第17話

 何で走らされてるんだろ、と思った。

 だが、僕が走ったおかげで岩沼さんのピンチをこちらのチャンスに変えられたらしい。意味は全く分からなかったけど、岩沼さんも同性愛者だったらしい。でも、その話は秘密ということになっているらしい。それでも名前は貸してもらえたようで、そのことは僕たちの首が繋がったことを意味する。まぁ、正直を言えば幽霊じゃない部員が欲しかったけど。

 こうして、俺たちはホクホクした顔で部活を作るための書類を教師に提出した。その三日後、教頭に呼び出された。僕は、この流れをなんとなく察していた。

 いや、だって普通は却下されるでしょう。

 こんな部活なんて。

 津田さんは、教師のチェックなんて甘いからたやすく部活は成立すると思っていたみたいだけど……やっぱりこの人はところどころで甘い。

 たぶん、基本的に津田さんは運がいいんだと思う。というか、周りに善人が集まりやすいタイプなのだろう。そのせいで、見通しが甘くなることが度々ある。

 本人は頼りになる先輩を演じているから、言わないけど。

 教頭に、指導室に呼び出された僕、津田さん、零は目の前の教頭をひっそりと見つめた。うちの校長はあまり有能でないことは有名で、長年教師を続けていたからお情けで数年だけ校長をやらせてもらっているお爺さんである。一方で、教頭は有能なのではないかと噂だ。だって、若いのだ。

 年齢は、多く見積もっても四十代ぐらいだと思う。

 優し気な見た目で、いつも微笑んでいる印象だ。おしゃれで控えめなスーツは、なんだか都会の洗練された雰囲気がある。

「何で呼び出されたかは、わかりますよね」

 教頭先生は、俺たちに尋ねた。これで分からなかったら、バカである。だが、零はわりとバカだから正直に言う可能性がある。

「わかりません」

 思った通り、零は素直に答えていた。

「俺たちは、皆で話し合いの場を作りたいだけです」

「それをなんで文化祭でするんだい?」

 教頭先生は、にこやかに尋ねた。

 零は、ぽかんとしている。

 教頭先生としては、部外者も来る文化祭で可笑しなことをするなと言っているだろう。なお、普通の学校生活でしてもいいとは言ってない。

「だって、たくさんの人と話し合えるだろ。学年とかクラスとか関係なしに」

 零の言いたいことというか考えていることは分かる。

 零は、たくさんの人との意見交換を考えている。だが、教頭側としてはそんな面倒なことはして欲しくはないだろう。

「デリケートな問題を文化祭のような場所でやるのは感心できませんよ」

 普通は、そうだろう。

 むしろ、許可したら僕は教頭の頭を疑う。

「デリケートでも知りたいだろ。だって、一番最初にあんたが言ったことだ!」

 零は、机をたたく。

 僕は、首をかしげていた。

 教頭の話なんて、あんまり聞かない。校長の話は何かの式典の時に何度か聞いたが、教頭の話は全然だ。零は、何を言っているのだろうかと思った。

 だが、同時にこのまま行っても話し合いは平行線になるだろうなと思った。

 僕は、手を上げる。

「教頭的には、どんな条件をクリアすればいいんですか?」

 教頭の本心から言えば、企画を立ち上げるところからアウトだろう。だが、生徒がここまで進めた話を頭ごなしに否定はしないと思った。僕もなんだかんだで見通しが甘いな、と思いながら教頭の方を見る。

「そうですね……。では、登壇する人間は絶対に顔をさらさない。発表文面は、こちらに事前に提出するということで」

 意外なほどに、あっさりとした返答をした。

 僕は、あっけにとられたけど「あ、原稿をチェックされるってことはものすごく無難な文章しかOKをもらえない可能性があるのか」と考え直した。

「分かった」

 零は、その話を受ける。

 僕は、もうちょっと考えろと思った。

 結局俺たちは、一か月の間で文化祭当日に読み上げる原稿を提出することになった。使える教室の割り振りとかは、そこで許可がでてからという話になった。

 教頭との話し合いを終えた僕たちは、文化祭でやろうとしていることについて話し合いをした。とりあえず、僕たち三人はそれぞれ原稿を読むような流れでやることにした。

三人ともセクシャルが違うし、これでいいだろうと思った。しっかし、こうしてみると人数不足が否めない。もうちょっと人数が集まればなと思った。

 部活についての相談が終わり、僕は家に帰る前にアスナに連絡を入れた。一応、アスナには名前を貸してもらっている。

 中学校のときに、僕はアスナに告白された。

 アスナは弓道部の後輩で、誰にでも好かれるような子だった。僕も嫌いではなかった。むしろ、好きな部類だったと思う。けれども、性欲を抱けるかというと全く別の話だった。中学生が性欲だなんて、と笑う人間もいるだろう。けれども、僕の場合はそういうのを意識するのが早かった。

