第5話





 家に帰ってきた瞳は、手早く風呂と食事を済ませると、ベッドに横になる。

 そして一日の疲れを癒すように、ゆっくりと伸びをした。


 しかし、まだ寝るわけではない。


 零時を過ぎるまで、彼女の気は抜けなかった。

 連絡が来た時に、すぐに対応出来るようにだ。

 そのため、手を伸ばして取れる距離に、スマートフォンは置いてあった。


 いつも寝るのは、日付をまたいでからだ。

 だから、全く苦に思っていなかった。


 漫画や小説、ゲームなどをして時間を潰していれば、デジタル時計の数字は十一を表示していた。


「……噂は、所詮噂だったわけか。残念」


 あと少しで、日付が変わる。

 それを確認すると、彼女は大きなため気を吐いた。


 怪談が噂に過ぎなかったことに、残念だと落ち込んでいたのだ。


「……もう寝ようかな」


 いつもより早いが、彼女はもう寝る準備を始める。


 しかしスマートフォンから音が流れ出し、慌てて手に取った。

 画面には、高橋さん、という文字が出ている。

 彼女は眠気や沈んだ気持ちが吹っ飛んで、素早く電話に出る。


「もしもし、高橋さん? どうしたの?」


 焦っているせいか、瞳は少し声が大きくなっていた。


 繋がった電話の向こうは、荒い息遣いが聞こえてくる。

 表示された名前を見なければ、変態からの電話かと思ってしまいそうなぐらいだ。


「も、もしもし? 何かあったの? 返事して!」


 何か緊急事態が起こったのではないか、そう予想した彼女は必死に呼びかける。


「高橋さん! 高橋さん!」


 名前を何度も呼べば、ようやく早苗の声らしきものが聞こえてきた。


『……さく……すけて……』


 途切れ途切れで、今にも消えてしまいそうだ。

 それを聞いて、何かがあったのだと確信する。

 そのため、更に大きな声で呼びかけた。


「何があったの? 高橋さん! 教えて!」


 彼女が呼び掛けても、明確な言葉は聞こえてこなかった。

 何が起こったのか知りたい彼女は、段々と焦れてきた。


「高橋さん。はっきりと、何があったのか教えて!」


 焦れていたせいで、強い口調で怒鳴った。


 その途端、向こう側から人のものとは思えない叫び声が聞こえてくる。


『いやだいやだいやだあ! せまりとせまりと! いさなんめご! せまりとせまりと! いさなんめご! せまりとせまりと! いさなんめご! 何で効かないんだよ! 消えてくれよ! 頼むからさあ! いやだ! 死にたくないよお! ごめんなさいごめんなさい! もう二度とやりませんから! 許してください! お願いします! お願いします! 俺は悪くない! 俺のところに来ないでくれよお! せまりとせまりといさなんめご! いやだあああああああああああ! たすけてえええええええええええええええ! 死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない』






『おまえがしね』





 そこで、通話が切れた。


 待ち受け画面に戻り、恨みの言葉はもう聞こえなくなってしまった。

 その画面を無表情のまま見つめながら、彼女は何も言葉を発することなく、ベッドに入りそのまま寝た。





 次の日、いつも通りに学校へ登校した瞳を待っていたのは、早苗が自殺したというニュースだった。

 自身の部屋で、首をつって死んでいたらしい。

 その表情は苦悶を浮かべていて、第一発見者である彼の母親は精神を病んでしまった。


 そんな話を、噂好きの生徒が吹聴して回っていた。

 しかし彼女のクラスメイトは、二人が付き合っていると勘違いしていたので、気を遣って聞こえないように話をしていた。

 それでも、こういった話は広まりやすい。


 彼女の耳にも、すぐに入ってきた。

 彼女は話を聞いて、これといった反応をせず、自分の席に座って窓の外を眺めるだけだった。

 その姿を見て、クラスメイトは落ち込んでいるのだと思い、そっとしておくことにした。


 しかし彼女は、全く落ち込んでなどいなかった。

 むしろ内心は、怒りで満ち溢れていたのだ。


 おそらく彼女と電話をした後に、それかその最中に早苗は死んだ。


 普通なら呪いのせいで死んだのだと、結び付けて考えるはずである。

 しかし彼女は、そうは思わなかった。

 きちんと目の前で、呪われて死ぬところを見なければ、現実に起こったことではないと考えてしまったのだ。


 こんなことになるならば、日付が変わるまで一緒にいればよかった。

 そう後悔した彼女は、自分自身にも、そして勝手に死んだ彼にも怒りを覚えていた。

 そのため、授業も真面目に受けることなく、ずっとずっと考え続ける。

 考えに考えて、一つの結論に至った彼女は、その口元に隠し切れない感情を浮かべた。





 一人の男子生徒が、放課後に教室で残っていた。

 色々な要因があり、周囲から孤立している彼は、何をするでもなく外を眺めている。


「つまらないな」


 自然と出てしまった独り言は、誰もいない教室に良く響いた。

 彼は寂しさを自覚してしまい、大きなため息を吐く。


「……あれ? 吉田君じゃないの。こんなところで、何をしているのかな?」


「あ、桜井さん」


 そんな時、教室の扉が開いて、一人の女子生徒が入ってきた。

 彼女は彼の姿を見つけると、顔を輝かせて笑う。

 その笑顔に、彼の胸は高鳴った。

 クラスの中でも、可愛い方の女子と二人きり。

 その事実が、思春期の男子生徒にとっては、ご褒美も同然だった。


 心臓がドキドキしつつも、平静を装って口を開く。


「ど、どうしたの? 何か忘れ物でもした?」


 彼は装っているつもりだったのかもしれないが、はたから見れば緊張しているのは明らかだった。

 だからこそ、彼女も小さく笑ってしまう。


「忘れものじゃないよ。……実は、吉田君に用事があって」


「え?」


 彼はとてつもなく驚いた。

 彼女は一時期、恋人の存在が噂されていた。

 孤立している彼には、そこまで詳しい情報が入ってこなかったが、恋人持ちだと認識していた。


 実は、ただの噂だったのではないか。

 彼の中で、期待が膨らんだ。

 そしてそれを肯定するかのように、笑みを浮かべた彼女は近づく。

 近づけば近づくほど、彼は口から心臓が飛び出るのではないかというぐらい気持ちが高まる。


 もしかして、告白をされるのでは。彼の妄想は、とどまることを知らなかった。


 とうとう、目の前に来た彼女。

 ゆっくりと顔を近づけて、耳元で囁く。


「ねえ……協力をしてほしいの。吉田君にしか、頼めないことだから。お願い」


 彼女の目の奥が冷たいことにも、内心の醜さにも気づかずに、魅入られるように彼は頷いた。




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