第2話





 和泉は一人、誰もいない廊下を歩いていた。


 はじめは体育館の正面入り口から、勝太と一緒に行動していたのだが、途中ではぐれてしまった。

 和泉はずっと二人でと考えていたのに、気が付けば勝太の姿は無かった。


「もう、最悪なんですけど」


 そのせいでテンションは地に着くぐらい、下がってしまっている。

 文句を言いながら、隠れ場所を探していた。

 候補など考えておらず、あてもなく歩いている。


「一番に捕まっても、いいな。別に罰ゲームなんて、そうそう大したことしないでしょう。それよりも埃臭そうな場所に隠れる方が、嫌に決まっている」


 勝太のいる前とは違う、性格の悪さを前面に出した醜い表情。

 ゆるふわ女子に擬態するのが、とても上手だ。


「蓮治に見つけてもらうために、目立つ場所にいようかな。……それは、さすがに怒られるかあ」


 一人で色々と言いながら、トイレの中に入った。

 そして鏡を前にして、多少の髪型の崩れを整える。


「うわ、最悪。メイク崩れちゃっている。美樹、分かっていて黙っていたとしたら、後でぶっ殺す」


 その途中で、つけまつげがずれているのに気が付いた。

 慌てて直すが、上手くできなくて、地の底の奥までテンションは下がった。


「それにしても、誰よ。かくれんぼしようなんて言い出したの。子供じゃないんだから。カラオケとかゲームセンターに行きたかった」


 自身も賛成したのに関わらず、文句は止まらない。

 今は、何が起こっても、テンションを下げる理由にしかならない。


「本当に誰が言い出したんだっけ。勝太じゃないし、美樹や蓮治でもなかったよね。それじゃあ、京介? ……それも違う気がする……。……え? それじゃあ誰?」


 まつげを直していた手を止めて、和泉は真剣に少し前までのことを思い出そうとする。


 あの時、五人で輪になって座り、話をしていた。

 和泉の両脇に勝太と美樹が座り、美樹の隣に蓮治、蓮治の隣に京介。

 京介の隣には勝太が、


「違う」


 いなかった。

 京介と勝太の間には誰かがいた。


 その誰かが、かくれんぼをしようと言い出したのだ。

 和泉は、それが誰だったのかを必死に思い出す。

 しかし全く顔が出てこない。


 今日の出来事なのに、思い出せないのはおかしい。

 そして、知らない人がいたのに、全く変だと思っていなかったことだって。


「あれは誰? 何なの?」


 和泉は頭を抱える。

 急な展開に、脳が追い付いていないせいだった。


「気持ち悪い」


 あまり考えすぎると、頭が痛くなってきたみたいで、頭を押さえたままフラフラと個室の中に入る。

 便器は洋式なので、落ち着いていられると考えたからだ。

 便器の蓋を閉めて、その上に座った。


「面倒くさい。気持ち悪い。さっさと一時間、過ぎないかな」


 このまま時間になるまで、トイレに隠れていよう。

 そう考えた和泉は、残り時間を確かめるために、スマートフォンを制服のポケットから取り出した。


「……は?」


 画面を見て、今日一番の大きな声が出てしまう。


 それも無理はない。

 表示されている時間は、四時四十四分で止まっていた。

 そこから進む気配もない。


「壊れた? 電波悪い? どういうこと?」


 パニックになった和泉は、慌てて個室から出ようとした。

 しかし鍵を開けようとした手は、止まらざるを得なかった。


 強烈な悪臭が、辺りに漂い勢いよく吸い込んでしまったためだ。


「ごほっごほっ。くさっ、何? 何なの?」


 今まで嗅いだ中で、一番の臭い。

 それが急に鼻に入ってきて、むせてしまう。

 咳が止まらなくなり、涙もにじんでいた。


 しかし臭いは、どんどん強くなる。

 息をするのも辛くなるぐらいに、ついにはなった。


「き、気持ち悪い! 誰だよ! ふざけんなよ!」


 臭いの正体が、何かは分からない時点であるのに、和泉はそれに向かって苛立ちをぶつけた。

 怒鳴りながら、扉を強く蹴ったのだ。


 大きな音を立てて、扉が振動する。

 そして静寂が訪れた。


 臭いの強さは変わらないので、どこにも行っていない。

 しかし、何の反応も返ってきていない。


 それを無視されたと判断した和泉は、臭いのことは忘れて深く息を吸い込んだ。


「おい! 無視してんじゃないよ! 臭いから、どっかに行け!」


 何度も何度も蹴り、靴の痕を残した。

 何十回も蹴ると、足に鈍い痛みが走り、呼吸も荒くなる。


 肩で息をして、それでも向こうから返事が無いのに気が付くと、苛立ちは最高潮に達した。


「ふざけんじゃない! さっさと顔を見せろ!」


 頭に血が上った和泉は、鍵を外して扉を蹴り開けた。


 そして、それと対峙する。


「……ひっ」


 鼻の先が付くのではないかという距離に、とてつもない悪臭をはなったヘドロがいた。

