第16話

「というわけで、俺は負けてない」

 俺は、そう宣言した。

「いや、負けてるから」

 豊は、突っ込んだ。

「でも、あれだし、あれ」

 俺は、言い訳にならないような言い訳をする。

 夏休みはすでに終わっていた。

 俺たちの部活は、部員数マイナス一のままである。このままでは文化祭に間に合わないので、どうにかするべきなのだが八方塞がりなのが現状である。部員を集めるためのポスターは、ゲリラで張り出していた。生徒会に見つかるたびにはがされるので、効果はいまいち薄い。というか、いまだに「ポスターを見て、来ました!」という人間が一人もいない。津田さんの友人や知り合いがぽつぽつと現状を心配して、俺たちに声をかけてくる程度である。

「名前だけ借りる部員をもう一人増やすのもなー」

 すでにアスナという幽霊部員を作ってしまっている。これ以上、幽霊部員を増やすわけにはいかなかった。そんなとき、俺たちが暫定部室として使っている視聴覚室のドアが叩かれた。

「ここに、これの代表者人っている?」

 現れたのは、他校の制服を着た女子生徒だった。

 スマホの画面に映るのは、俺たちが作ったポスターだ。学校内にしか貼っていないはずなのに……。

「SNSであげられてて、気になったから来たんだけど」

 女子生徒がいうに、俺たちが作ったポスターは「こんなのが俺らの学校にはってあった、ウケル」というメッセージと共にSNSに乗せられていたらしい。ハッシュタグに学校名が書かれていたから、すぐに我が高校のポスターだと分かったとのことだ。

「なんで、わざわざ他校から?」

 豊は、女子生徒の行動をいぶかしんだ。

「昔の知り合いがこの学校の生徒会長をやってるってきいてね。それで、色々と思うことがあったんだ」

 生徒会長というと大沼さんである。

 ということは、目の前にいる人は俺と豊よりも一つ上なのだろう。

「田淵理沙っていうんだ。よろしくね」

 田淵さんは、にこやかに挨拶をする。

 大沼さんの知り合いとは思えないほどに、田淵さんは明るい人だった。大沼さんが暗いというわけではないけれども、初対面がああだったのでどうしてもプラスの印象は持ちづらい。

