第11話

 学校が夏休みに入った。

 本来ならば夏休みの期間は文化祭の出し物を準備する絶好の準備期間なのだが、俺たちも企画は途中で止まってしまっていた。いや、進んではいたのだ。アスナが「先輩がやるんだったら、私も名前を貸しますよ」と言ってくれたのだ。これによって、俺たちはあと一人を部員にすれば部活を作ることができる。

 なのに、俺はこれからどう動けばいいのか分からなくなっていた。

 白鷺の問題が――俺を悩ませる。

 悩めば悩むほど、俺は前に進むことができなくなる。俺が音頭をとらなければ、隅田さんもどう動くべきか考えられない。豊も、俺が引っ張らないと動けない。

 日向先生はあくまで顧問だし、アスナは名前を貸してもらっているだけだ。

 俺が、どうにかしなければならないのに。

「くそっ」

 俺は、意を決して白鷺に電話をかけた。

 しばらく、コールが続くと白鷺が電話に出た。

「零、 どうしたんですか?」

 俺が電話をかけることは、ほとんどなかった。

 だから、白鷺はいぶかしむ。

「白鷺、お前からもらったラブレターの話なんだが……あれはお前が書いたものなのか?」

 俺の言葉に、白鷺は少し黙った。

「それとも、他人が書いたものなのか?」

 白鷺は、答えない。

 数分間、彼女は黙っていた。

「今度、会ってもらえますか。直接、話します」

 白鷺は、そう言った。

 俺は、電話を切った。

 そして、ため息をつく。

 白鷺の反応からして、ラブレターは他人が書いたものだったのだろう。だとしたら、どうして白鷺は俺と付き合うことにしたのだろうか。当時の白鷺の反応を考えるに、当時の白鷺は俺のことを詳しくは知らなかったのではないだろうか。

なのに――どうして。

彼女は、俺と付き合ったのだろうか。


謝らなければならないことは、ありました。

中学校の頃の私は、古倉零という先輩をよく知らませんでした。名前だけは知っていたけれども、良い印象は持っていませんでした。

それを説明するには、中学校の頃の話をしなければなりません。それは、私にとって……田沢白鷺にとっては苦痛であってもです。

私は、幼少期から友人と騒ぐということがどうしてもできませんでした。冷めている性質というべきか、それとも他者の心が分からないというべきなのか、私は常に大人しく他者を見つめて端っこで大人しくしているような子供でした。

そんな私には、小さい時から友人がいました。

七菜というのが、私の友人でした。

幼稚園のころからの知り合いで、他人の輪に入れない私を引っ張っていくのは七菜の役割でした。七菜とは、小学校も中学校も一緒でした。私は、なんとなくですが七菜は大学まで一緒にいる友人のように思えていました。

私と七菜の関係が変わったのは、中学校のころからでした。

七菜は、中学生になってから急に私を疎むようになりました。その原因を私はなんとなくわかっていました。中学校に進学すると、小学校とは違った力関係ができていました。中学校で力を持っていたのは、華やかな女子たちでした。

小学校とは違って制服という同じ格好をしているのに、華やかな彼女たちはスカートを短くしたり、髪を染めたりしていました。校則違反にあたる行為でしたが、もともとあってないような校則だったので教師も誰も生徒たちの服装を注意してはいませんでした。

守られない校則とあっては、誰も意識しません。私のスカートは生真面目に長かったのですが、それは校則を意識しているというよりも買ってもらった制服を改造することが面倒くさかったのです。

七菜は派手な女子たちと仲良くなるにつれて、自分の容姿をどんどんと磨いていきました。もともと七菜は可愛らしい子でしたが、スカートを短くし、髪を明るくすると益々美しい少女に見えました。私はと言うと自分の容姿に手をけることもなく、見苦しくない程度の身支度しかしませんでした。

私から離れていた七菜でしたが、ある日に私に声をかけてきました。その要件は「お金を貸してほしい」というものでした。七菜は毎日化粧をしており、その華やかさを支えるにはお小遣いが足りないということは予想がつきました。

 私は、少しばかり迷いました。

 迷ったうえで、貸さないという選択をしました。七菜が自分のお小遣いのなかから毎日の化粧代をねん出できないのであれば、私に借りるお金は毎月膨れ上がっていくのは予想がついていました。だから、私は断ったのです。

 七菜の目の色が変わりました。

 親の仇のように私を見つめて、私を突き放しました。あとから知ったことですが、七菜は派手な友人たちに化粧品やおやつといったものを買わされていたらしいです。

つまりは、七菜は派手な友人たちにたかられていたのです。

当時の七菜は、私に助けてほしかったのかもしれません。ですが、私は七菜の事情を理解せずに、切り捨ててしまいました。七菜には、それを恨まれたのです。

七菜の生活が変わったのには、零がかかわっていました。これは、七菜から聞いた話でありました。七菜がお小遣いの工面が苦しくなって、とうとう万引きにまで手を出しそうになったという話でした。そのとき、止めてくれたのが零だったというのです。