 というか、あの親の稼業で意識しないほうがおかしい。

 だが、父さんのために言っておくが親父の代で休息所(ラブホテル)の経営を始めたのではない。始めたのは、僕の祖母だったという。戦後ぐらいから始めた商売らしいが、思いのほか儲かったとは聞いている。当時は立地がよかったそうだ。どういう理由で立地がいいと言ったのかは分からない。

祖母はもう亡くなっているが、相続の時に父さんが体を壊した。父さんは、もともと体が強くない。人生で何度も入退院している。入院のプロだと思う。まぁ、この話は置いといて……就労を続けられなくなかった父さんは、休憩所経営を引き継ぐこととなった。そして、職場で何度も倒れて、僕はわりいと小さい頃から父さんの職場体験をする羽目になったである。

 まぁ、ともかくこんな家庭環境なので僕は性について色々と考えるのが早かった。そして、自分に性欲がないことも自覚していた。

 そして、性欲がないと分かった時点で……僕は将来の恋愛をあきらめた。大人になって恋愛したら、休憩所にくる客と同じことをしなければならない。けれども、僕にはそれができない

 恋愛する資格はないのだと思った。

 だから、僕はアスナの告白を断った。友人付き合いみたいな関係が続いているのは、アスナの人徳のおかげだろう。

 僕は、電話でアスナに教頭との話のことをした。

 アスナは「私も原稿をかいていい?」と言ってきた。名前だけという話だったので、アスナの言葉は意外だった。

「増える分には構わないけど、採用されるかはわけらないよ。教頭のチェックはいるし」

「いいわよ」

 アスナは、ご機嫌だった。

 僕としては、ちょっと不安だ。

 というか、僕の分の原稿に関しても不安が残る。

僕はAセクシャルなのだが、このAセクシャルというのが扱いに困るものだったりする。まず、零が知らなかったように知名度が高いというわけではない。さらにAセクシャルに属するセクシャルが割とバラバラだということだ。

 たとえば、僕は異性愛者であるが性的なものに関心がない。つまり、恋愛はしたいが性欲はない。ところが、なかには恋愛もしたくなくて性欲もない人もいる。もっといろいろな人がいて、その人たちをひとくくりにAセクシャルと呼んでいる節があるのだ。つまり、僕が簡単にAセクシャルを説明するとそれが間違いだと指摘されることになりかねない。

 どうして、Aセクシャルと言う言葉にこんなにもたくさんの個性を詰め込んでしまったのだろうか。残念ながら、僕らはできあがった言葉をつかっているだけなので理由は不明である。

 僕は、頭のなかで何度も原稿を書いては消して書いては消してを繰り返した。正しい言葉が浮かばない。そのまま自宅に帰宅すると、父親が机に突っ伏していた。

「父さん、なにやってるの?」

「熱っぽい」

 そう答えた父親に体温計を渡す。

 やっぱり発熱していた。

「部屋で寝てよ。治るものもなおらないよ」

「売り上げの集計してたからな……」

 強面の父親だが、本当に体が弱い。

 ときより、この人は長生きしないんじゃないんだろうかと俺も思う。けれども、ひーひーと言いながらもずっと生きているような気もする。

「孫みせられないから」

 僕は、父親にそんなことを言ってみる。

「人間……生きているだけで丸儲けだぞ」

 熱にうなされながら、父親は言う。

 熱でダメになっている父親に言われると、なんか納得してしまう。

「生きてるだけで、熱くて苦しいだろ」

 父親よ、それは貴方が発熱しているからです。

「でも、苦しくても死にたくはないだろ」

 父親は、俺に聞いてきた。

「いや、別に死ぬとかそういう話じゃなくて……」

「でも、生きている限りは苦しいだろ」

 ああ、ダメだと思った。

 具合の悪い時の父さんには、話が通じない。でも、ちょっと思うのだ。この人よりは、自分は幸せかもしれないと。体が弱くて、いつも辛そうな父親。辛いときは、死を考えてしまう父親。体が丈夫な僕は、そんな父よりは幸せだと思ってしまう。

「父さんの子に生まれてよかったよ」

 思わず、呟いた。

「褒められた気がしない」

 父親は、ぶすっとしていた。

ちなみに顔面はヤクザのごとくである。

僕は、自分の原稿を紙に書いてみることにした。書いても死ぬことはないか、と思いながら。


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