「しっかし、知り合いが生徒会長だからっていう理由で来るか?」

 津田さんは、田淵さんをじーと見ていた。

「あのね、この催しの中心にいるのは絶対に大沼に違いないと思ったの。だから、来たんだ」

 俺は、首をかしげる。

 大沼さんは、こんな催し物に興味を持たないお堅い人だと思ったのだが……中学校は違ったのだろうか。

「ねぇ、大沼が責任者なんでしょ」

 田淵さんの言葉に、津田さんは「違う」と答えた。

 若干不機嫌そうな気がしないでもない。

「大沼は参加してない」

「そうなんだ。なんか、意外だな。大沼って、絶対に私のことが好きだと思ったのに」

 田淵さんの予想が本当なら、田沼さんは同性愛者ってことである。それなら、津田さんと同じように俺たちに賛同してくれてもいいのに。

「大沼のところに、私も連れて行ってよ」

 田淵さんの言葉に、俺はどうしようかと津田さんを見る。

 津田さんは「やめとけ」と俺にささやいた。

「でも、知り合いって」

「……下手に連れてったら、大沼に迷惑がかかるかもしれないだろ」

 俺には、津田さんのいう迷惑が分からなかった。

 俺が迷っているうちに、また扉が開かれる。

「津田君、そろそろ部員は集められた?」

 噂をすればなんとやらで、現れたのは大沼さんだった。後ろにいるのは、生徒会のメンバーなのだろうか。真面目そうな男子生徒が、大沼さんの後ろに控えていた。

津田さんは、舌打ちした。

そして、余っていたポスターを豊に押し付ける。

「これ、学校中に張り付けてこい。マッハで」

「できません!」

 豊は、すかさず断った。

 マッハは、色々と無理がある。

「じゃあ、音速で張ってこい。大丈夫だ、三司馬ならできた!」

「三司馬でもできないでしょう!!」

 まったく、と言いながら豊はポスターを手に取る。

 そして、大沼さんの後ろに控えていた男性生徒と目が合った。

「津田さん……」

「今すぐ張ってこい!」

 基本的に人がいい豊は、ポスターを抱えて教室を飛び出した。その後ろ姿を生徒会の男子生徒が追う。まぁ、生徒会としては認知していないポスターを貼ると知っていたら追うしかないよな。俺たちは、豊が可哀そうとしか思えない鬼ごっこを見送った。

「大沼!」

 田淵さんが、嬉しそうに大沼さんを呼ぶ。

 大沼さんは、驚いていた。

「理沙……どうしてここに?」

「これをSNSを見つけてね。代表者が大沼だと思ったの」

 大沼さんは、田淵さんが見せたスマホの画面を見て顔色を変える。

「ど……どうして、こんなのの代表者が私だと思ったの?」

 大沼さんは、おびえていた。

 田淵さんは、楽しそうに笑う。

「だって、大沼って中学校の頃は私のことが好きだったでしょ。分かりやすかったし、めっちゃ笑えたんだよね。なんていうか……滑稽っていうんだっけ?」

 けらけら、と田淵さんは笑う。

「大沼に好かれるなんて気持ち悪かったけどさ、勉強はできていたから利用する手はないじゃん。高校生になってからも使ってやろうって思ったけど、全然連絡してこないからさ」