零は七菜がポケットに入れようとした手を掴むと、七菜を遠めから見ていた派手な友人を真正面から怒鳴ったと言います。

七菜は、そのときに零に憧れの感情を抱いたと言いました。零の声を聞きつけた店員は事情を聴いて、七菜と派手な友人は怒られてしまったそうです。学校に報告されることはなかったが、派手な友人たちはその恨みを私へと向けました。

七菜は私のことを「お金を貸してくれなかった友人」と言っていたせいだったらしいです。つまり、私が七菜にお金を貸していれば、店員に怒られることもなかったという思考の飛躍なのです。

派手な人たちに、私は囲まれました。

そして、友人を見放したひどい人間と罵りました。自分たちが七菜に万引きを強制させていたのに、私を悪とました。そして、被害者であるはずの七菜も私を断罪しました。

彼らによって、私の持ち物は隠されましら。それらがごみ箱から見つかることも少なくなくて、物がなくなるたびに私の心は沈みました。七菜や派手な人たちは、私に何かを買ってくるように命じることもありましら。私はそれに従ったことはありませんでしたが、断るたびに背中を強く押されて罵られました。

私はぼんやりと彼女たちも七菜も、何をやっているのだろうかと思いましら。私を嫌っているのならば、顔を合わせなければいいと思いました。しゃべらなければいいのだ。なのに、彼女たちはわざと私にかかわりをもって思い通りに動かないことに腹を立てていました。

理解ができませんでした。

そんな生活のなかで、七菜は何度も零のことを離しました。派手な人たちの間では、思いを寄せる異性というのは娯楽雑誌のような存在のようでした。

毎週、毎週、相手が変わるのです。そのなかで、七菜だけは一途に零のことを思っていました。零は、七菜にとっては憧れの人だったのです。七菜は、ことあるごとに零のことを語っていました。それこそ、私が零の名前を憶えてしまうほどに。

さて、私はもともと内向的と言いますか……人の輪に入ることが苦手な性格です。唯一仲良くしてくれたのは七菜でしたが、今は彼女すらも敵でした。

完全に孤立していた私にとっての中学校生活は、過酷の一言でした。派手な人々に目をつけられた私に仲良くしてくれるような人は、もう誰もいませんでした。

その日、私はぼんやりと校舎裏に向かいました。

七菜たちの嫌がらせに、もう疲れていたのです。だから、逃げるように校舎裏に来ました。もしも、ここまで七菜たちが追ってこなければ休み時間はずっと校舎裏にいようかなとすら考えていました。

そんなときに、零がやってきました。

このとき、私は零の名前は知っていても姿形は知りませんでした。

零は私を見て、少しばかり落胆したような顔をしていました。私は、てっきり彼も一人になりたい生徒なのだと思いました。

私は「付き合ってもらえませんか?」と彼に尋ねました。

 この静かな校舎裏を共有させてほしいという意味でしたが、なぜか彼は衝撃を受けたような顔をしていました。私は「付き合ってもらえないなら、いいです」と言って去ろうとしました。変な意味はありませんでした。彼も一人になりたい、と思ったのです。

「待てよ……」

 と彼は言いました。

「つ……付き合う」

 彼の言葉に、私は驚きました。

 そして、その手に握られているラブレターに気が付きました。白い封筒にハートのシールだったので、間違えようがありませんでした。その時、ドラマの影響でラブレターに名前を書かずに男性の気持ちをじらすというのが流行っていました。

私は、それだと思いました。

「私と付き合うのですか?あ……名前?」

 私は自己紹介をしました。

 相手の名を知りたかったからです。

 零は、本名を名乗りました。それで、私は相手が七菜の思い人である古倉零だということを知りました。そのとき、私のなかで妙案が浮かんだのです。

 七菜の想いは、知っていました。

 だから、彼女への嫌がらせのように零と付き合えば――復習になるかと思ったんです。

 私は、零と付き合うことにしました。

 七菜が零の下駄箱に放り込んでいた手紙は、私が人知れず回収しました。いけないことだ、とは思っていましたが――零を奪うためには一番必要なことでした。

 零は、誠実な先輩であったと思います。

 付き合いといっても、私たちの関係は学生らしい節度を守ったものでした。零は、私のことを大事にしてくれました。おそらくは、私のことを好いていてくれたのでしょう。

 私はというと、零のことをちゃんと愛せていませんでした。

 零への思いは愛情ではなくて、七菜への憎しみからの行動でした。

 私と零は付き合うことになりましたが、零は私との関係を周囲に知られることを少し恐恐れているようでした。おかげで私が零と付き合っていることは、七菜にも知られませんでした。周囲に知られることを恐れている以外は、零は私に対して誠実でした。

