第2話




 チャイムの音が、鳴り響いた。


 話に引き込まれていた生徒達は、音に驚いて全員肩を震わせる。


「……おや、時間が来てしまったようですね。ゆっくりと話をし過ぎたみたいです。話の続きは、次の授業の時にでもしましょうか」


 しかし伊藤は驚くこともせず、教科書などの荷物をまとめると、素早く教室から出ていく。

 号令もしないままだったので、生徒達は呆気に取られて見送るしかなかった。


 各々が覚醒した頃には、すでに伊藤がいた痕跡は何も無くなっていた。


「今の話、何?」


「もしかして実話とか?」


「そんなわけないだろう。作り話だよ、作り話」


 一気に現実へと戻った生徒達は、好き勝手に話に対する評価を下す。

 そのどれもが、作り話という結論に至っていた。

 しかし表情は強張っていて、本心からの言葉ではないのが分かる。


「そういえば、話の中にあった怪談は本当なの?」


「教師が学校に呑み込まれる、という話? 私は聞いたことないな」


「俺も俺も」


「それじゃあ、やっぱり作り話でしょ」


 誰もが怪談を知らないということで、生徒達の間にあった恐怖や緊張が解けていく。


 伊藤の質の悪い冗談だったのだ。

 そういうわけで恐怖心を捨て去り、次の授業の準備を始めた。


 呆けていた時間が長かったせいで、次の授業はすぐに始まる。

 担当の先生である山口が入ってきて、全員が席に座っている様子に驚いた。


「おっ? 今日はみんな、気合が入っているな。そんなに俺の授業が受けたかったのか。先生は嬉しいぞ」


 ノリの良いだか山口だからか、生徒達の口も自然と軽くなる。


「そういうわけではないですけど。先ほどまで、伊藤先生の話を聞いていたんです」


「へえ、それは楽しそうだな。伊藤先生のことは、困らせるなよ。ああいうタイプは、からかいすぎると大変だからな」


 理香がまた代表して、山口と話す。

 そうすると山口は、伊藤が面白い話をしたのだと思ったみたいだ。

 快活に笑い、注意をした。


「いえ、困らせていないです。……でも少し変な話をされて……」


「変な話?」


「はい。あの、この学校が気になった生徒を呑み込む、という怪談は知っていますか?」


 理香としては、軽い世間話のつもりだった。

 山口に笑い飛ばしてもらうことで、まだ残っている不安を消してもらいたかったのだ。


 しかし、その質問をした途端、山口の表情は怯えを含んだものに変わった。


「そ、それを、伊藤先生が言ったのか?」


「は、はい。そうですけど」


 怯えたまま、山口は聞いた。

 そんな反応をされるとは思わず、理香は首を傾げる。


「せ、先生? どうしたんですか? あの、凄い汗が」


 視線をせわしなくさまよわせ、大量の汗をかき始めた山口。

 急な変化についていけず、理香は山口に近づき、その体に触れようとした。


 しかし伸ばしかけた手は、思い切り叩かれる。

 大きな音と共に、理香の手の甲は痛みを持ち、赤く腫れあがっていった。

 その様子で、叩かれた力の強さが分かる。


「あ……」


 生徒達が何も言えない中、一番驚いていたのは叩いた本人であった。


 信じられない顔で自身の手を見つめ、震えだす。


「ご、ごめんな。ちょ、ちょっと体調が悪いみたいだ。今から自習にするから。相田は、その手を冷やすために保健室に行くぞ」


 普段とは真逆の様子で、取り乱しながら慌てて教室から飛び出る。

 有無を言わさずといったように、理香も腕を引かれて連れていかれる。


 残された生徒達は、顔を見合わせた。


「ど、どういうこと?」


「先生、いつもはあんな風じゃないよね」


「おかしくなったの、相田さんが質問してからだった」


「そうそう。怪談の話を聞いてから、怯えているみたいに見えたね」


「それって……もしかして、話は本当だってことなの?」


 席が近い人と話をして導き出されたのは、先生がおかしくなったのと怪談が関係あるということ。


 その結論は、伊藤の話を作り話だと思って安心していた生徒達に、言い知れぬ恐怖と不安を抱かせた。





 生徒達は、不安になっていた。


 伊藤の話が本当かもしれないと思い、恐怖から夜もまともに眠ることが出来ない人もいる始末。

 運が良いのか悪いのか、色々なタイミングが重なって、しばらく伊藤の授業が無かったことも原因の一つであった。


 しかし、その不安は他のクラスには広まらなかった。

 示し合わせたわけではないが、誰も話さなかったからだ。


 話をしてはいけないと、心のどこかで思っていた。

 そういうわけで、不安はそのクラスの生徒達の中でだけ、溜め込まれていった。


 その溜め込まれた不安も、今日で解消されるはず。

 精神的に追い詰められていた生徒は、期待をしていた。


 今日は、久しぶりに伊藤の授業がある。

 きっと、話の続きを言ってくれるだろう。

 話を全て聞けば、ハッピーエンドで終わるはず。


 そう、誰もが思っていた。


 伊藤の授業を誰もが待ち望んでいて、他の時間は気もそぞろになってしまった。

 何人かの先生は不思議がっていたが、一人の先生だけは何も言わなかった。

 それが誰なのかは、あえて記さない。


 ただ確かに言えることは、あれから彼は何かに怯えるようになってしまったということだ。


 とにかく、伊藤の授業を心待ちにしていた生徒達は、チャイムが鳴る前から全員が着席して、静かに待っていた。


 時間ちょうどに来た伊藤は、特に生徒達の様子には触れず、教卓の前に立つ。

 そして教室を見回し、穏やかに微笑んだ。


「それでは今日も、授業は行わずに話の続きを聞かせましょうか。授業の方が良い人がいましたら、そうしますが」


 もちろん、授業を進めてほしい人が、いるわけでもなかった。


 伊藤は誰も何も動かないのを確認すると、この前と同じように椅子に座る。

 そして、ゆっくりと口を開いた。


 誰かが喉を鳴らす音が、よく聞こえてきた。




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