 田淵さんは、大沼さんの肩に手をかける。

「こんなことやるみたいだけど、絶対に私のことを話さないでね。きもいから」

 大沼さんは、震えている。

 大きなショックを受けたような、顔であった。

「私は……私は、あなたのことなんて……」

「好きだったんでしょう?」

 田淵さんは、小首をかしげる。

 大沼さんは、何も言えなくなる。

 誰が見ても、大沼さんが田淵さんに好意を持っているのは明らかだった。言い訳ができないほどに。

でも――

「大沼さんが、あんたのことを好きでもいいじゃないか」

 俺は、そう呟いていた。

 人の感情は、自由だ。

 誰にも、止められない。

「はぁ?だって、気持ち悪いじゃない。あなただって、男に言い寄られたら気持ち悪いでしょう」

 俺は、津田さんを見た。

 そういえば、俺が津田さんに告白される可能性もあるのだ。

「そのときは、俺には好きな人がいるって言う。それで、終わりだろ」

 津田さんは頼りになる人だけど、付き合えない。

 それをはっきり伝える。

 それだけでいい。

 俺の言葉に、田淵さんは戸惑う。

「あなた……正気なの?キモイよ。だって、この人たち変なんだよ。女のくせに女が好きとか、ありえないでしょ。めっちゃキモい」

 田淵さんは、嫌そうな顔していた。

 その顔を津田さんは、叩いた。叩いたといっても、ほとんど音はしなかった。触れたというべきだったのかもしれない。

「悪い。ちょっと手が滑った」

 どう滑れば、人の頬に手が行くのであろうか。

 田沼さんの意識を、自分に向けたかっただけなのだと思うけど。

「ちょっと見てみろ」

 津田さんは、机の上に映画のDVDを広げる。

 違法にコピーされたそれに、津田さんは誇らしげだ。

「映画は、映画っていうジャンルの一種類だ。でも、中身は何一つ同じものはない。人間だって同じだろ」

 何一つ同じものはない、と津田さんは言った。

 同じようなパッケージでも中身は違うのだ、と。

「もしも、同じものであふれかえっていたら……それは違法コピーを疑ったほうがいいな。なにせ、正規品よりも安いんだ」

「なにが言いたいのよ」

 田淵さんは、津田さんをにらむ。

 津田さんは、にやりと笑った。

「だからさ……気持ち悪いなんていうなよ。こっちも同じようなパッケージのお前を容認してやってるんだから」

 俺は、津田さんの頭を割と力を入れて叩いた。

 津田さんは痛そうだったが、これぐらいはやらないとだめだと思った。

「津田さん、これ以上やったら敵を作る。というか、もう作ってる」

 それは、俺たちが望むことではない。

 津田さんは、俺の真意を分かってくれた。

「……悪かった。言い過ぎたよ……後半は」

 津田さんの謝罪になってない謝罪に、俺は苦笑いする。この人も負けず嫌いで困る。

「なんなのよ……」

 田淵さんは、おびえたように津田さんを見ていた。

 女子生徒が、男子生徒に攻撃的に睨まれたのだからこうなるだろう。

「あんたたちなんて、キモイだけなんだからね!」

 田淵さんは、そう言って逃げるように去っていった。

 なんだんだろう、と俺は思った。

「ホモファビアだろ」

 俺の考えを読んだかのように、津田さんは言った。

「ホモキャビアって、日向先生みたいなやつ?」

 でも、日向先生は攻撃的ではなかった。

「それは、あの人が教師だったからだ。あと、名前を美味しそうに間違うな。ホモファビアだ」

 津田さんは、いう。

 日向先生は教師で、俺たちは生徒だ。日向先生には、俺たちを平等に扱うという職業的な義務がある。たとえ先生がホモファビアであっても、生徒が遠い異国から来た生徒であっても、教師という職業に従事する間は生徒は平等に扱わなければならないのである。

「俺は、日向先生のそういうところを尊敬するよ」

 津田さんは、ため息を吐く。

「あと、零」

 津田さんは、俺を見る。

「おまえのああいうところも尊敬してる」

 俺は、首をかしげる。

「津田さんよりも白鷺のほうが可愛いっていう事実のどこに尊敬できる点が……」

「そういうことじゃない!」

 津田さんは、俺の頭を叩いた。

 さっきのお返しということだろう。

「津田君」

 大沼さんは、津田さんを呼んだ。

「人払いしてくれて、ありがとう。このことを予想してたのね」

 大沼さんの言葉に、俺は「ああ」という。

 豊がポスターを持って逃げて、生徒会の男子がそれを追った。生徒会の人間がいなくなったことで、大沼さんの秘密は守られた。

「まぁ……これでもオープンにしてるから、ああいう輩には覚えがあるんだよ」

 津田さんは、大沼さんをちらりと見た。

 大沼さんは、目を伏せる。

 俺は、なんとなく察した。

 たぶん、大沼さんは同性愛者だ。でも、そのことを告白することはないだろうと思った。津田さんも、何も言わない。たぶん、俺以上に大沼さんの気持ちが分かっていたからだと思う。

「心配しなくてもいわねーよ」

 津田さんは、俺を見る。

 俺も、頷いた。

 大沼さんは、俺たちに背を向ける。

「心配なんて……してないわ。ただ、あんな……馬鹿しかいなかったらどうするのよ」

 大沼さんの言葉に、違うだろと津田さんは呟いた。

「あんな馬鹿にならないようにするんだろ」

 津田さんは、俺の背中を叩いた。

 期待している、とでも言いたいのだろうか。

「そう……ちょと考え方が変わったわ」

 岩沼さんのつぶやきと共に、豊と追いかけっこをしていた男子生徒が帰ってくる。もちろん、豊も帰ってくる。ポスターは一枚も貼れていない。なんというか、ご苦労様でしたという感じだった。

「部員は何人集まったのよ」

 岩沼さんは、俺に尋ねる。

「まだ四人」と俺は答えた。

「私で五人よ。ただし、顔出しはしないから」

 岩沼さんは、そう言った。

「え……あっ。ありがとうございます」

 俺はそういうと、岩沼さんは無言で俺に近づいてきた。

そして、指先で俺の額をはじいた。

「期待してるわよ」

 俺は、額を抑える。

 なんだか、からかわれた気分だった。

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