 ぼたぼたと泥のような塊を落としながら、和泉をじっと見る。


 恐怖から動くことも出来ずに、個室に逃げ込もうとした。

 その前に回り込まれてしまい、逃げることは叶わなかったのだが。

 逃げ場をふさがれて、他にする術を持っていない。


「……ひ、ひい……たすけ……」


 口から出た救いの言葉は、相手に通じなかった。


 そして、どうすることも出来ず、そのまま呑み込まれた。





「みいつけたあ」



 ━━━━━━━━━━━━━━━



 美樹は、保健室でベッドに横になっていた。


 きちんと養護教諭には了解を得ていて、体調が悪いふりをして騙したのだ。

 ここなら探しに来ても、わざわざベッドの中までは見ないだろう。


 運動部に所属しているので、保健室に来る機会は多く、この隠れ場所をすぐに思いついた。


 彼氏である蓮治は、デリカシーが無いから見にくる可能性もあり得ないわけではないが、今は養護教諭が部屋にいるので注意してくれるだろう。

 そういった諸々の要素が集まって、絶好の隠れ場所だと考えた。


 カリカリとペンを走らせる音だけが、耳に入ってくる。

 それは不快ではなく、むしろ心地が良かった。

 そのため、うとうとまどろみ始めて、いつしか眠りについていた。


 温かいベッド。マットは固いが、少し寝るだけなら特に気になりはしない。

 そのおかげで、随分と長い時間、眠ってしまったようだ。

 あくびまじりに起き上がった時には、外はすっかりと暗くなっていた。


「ふわああああ。今、何時?」


 大きな伸びをし、ベッドからゆっくりと足を下ろすと、養護教諭の姿が無いことに気が付いた。

 外が暗いので、もしかしたら帰ったのかもしれない。


 声をかけてこなかったことに、美樹は憤りを感じた。


「え? もしかして置いて行かれた? そうだとしたら最悪なんだけど。本当、今何時なの? もしかして、かくれんぼの時間も終わっている?」


 ベッドに座ったまま、美樹はポケットを探った。

 そこにはスマートフォンが入っていて、時間を確認しようとしたのだ。


「あれ? あれ? な、無い?」


 しかしポケットの中には、何も入っていなかった。

 いつも絶対に入れているはずなので、美樹は焦ってしまう。

 逆側のポケットを探ってみると、そこには何も無い。


「え……寝る前には、あったよね……え、ベッド……?」


 寝ている間に落としたのかと思い、ベッドの掛布団をめくり上げ、必死に探し出す。

 めくるだけでは物足りないと、別のベッドに移動もさせた。


 それでも、どこにも無かった。


「本当、最悪。どうするのよ」


 美樹は不機嫌そうな顔を隠そうともせず、ベッドから降りた。

 そして誰もいない保健室から出て、様子を窺う。


 遠くで部活をしている生徒の声が聞こえてきて、美樹は安堵のため息を吐いた。

 そこまで遅い時間では無いようだ。


 保健室に戻り、壁にかかっている時計を見た。

 時間は五時四十八分を示していた。


「終わっている。私、勝ったってこと? それで置いて行かれた?」


 終了時間が過ぎているのを確認すると、美樹は体育館に向かう。

 そこには、荷物が置いてあるからだ。


「もし帰っていたら、明日ジュースでも奢ってもらうから。いや、もっと高いものにしよう」


 文句を言いながら、保健室から体育館までの道のりを歩く。

 少し遠いので、美樹はそれにさえも苛ついていた。

 ささいなことでも、苛立ちに直結する年頃だった。


 体育館に着くと、全員の荷物をまとめておいた場所に行く。


「……あれ?」


 そこには、五つの鞄が置いてあった。


「もしかして、時間になったのに気が付いていない?」


 連絡を取ろうとしたのだが、スマートフォンが無いので出来なかった。

 そのため、探そうと考えたのだが。


「歩くの面倒くさいし、待っているかな」


 面倒だからと、すぐに止めた。

 床に座り込んだ美樹は、府と遠くの地面が汚れているのに気が付く。


「何あれ。泥?」


 はいはい歩きで近づいてみると、それは乾いた土に見えた。

 体育館の中を、土足で入ったのだろうか。

 ひとつまみして、じっと観察する。


「普通の土じゃないみたい。うーん……うわっ。臭い」


 指で潰して砕いて、鼻に近づけると凄まじい臭いで、慌てて嗅ぐのを止めた。

 指に臭いが付いてしまったので、手を洗うことにした。


 体育館にあるトイレの水道に行こうとした時、美樹はどうでもいいことを思い出す。


「あそこ、蓮治がいたところだったような……?」


 しかし、どうでも良いことだと、すぐに忘れてしまった。




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