんて持っていなさそうな俺を捕まえて、誰かの悪戯なのか?

「警戒しないでください、お金なんて目的じゃないですから。ただあなたは適合者なのです。いま売り出そうという超優良才能のです」

 適合者、超優良才能?まさかこの年で別の道で職人にでもなれと言う事か……

 ハッ、わかったぞ!

 資格か何かの講座やテキストの販売か、そういうことか。なるほど、俺がただの流れ作業の組み立て工で、取柄の無い社員だからリストラ対策でスキルアップにどうですか?とか、転職に有利ですとか、どう見ても後がない惨めそうなのを適当に探していたのだろう。

「あいにく今の自分に満足しているから、資格とか別にとる気ないよ、それにしてもあんた、よくこの敷地に入れたね。上の許可は取ってんの?それとも誰かの知り合いとか」

 営業の牧田はキョトンとしてこちらを見ていたがすぐにサディスティックな表情に変わり汚物でも見るような蔑む視線で俺を睨んだ。

「別に勧誘ではないですよ、あなたにその気がないなら適合者拒否と言う事で処理しますのでご心配なく、ただ誰でも適合するわけではないので私の説明だけ聞いて嫌なら断ってください、すぐにナンバーAの3に切り替えますので」

 ナンバーAの3がいると言う事は、俺は2番で1番じゃない、変な悔しさがこみ上げる。

「1番はどうしたんだよ?」

 俺は目を細めて視線を逸らし、口笛でも吹くように極力興味のない風に聞いた。

「1番ですか……その方は、とんだチキン野郎でした。せっかくのチャンスを生かそうとしないなんてかわいそうな人です。たかが寿命二十年ぐらいで怖気づいて平凡で長い人生を生きる事を選んだのです。まあ、あなたも同じようですが」

 美しい顔が侮蔑を含み歪んでいくのを見て、さらに写真への衝動が強くなる。俺はマゾなのかもしれないと思い始める。

 それにしても寿命二十年とは何なのだろう。話がオカルトじみてわけの分からない方に流れ出しているが新興宗教などではなさそうだし。

「話し聞かせろよ」

 小さい声で言ったにも関わらず牧田は勝ち誇った顔をした。

「早速ですが説明しますね。それでは車に乗りましょう。外は暑いですから」

 切り替えが早いのか、そう言って助手席側に回った牧田に唖然としながらも車のロックを解除して中に入れ、エンジンを始動した。牧田が勝手にエアコンのレベルを最大にして営業スマイルで俺に笑いかけた。人の車でこらえ性がないのか?

 よくわからない女だ。

 エアコンの吹き出し口からゴーと大きい音と共に生温い空気が噴出してくる。

 自然に牧田の声が大きくなり耳につくノイズと化す。俺は不思議と追い詰められた気持ちになり汗ばんだ顔をゆっくりと右手でなでた。

「それでは、改めまして買取り人の牧田恵子ですよろしくお願いします。まず始めに注意しておきますが、契約後のキャンセルには応じられませんのでご了承ください」

 そう言ってA4ぐらいの用紙を差し出した。そこにはキャンセルの事、自分の才能についての注意、悪用の禁止と事故による死亡は責任を取らないみたいな事が何行か書かれていて最後にCGSとロゴが記されている。名刺にも同じものがあった。

「CGSってなんだよ?」

「我々の総称です。この世界の言語でCreation group of the soul、私はその中の芸術技能部門にいます。それが技能仲介業、才能買取人です。買取人に成るの結構たいへんなんですよ」

 そう言って定期入れみたいなケースを俺のほうに見せた。本人の顔写真と見たことのない文字で構成された免許証のような物としか表現できないカード、そんなものを見せられてもどう理解すればいいか悩むだけなのに牧田はうっすらとドヤ顔を見せている。褒めたほうがいいのだろうか? 俺としてはかなり如何わしいモノとしか思えない。

 そんな俺にはお構いなしで話を進める牧田。

「今回の才能は非常にレアな物で、あなた一人で請け負うには43年の寿命が必要になります。一人で請け負うのもありですがさすがにそれでは五年足らずで死んでしまうのでせっかくの才能が無駄になります。それでは元も子もないので、此方としてはもう一人、2人で半分ずつ請け負っていただく形になります」

「ちょっと待って、ほんとに寿命と引き換えに何かするの?どうやって」

 牧田は今から説明しますといって微笑んだ。さっきまでのサディストの顔ではない。

 カバンからタブレットを取り出しおもむろに操作し始める。

 相変わらず車の中はエアコンの音で煩わしい。

「米田さんから計測、試算された予想ライフゲージによれば事故死などの突発的事象がなければ可能性の未来で八十五年の人生を生きます。なんの変哲もない人生です。ささやかで刺激のない人生……言い換えればつつましく貧しいですね~あっ、身体だけは丈夫ですので肉体労働者としては問題ないです。どうぞ死ぬまで働いてください。きついですよ、四十過ぎての肉体労働は」

 笑顔で優しく話しているがいちいち引っかかる言動だ。やはりこの女の本質はSで間違いないだろう。微笑みに棘がある。

 まあ体が丈夫なのはうれしい、「健康で働けるのは何より宝だよ」と、死んだばあちゃんに言われて育った俺にしてみればそれで十分な気もする。けれど貧乏はいやだ。この年になると将来の可能性など無いも同然、幸せな希望みたいなモノも諦め時だ。

 一生抜け出せない自分のポジションにも、うすうす気づいている。

 ふと、妻の顔が浮かぶ。才能のない俺を選んでくれた女は安月給にも文句一つ言わないで尽くしてくれる。それでも俺は妻に何も返すことができない。

「それで今回の提案なのですが、米田さんの寿命二十年分と引き換えにあふれる才能を請け負ってもらい、すばらしい人生を謳歌していただこう。というプランなのですが、いかがでしょう。今ならいくつかの特典もサービスいたします。さあ何か質問は?」

