狙われた先生

第1話






 伊藤駿二は、この高校で先生をしている。


 もう十年以上、異動することなく石丘高校にいるので、先生の中ではベテランの立ち位置だった。

 それもあり、何か困ったことが起きると、全てが伊藤の元に相談という形で届いた。


 伊藤も長年の経験を活かして、ほとんど解決してしまうのだから、頼られるのも納得である。

 しかし十年以上いるといっても、伊藤はまだ四十歳にもなっていない若さだった。

 つまり初の勤務先がこの高校で、そのままずっといるわけだ。


 伊藤は、担当が歴史ではあるが、いつも白衣を着ている。

 白衣が一番楽だというのが、本人談である。

 しかし生徒の間では、童顔だからではないかと噂されていた。

 スーツも白衣も着ていないと、学生にまぎれこめそうなほど若く見えるのだ。


 たまたま白衣を着るのを忘れた時に、新任の先生に新入生だと間違えられた事件は、在校生の間で面白話として広まっている。


 顔は童顔、それでは性格はどうかというと、生徒から舐められやすいと言えば分かるだろうか。

 穏やかで怒ることなど無いので、周囲がどんどん調子に乗っていく。


 嫌われているわけではなかったが、先生として敬われる状況にもならなかった。


 当の本人は、それに対して受け入れているのか、特に何も注意しない。

 そのせいで、更に行動を助長させていた。

 まるで同級生と同じように、伊藤は生徒から接しられている。


 それが当たり前だと、全員が慣れてしまっていた。





 伊藤の様子がおかしい。


 それに気が付いたのは、一体誰だったか。

 いつの間にか学校中に、話は広まっていた。


「伊藤先生、何か変わったよね」


「確かに変わった。でも、どこがって聞かれると困るけど」


「分かる。でも、何かが違うよね」


 変化したのに気が付いても、何が変わったのかは誰も分からなかった。

 そのため、もやもやとしながら、先生の様子を静かに窺っていた。


 授業中も、いつも騒がしい教室が静まり返っている。

 真面目に話を聞いているわけではない。

 伊藤を、ずっと観察しているからだ。


 そんないつもとは違う中、伊藤は気にした様子もなく、淡々と授業を行った。


「ここはテストに出ますからね。年号、人物、地域、全てをきちんと覚えておきましょう。理解して覚えないと、頭が混乱してしまいますから。最初にきちんと覚えておく方が、後々楽になります」


 黒板にチョークを走らせながら、生徒を視界に入れることなく説明をする。

 その様子も、普段とは違うものだった。


「要点だけ覚えて、プラスの知識は覚えたい人だけ入れれば良いです。そこまでは私もテストに出しませんし、入試でも出たことは無いです」


「……先生!」


「はい、何でしょうか?」


 説明を伊藤がするだけの授業。


 その空間を破ったのは、一人の生徒だった。

 彼女の名前は、相田理香。

 学級委員長であり、何かあった時に率先して行動するタイプだ。


 そうだからこそ、今回も即行動をした。


 理香に話しかけられた伊藤は、説明を止めて彼女の方に視線を向ける。

 穏やかな表情を浮かべているというのに、視線を受けた彼女の体は、怯えからか小さく震えた。


「あ、あの。先生は、もしかして体調が悪かったりしますか?」


 しかし他の生徒の代表として、尋ねなければならない。

 そんな独りよがりの考えで、理香はかけている眼鏡の位置を直して、問いかけた。


 伊藤は無言で、教室を見回す。

 そして生徒の注目が、自身に集まっているのを確認すると、深い深いため息を吐いた。


「……体調が悪いわけではありません。しかし何でもないと言っても、みなさんは納得しないでしょうね。…………いいでしょう。今日の授業はここまでにして、お話をしましょうか」


