第2話
少し気まずい空気になってしまった二人は、しばらく言葉を交わさなかった。
しかし悠長にしている時間は無いと考え直して、お互いに同じタイミングで視線を合わせた。
「あと気になったものは……この学校が気に入った生徒を、呑み込むというものです」
「ああ、それですか。田中君は、何が気になりましたか?」
一度話を再開してしまえば、元の空気に戻るのは早かった。
座っていた席を近づけて、顔がくっつきそうな距離で本を覗き込む。
「気になったのは、ある時期から先生以外も選ばれるようになったことです。こうなるのに、何かきっかけがあったわけですよね。それは、どういうものだったのでしょう」
涼太は、本の中にある部分を指す。
そこには、行方不明になっていた人の、名前と年齢と期間が年表でまとめられていた。
とある年までは、被害者は先生しかいなかった。
しかし、その年を境に生徒の名前も混じるようになる。
何かが起きなくては、こうはならないだろう。
そう涼太は考えた。
「きっかけは分かっています。この先生が、そう仕向けたのです」
「伊藤……駿二、ですか」
その考えは当たっていて、洋一は年表に書かれている名前を指す。
伊藤駿二、三十八歳。
彼は異常であると、涼太にもすぐに分かった。
年表を見れば、明らかだったのだ。
「そこを見れば分かるように、伊藤は歴代の中でも最長の三年という時間、学校に気に入られ行方不明となっていました」
「三年、ですか。そんなに長い間。何か……影響はあったはずですよね? 普通、人一人がいなくなれば、違和感が出てくるでしょう」
ほとんどの人の、行方不明になった期間は、平均的に見ると一ヶ月ぐらい。
早いもので数日、長くても二ヶ月なのを考えると、三年がどれだけ長かったのか分かるだろう。
「違和感が出れば、どんなに良かったのでしょうかね。しかし実際は、誰も何も気が付かなかった」
涼太は何かを言おうとして、言葉が出なかった。
「家族も同僚も上司も生徒達も恋人も、誰一人としてね。いなくても、日常は変わらず過ぎていきました」
「とても、とても辛いことですよね。いなくなったのに、誰にも気づいてもらえないなんて」
「更に酷なのは、それを本人が間近で見ていた可能性があるということです」
「ま、間近で、ですか?」
何とか言葉を返したのだが、今度は絶句してしまう。
「はい。気に入られてしまった者は、学校の一部になってしまう可能性があります。その場合、姿が見えなくても存在はあります。分かりやすく言いますと、透明人間みたいなものです」
涼太の返事は無くなっても、洋一は気にすることなく話を続けた。
「どういった気持ちだったのでしょうね。自らは、自分がいなくなった世界が見える。しかし決して、向こうには気が付いてもらえない。自分がいなくても、世界に支障はない」
洋一は席から立ち上がり、せわしなく部屋の中を動き回った。
そして席に戻ってくる頃には、腕にたくさんの資料を抱えていた。
「これは、残っている伊藤の資料です。たくさんあるように見えると思いますが、彼だけのを集めると少量しかありません」
資料は数冊あっても、伊藤の情報が載っているのは数ページ。
十年以上の間に彼に起こったことは、ここまでまとめられてしまうものだった。
普通だったら、おかしい。
十年以上働いていれば、ささいなことでも情報が集まるはずだ。
三年の行方不明期間が、そうさせてしまったのか。
「どうして、こうなってしまったのか。この写真を見れば、明らかでしょう」
涼太の前に、二枚の写真が置かれた。
どちらの写真にも、同じ男性が写っている。
しかし、まとっている表情や雰囲気が、全く違っていた。
一つの写真は、自身に満ち溢れていて若々しく、陽の気をまとっている。
もう一つの写真は、同じ人物とは思えないぐらい、くたびれしなびて目は絶望し、陰の気をまとっていた。
二枚の写真の間に、何かが彼の身に起きたのは確実だった。
そしてそれは、どう考えたとしても、行方不明になったことが関係している。
「三年もの間、誰にも気づかれず存在をないものとされていたのですから、こうなるのは当然の末路でしょう。最初に学校と一体化した時は、助けを求めたはずですからね。話しかけて、通じないと分かると叫んだ。それこそ喉が嗄れるまで。叫んで叫んで、叫び疲れて、伸ばした手はすり抜けていった」
まるで、その時の伊藤の様子を表現するかのごとく、洋一は手を伸ばした。
しかし、手はむなしく空を切った。
「何度も何度も試して、全部が失敗に終わった。時間が経てば、諦めの感情も抱いたのでしょう。一ヵ月、二ヶ月、半年、変わることが出来ずにいれば、二度と戻ることは出来ないと覚悟した」
次は、涼太の方に手を伸ばす。
「しかし、三年の月日が経ったある日、何かのきっかけで元に戻った。三年ぶりに認識されて、触れ合える。素直にその事実を喜ぶことが出来たら、まだ平和だった」
洋一の手は肩の辺りを触れ、すぐに離れていった。
「何故、今更になって。伊藤の胸を占めた感情は、喜びではなく怒りだった。今まで散々無視をしてきたくせに、それを忘れたかのように何事もなく接してくる。あまりにも虫が良すぎる話に、怒りを溜めていき、ついには
爆発してしまった」
離れていった手は、最初に出した本の元に戻っていく。
「爆発した先は、本来なら守るべき存在であるはずの、生徒に向けられた。だから彼は、もう一度学校に呑み込まれるという暴挙に出てしまったのです」
洋一の指の先には、年表があった。
そして、伊藤の名前も。
二回目の登場だ。
「二回目の期間は、一日ととても短かったです。しかし、それで十分でした。一日あれば、意識を変えさせることなど簡単だったわけです」
次の名前は先生だったが、その次は生徒だった。
そしてそこからは、先生と生徒の名前が入り混じるようになる。
こうなったのには、伊藤が一枚噛んでいるというわけだ。
「きっとそれほどの憎しみや、怒りだったのでしょう。こうなる前は、生徒思いの先生だったそうですから、残念で仕方ありません」
小さなため息が吐き出された。
「まあ、いなくなった人が戻ってきても、生活に支障が無いのは良い面もあり、そうでもない面もある。それが分かってしまった出来事だったわけです」
洋一の指は離れることなく、年表の上をなぞっていく。
それはするすると滑らかに動いていき、ゆっくりと止まった。
「さて、現在のこの彼は、どうなるのでしょうかね」
指の先には、現在呑み込まれている者の名前があった。
彼の名前の下には十七歳、という年齢が書かれていた。
「この状況が、本当に伊藤が望んでいるものか。今となっては分かりません。彼もまた、現在はどこで何をしているのか、全く分からないのですから」
洋一は、またため息を吐いた。
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