 もう自分の警戒心など何処かへ消えてしまい、知らずに幻想へと誘われオカルトの世界を受け入れたのかもしれないなと思う。昼間だと言うのに俺の自律神経は副交感神経へと切り替わりまともな判断を妨げている。ぶら下げられた餌が魅力的に見え始め、牧田の言う事が正しい俺の人生の送りかたに思える。

「変な薬を打ったり、脳をいじって俺の望む才能が開花するのか?それで時間が来たら地獄の番犬に食い殺されるとか、暴走して化け物になるなんてゴメンだぜ」

 俺が真剣に聞いたのに牧田は失笑気味に言った。

「米田さん、それ何処かの国の人気ドラマの見すぎです。私たちの公的機関で認可された人体に優しい薬物しか使わないし、だいたい地獄と呼ばれる所に番犬なんて居ませんよ。安心してください。米田さんは寿命がくるまで質のよい素晴しい作品を作ってくれればいいです。うまくいけばお金持ちにもなれますよ」

 海外ドラマ好きの俺はそうなのかと胸をなでおろす。信じた訳ではないのだが。

「しかしですね、都合のいいことばかりでもないです。米田さんは写真家として開花したいと思ってらっしゃるようですが?」

 俺は今更で恥ずかしさもあるが「はい」と潔い返事をした。

「そうですか、こちらとしましてもかなえて差し上げたいのですが、適合したからといって必ずしも希望の才能が開花するわけでもないのです」

「と、言うと?」

 契約もしてないのに不安になってきた。

 俺の望むモノでない事に寿命を差し出すなんて損なのではと思い始めると、それを察したのか牧田はあわてて付け足した。

「希望の才能が開花する率は七十パーセントくらいですよ、ほら、好きこそ物の上手なれとか言うじゃないですか、それに八十過ぎまでつまらない人生送るよりも才能を武器に派手に生きる事のほうが意味ある人生と思いますが」

 あきらかな動揺はほっておいて少し考えこんだ。六十過ぎで派手に死ぬか八十五歳でひっそりと逝く、リアルにどっちもアリだな。

「方法はどうやる?薬とか使うようだけど、苦痛を伴うとか嫌だな」

 イタイの嫌とか少女じゃねえか、我ながら情けねえと思っていると牧田が察したように笑い、苦痛の無いことを告げた。

「ただ当事者にお集まりいただくだけで、その時少しだけ機械的な違和感を伴います」

 車の外を同僚がチラ見して通りすぎた。俺は軽く手を上げて挨拶したが無視するように行ってしまった。牧田はもう契約する気でいる。妻に相談したいところだが早死にするなんて言ったら反対必須だろう、多分だけど。

「どうします。ビンボーチキン野郎のまま八十五年の人生を歩みますか」

 まったくトゲのあるドS女だな。

 俺は結婚する前の言葉を引っ張り出して自分の現状と照らし合わせた。

(俺の才能を信じてくれ、絶対プロのフォトグラファーになる。最初のモデルはお前だから、幸せにするから)

 どんなに消そうとしても一度言った言葉は取り消すことができない。ドッキリじゃなければ約束を果たせるチャンスが目の前にある。愛する妻に俺の命をささげることに躊躇いなんていらないだろう。迷うなと自分に言い聞かせる。

「わかった、やるよ、俺の寿命二十年持っていけ」

 結局こうなるか、はっきり言って信じていない、ほんとに寿命という概念が予想できるのかどうかも怪しい所だが、俺の気持ちの表現だと思えば納得がいく。

「ありがとうございます。それではこちらにサインをお願いします。後日お迎えに上がりますのでよろしく。あっ、これは粗品です寿命時計」

 そう言って契約書にサインした俺の手にビー玉みたいな物を握らせた。それは調光式の電球みたいにゆっくりと強い光を放ち消えた。つよい光に目が眩んだが驚きはしなかった。

 それでも消えてしまった物体には困惑した。

「なんだ、驚かないんですね、つまらない」

 どうせまたチキン野郎とか罵りたかったのだろう。牧田は寿命時計の使い方を説明して何の余韻も残さずに去っていった。まるで俺など最初から居なかったような態度は人を置き去りにする喜びに満ちているようだった。

 取り残された俺はしばらく呆気に取られ狐にでもつままれたような気持ちになるがすぐに現実に引き戻された。エアコンの摘みを1にして風の出る音を小さくするとなぜかほっとした。

 張り詰めていたのかと思いながら弁当を食べてなかったなと思い出す。時計を見ると昼休みがあと五分しかない事に気づき、慌てた俺は急いで弁当をかっこむと、泣く泣く温くなったコーラで流し込んだ。そのまま一服も出来ずに走って持ち場に戻った。

 長い夢から覚めたばかりのように、いまひとつ現実に戻りきらない身魂を引きずるように仕事に没頭する。この違和感を忘れるには仕事しかない。得体の知れないものに触れたみたいに今になって怖さが湧き出してきた。

 後ろから声がする。

「米田さあ、さっきは車で何していたんだ?誰かと話しているみたいなまねして車の中で宴会芸の練習でもしてた?一人でよくやるよ、なんか邪魔するのわるいから無視したみたいで悪かったな」

 同僚が笑って去っていくと、機械類の熱い排気が俺の周りにこびりついて目が眩む。

 俺の現実は当分戻りそうに無い事を悟った。しばらく仕事を休んで一度リセットしないといけないなとか女子みたいな事を考えていた。

 パワースポットめぐりもいいな。あきれる妻の顔が浮かぶ。


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