第20話

白い便せんを買いました。

ハートのシールはあまりにも滑稽な気もしましたが、なんとなく購入しました。私の行為があまりにもありきたりだったからでしょうか。文房具店のレジのおばさんが、にやにや笑っているような気がしてありませんでした。

 私が支払いを済ませると、レジのおばさんのにやにや笑みを真似したような少女がいました。クラスメイトでした。神楽坂アスナという女の子です。少し前の深夜アニメのヒロインと同じ名前らしいですが、残念ながら私はそのアニメを知りませんでした。

「おひさ」

 アスナは、そう言いました。

 彼女は、気のいいクラスメイトです。偶然、街であっても挨拶ぐらいはするでしょう。

「こんにちは」

 私が、そう返すとアスナはちょっとばかり困ったような顔をしました。

 彼女は、私に話があると言いました。

 私とアスナは、中学校も同じでした。けれども、話す機会はあまりなかったと思います。いつでも明るいアスナはクラスの中心でしたが、残念ですが私はその中心部にいけるような性格ではありませんでした。だから、話があると言われて少し驚きました。

 私たちは、近くの喫茶店に入りました。

 同じメニューを頼み、私はアスナのほうを見ました。

 アスナも私のほうを見ました。

「ごめん。零先輩に、七菜とのごたごたを話しちゃった」

 アスナは、私に手を合わせました。

 私は、呆けていました。

 零とアスナに接点があるとは思わなかったからです。アスナの話によると、零と仲良くしている豊という先輩とアスナが親しい関係だったらしいのです。豊は、アスナの部活の先輩だったらしいです。アスナは中学校時代は、弓道部でした。

 豊もそうだったらしいですが、特段に弓がうまい生徒ではなかったようです。

 けれども、面倒見がいい先輩だったらしいです。しかし、豊先輩の実家は少しばかり特殊でした。豊先輩の実家はラブホテルを経営していて、それでよくからかわれていたようです。

豊先輩は、それをのらりくらりと躱しながら過ごしていたとのことです。後輩から見ても、それ以上は踏み込まれたくない、よってくるなという態度が見られたそうです。けれども、アスナ以外には、豊のその感情を見抜くものはいなかったそうです。

 そういう意味では、豊という先輩は器用だったのでしょう、

 からかわれながらも、適当に流し、それ以上の虐めにはいかないようにしていた。微妙な人間関係の上から行われるからかいがエスカレートしないようにしていた。

 そんなとき事件が起きたそうです。

 アスナの兄が、豊先輩の実家のホテルに行くところを弓道部の部員が目撃したそうです。アスナの兄は、車いすでした。大昔に事故でそうなったそうです。その話は、ほとんどの部員が知っていました。私もアスナの兄が、車いすだということを知っていました。

 私たちの中学校は、ほとんどの生徒が同じ小学校に通っていました。そして、アスナの兄が車いすになった事件は、その小学校では有名でした。同時に、アスナの兄も有名だったのです。

 弓道部の部員は、アスナの兄がホテルへ行ったことを責めました。

 部員たちは、車いすの人間がホテルに行くことが気に入らなかったようです。なぜか人々は障害者を聖人のように思うのです。その聖人が俗に染まったことをクラスメイトたちは許さなかったようなのです。

アスナはアスナで、どう反応すればいいのか分かりませんでした。けれども、兄の秘密を知ったことと兄が責められていることに悲しくなったといいます。

 豊は「ホテルは誰も拒まないよ。客商売だからね。誰が、何しようが勝手じゃないか」と言い捨てました。ただ、それであったそうです。だが、その言葉にアスナは救われたと感じたそうです。

 豊は、アスナの知り合いのなかで兄の行為を唯一否定しませんでした。それはホテル側の意見でもありましたが、何の理由もなく兄を断罪した人々に比べると好ましかったそうです。その好ましい感情は、いつしか恋に発展したと言います。

 アスナは、豊先輩に告白しました。

 けれども、豊先輩はそれを断りました。それでもアスナは豊先輩に恋して、彼に何でも話してしまうそうなのです。

 だから、アスナは私と七菜のことを話したというのです。

 私は、アスナの話を聞いて何と答えればいいのか分かりませんでした。

 これは、アスナの長い言い訳でした。

「……許してくれる?」

 アスナは、恐る恐る私を見ました。

 私は、ほとんど考えることなく頷きました。

「恋と信頼は、人を馬鹿にします」

 それは、私自身の行いで感じていたことでした。

 もしも、私がもっと上手く行動していたら零との関係は今も良好であったのかもしれません。

 アスナは、豊先輩にフラれてしまいました。けれども、彼女はあまりそれを気にしていないようでした。性格的なものであればそれまでですが、彼女は豊先輩の懊悩をよく理解していないようでした。性欲がない、と言う話も「いつかは出てくるのではないか」と楽観視しているようでした。

 私は密かに、アスナと豊先輩が付き合うことにならなくてよかったと思いました。これではいつか来る話し合いの日に、話が平行線になってしまうことは目に見えていました。アスナは明るくていい子なのですが、どうにも自分の常識を相手にも押し付けてしまうようです。

「これから、どうするの?」

 アスナは、私にそう尋ねました。

 零は、私に呆れかえってしまうかもしれません。

 けれども、私の心は決まっていました。

「私は、零のことが好きなんです」

 彼から告白を受けた時には、それは私の心にない感情でした。けれども、今ではそれがはっきりとあるのです。

「だから、それに見合った行動をしようと思います」

 私は、アスナにそう宣言しました。


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