 黒板に書いた文字を、伊藤は丁寧に消し始める。

 丁寧に丁寧にするせいで、まるで時間稼ぎをしているように、生徒達は感じた。

 普段であれば、早くしろと促す人が出てくるはずだった。


 しかし今の伊藤に対しては、声をかける者はいなかった。


 黒板を元通り綺麗な状態にして、ようやく伊藤は話を始める。

 授業が終わるまで、残り三十分。

 長話になると、伊藤は椅子に深く座った。



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 夜の学校というものは、かくも恐ろしいものだ。


 暗い廊下の中を、懐中電灯の明かりだけを頼りに進みながら、私は恐怖を必死にやり過ごしていた。


 教師という職業を夢見て就いたはいいが、こういった類の仕事もこなさなければいけないのは、悩みどころである。


 昼間の明るさとは違い、夜の学校は静けさと禍々しさが混在している。

 私が歩いている廊下も、つい数時間前までは、生徒達の快活な声で満ち溢れていたはずだ。


 しかし今は静かすぎるせいで、外にいる鳥の鳴き声が聞こえてくる。

 それも不気味さを演出しているのだから、とても質が悪い。


 当直という制度が、何故今もあるのだろうか。

 そして、何のためにあるのだろうか。

 ほとんどボランティアに近い仕事は、しかるべき場所に訴えれば勝てる気がする。

 そんなことは、決して出来ないが。


 この見回りと、あと二時間後にもう一回。

 そうすれば、仮眠室で寝ていればいい。

 急な電話や不審者が来ない限りは、朝まで何もないはずだ。


 普段は夜更かししても平気であるのに、こういう時に限って眠気が襲ってくる。

 私は大きなあくびを一つして、ゆっくりと歩きながら施錠などの確認をしていく。


 先ほど確認した時と変わりなく、問題は無かった。

 あっても対応に困るので、無いに越したことは無い。


 見回る箇所を全て確認し終えて、私は安心する。

 仮眠室に戻るか。

 そう考え、くるりと踵を返した。



 視界の端に、何かが入った。


 しかし、それは一瞬消え去り、縦横無尽に光で照らして何もいない。

 そのため、私は気のせいだと思うことにした。


 その時、何故だかは説明出来ないが、とある怪談話を思い出す。

 生徒が面白おかしく話をしているのを、小耳に挟んだものだった。


 この高校は、百年以上の歴史がある。

 長い歴史の中で、色々な事件が起こっていた。

 そんな中に、こういったものがあったそうだ。


 学校に気に入られた教師が、学校に呑み込まれる。


 最初にその言葉を聞いた時は、馬鹿らしいと思った。

 高校生になっても、幼稚な話をしていると。


 しかし、よくよく詳細を聞くと、馬鹿にも出来なくなった。


 学校は百年続くうちに、自我を持つようになった。

 そのせいで、欲も出てきてしまったらしい。欲というのは、物欲という種類だった。


 気に入ったものを、手元に置いておきたい。

 そんな幼子のように、純粋な考え。

 しかし手に入れる方法は、全く純粋ではなかった。


 気に入った人の代わりを用意して、誰も気が付かないうちに交換してしまうというのだ。

 代わりは本人と瓜二つなので、交換してもバレることは無い。そうして交換されたまま、一生学校に閉じ込められてしまうらしい。


 そして気に入られる教師には、全員共通する部分がある。


 交換される前に、体の不調を訴えるそうなのだ。

 耳鳴りと幻聴。

 しかし頻度は少なく、微かなものなので、気のせいだと思ってしまう。


 それは、学校に呼ばれている証らしい。

 気に入った教師を見つけた学校が、干渉としているせいだという。

 そのため、古参の教師ほど体調の変化に敏感になる。


 かくいう私も、今まで気を付けていたのだが、何も無かったから大丈夫だと思っていたのかもしれない。


 しかし、今は聞こえてくるのだ。


 甲高い音が、まるで赤子の泣き声のような、そんな音。

 それが頭の中で、響いている。

 気づいていなかっただけで、ずっと聞こえていたのかもしれない。


 魅入られている。

 冷静な部分が、警鐘を鳴らす。

 このまま逃げなければ、私は私でいられなくなるかもしれない。

 そんな恐怖が包み込んだ。


 早く逃げなければ。

 そう思うのだが、仕事を放棄するのは社会人として良くないのではないか、そんな常識的な考えが行動を制限させた。


 その時、私の肩に手が置かれた。

 指の感触まではっきりと分かるので、人間だろう。


 しかし、ここには私以外、誰もいないはずなのだ。




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