 一緒に家まで帰ることもありましたし、休日には一緒に遊びにいくこともありました。

 零とのお付き合いは、学生らしい健全なものであったと思います。そして、それは同時に仲の良い男女の友人同士の関係性に近いものでもありました。私自身も、零と付き合っているのだろうかと思うことがしばしば思うことがありました。

 ですが、クリスマスのときでした。

 私が中学校三年生のときのクリスマス。

 零は高校一年生でした。

 私たちは水族館に行きました。真冬のクリスマスは、寒そうなイメージだったのか人気はあまりありませんでした。けれども実際は暖房が効いているので、温かかったです。

私と零は、展示物である魚や海洋生物を見て回りました。

地元の水族館は小学校のころから遠足などで何度も行っているので、特別な感動もなにもありませんでした。

 ただ、零はウミガメを楽しそうに見ていました。

 好きなのでしょう、ウミガメ。

「好きなんですか?」

 私は、尋ねてみました。

 零は、頷きました。

「だって、可愛いだろ。べっ甲もとれるし、美味しいらしいし」

 零の言葉に、私は冷静に対処します。

「それは、違うウミガメです。これはアカウミガメで、べっ甲は取れません。美味しいかどうかは……知りませんが」

 べっ甲が取れる亀は、たしかタイマイという名前だったような気がします。

 零は「そうだったんだ。てっきり、亀だったら全部べっ甲が取れると思ってた」と言っていました。

 そこは、私も詳しくはありませんでした。しかし、なにかの本でべっ甲はタイマイからとれるとあったのできっとタイマイでしか取れないものなのでしょう。

「昔さ、俺のばあさんがじいさんからべっ甲の簪をもらったらしいんだ。ばあさんが死んだときに、その簪を形見分けでもらって……」

 男の子が簪を形見分けもらうというのも可笑しな話だ、と思いました。しかし、聞けばお婆さんがお爺さんがもらったものは簪一つだけで、お婆さんは唯一の孫の嫁に自分の想いでの品を譲りたかったようなのです。ですが、それも叶わぬうちに亡くなったので、零が簪をもらい受けたようです。男の零が見ても綺麗な簪で、そのせいで零はべっ甲は亀から取れると覚えたそうです。

「いつか、お前に送れたならいいな」

 零は、そう言いました。

 とくに、照れている様子もありませんでした。おそらくは、無意識で言っているのでしょう。ですが、急激に私のなかで熱が燃えました。人によっては、照れだとか、恥ずかしいだとか、いう感情だったのだと思います。

 私は、その熱を恋だと思いました。

 私は、この瞬間に零に恋したのです。この人を逃がしたくない、自分だけのものにしたいという気持ちが私に芽生えました。

 このクリスマスで、私は零に手袋を送りました。

 零は、ブレスレットをくれました。

 互いに手に関するプレゼントだったので、それが私にはくすぐったく感じました。こんな感情は、初めてでありました。

 相変わらず学校生活は灰色でありましたが、零がいればそんなこと問題ではないように思われました。零の存在は、私にとっては救いでした。

 高校に進学するときも、私は零と同じ学校を志望しました。そもそも実家から通うには選択肢はそれほどありませんでしたし、私の学力とも見合った進学先でした。ですが、一つ不安もありました。

 七菜に、私と零の関係性がバレてしまったのです。

 七菜は、私と零が一緒に下校しているところを偶然に見てしまったと言います。彼女は、私を問い詰めました。私は、零と付き合っていることを認めました。

 七菜は、裏切り者と叫びました。

 私は、何を裏切ったのだろうかと思いました。最初に金の無心をしたのは、七菜なのです。最初に裏切ったのは、彼女なのです。

 私は、初めて七菜を突き飛ばしました。

 彼女は私をなじり、殴りました。私も気が付けば、彼女を殴っていました。七菜は「私の方が先に好きだったのに!」と叫びました。

たしかに、そうでした。

七菜のほうが、先に零を好きになりました。けれども、告白されたのは私です。そして、付き合っているのも私なのです。渡すものか、と私は七菜を呪いました。

そして、七菜が本気で零を誘惑することを恐れました。

七菜は私とは違って、可愛らしいおしゃれな女の子でした。七菜が本気になれば、零などコロリと落ちるような気がしました。だから、私は誘ったのです。

七菜にとられたくはなかった。

ただ、それだけのことでした。

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