第10話
豊は、手伝ってほしいと言った。
豊が俺に頼みごとをすることは珍しいので、俺は二つ返事でOKを返した。豊は、今度の休みに荷物を運ぶのを手伝うことになった。荷物は、豊の父親の入院に必要なものであった。
「ぎっくり腰って、入院が必要なのか?」
白鷺が俺をホテルに連れ込もうとした日に救急車に運ばれた、豊の父親。だが、彼はぎっくり腰で運ばれたはずである。
「いいや。検査したら、ポリープが見つかったらしい。だから、それを切除するまでは入院。普通ならば日帰りでもいいらしいけど、うちの父親は体が弱くて」
仕方がない、と言いたげの豊。
慣れている様子であった。
「父親って、そんなに体が悪いのか?」
「悪いというか、弱いんだよ。もう何度も入退院を繰り返してる。うちは母親がいないから、俺がこういうときは色々やってるんだ」
そうなんだ、と俺は思った。
豊の父親の荷物を持った俺の視線が気になったのか、豊は自分から「離婚したけど、俺の母親は元気だから」と言った。他人の家族の話だったので、俺は「そうなんだ」としか言えなかった。
「時代なのかな。今は女の方が強いよな」
豊はそういうが、彼の言う強いはちょっと意味合いが違うような気がする。
俺と豊は、二人で荷物を持ってバスに乗り込む。公共交通機関で荷物を運ぶから、人手が欲しかったらしい。タクシーは高いから、使いたくなかったらしい。
「あっ。先輩!」
バスのなかで、明るい声が響いた。
豊に声をかけたのは、ほがらかな少女であった。
亜麻色の髪をツインテールにして、可愛らしいピンクのリップで唇を染めている。チークの色合いも可愛くって、メイクがうまい子なんだなと俺は感心した。しっかりとメイクをしているのに、それに違和感がない。
「お父さんのお見舞いですか?」
気楽に豊に話しかける少女に「今日は荷物を届けに来た」と豊はそっけなく答えた。少女は俺に気が付いて「こんにちはー」と声をかける。
「私、先輩の部活の後輩だった神楽坂アスナっていいます」
彼女の言葉に、俺は「ん?」と思った。
ちょっと前に流行ったアニメのヒロインの名前だった。
「偶然なんですけど、かぶっちゃったんですよ」
明るくアスナは笑った。
あの原作漫画は数年連載していたはずなので、数十年生きている少女のアスナと名前が同じなのは本当に偶然だ。それでも、名前を聞くとちょっと意識してしまう。アニメのアスナと言う少女が、深夜アニメにありがちな明るい健全お色気キャラだったから、余計に。
「アスナは弓道部の後輩だったんだ」
「はい!高校でも弓道部です。よろしくお願いします、先輩の友達さん」
俺は、慌ててアスナに自己紹介した。
「ほら、前に白鷺さんの話が出た時に後輩に教えてもらったって言っただろ。その後輩」
豊は、俺にそう言った。
なるほど、と俺は思った。白鷺とアスナはタイプは違うけど、アスナはこういう性格だから白鷺の噂もきっちりと拾っていそうである。豊は、アスナに俺を「白鷺さんと付き合っている彼氏らしい」と紹介した。
「白鷺の彼氏さんなんですか!」
アスナは、驚いていった。
「よく見れば、頑張ってよく見れば、カッコいいですね」
そこ頑張らないで、素直にほめてほしい。
「白鷺と同学年って聞いたけど……」
「はい、同じクラスです!」
俺の話に割り込むアスナは、本当に元気なタイプの後輩である。なんとなく、運動部の先輩に可愛がられそうなタイプだと思った。
「白鷺ちゃんはいい子ですよ。かわいい子ですよ」
「いや、それは知ってるから」
そうじゃないと付き合っていないし、付き合っているからこそわかってる。
「クラスで、白鷺って楽しくやってるのか?」
俺の質問に、アスナは「うーん」と悩んだ。
「今は……あんまり楽しそうじゃないかもしれませんね」
俺は、その言葉に罪悪感を感じる。
ホテルに連れ込まれそうになって以来、俺はちゃんと白鷺と話もできていない。俺はホテルに連れ込まれそうな話をしたくないし、白鷺はその話をたぶんしたい。逃げて、俺たちはなんとか関係性を保とうとしていた。
「それ……俺のせいかもしれない」
俺の言葉に、アスナは首をかしげる。
「それは、違うと思います。白鷺ちゃんが……」
そんな話をしているうちに、目的地に着いた。
俺と豊は、荷物を持って降りる。アスナも下りた。どうやら、彼女は、豊の父親のお見舞いに来たらしい。なんでも、アスナは豊の父親の顔見知りらしい。
「前に父親を救急搬送するときに手伝ってもらったんだ」
豊の言葉に、俺は苦笑いする。
どうやら、俺と似たような理由でアスナと豊の関係は深まったらしい。俺と豊は、彼の父親が入院している病院まで歩いた。そして、豊と共に病室に行く。豊の父親は、相変わらず怖そうな顔だった。だが、期限はいいらしくて笑顔だった。
怖い顔なのに笑顔。
この矛盾を許してほしい。
「じゃあ、俺は看護師さんに挨拶してくる」
豊は病室を出て行った。
アスナはご機嫌で、豊の父親に挨拶する。
「こんにちは、おじさん」
「ようこそ、アスちゃん」
豊の父親は、アスナを歓迎していた。見舞いの時点で分かっていたが、やっぱり顔見知りらしい。アスナは、豊の父親に俺の紹介をした。
客商売(接客があるのかは謎だが)をしているせいか、豊の父親は顔のわりには明るく朗らかであった。豊の父親はアスナを気に入っているらしい。あるいは初対面の俺と話すのが間が持たなかったのか。
「アスちゃんが、豊の嫁さんになってくればいいのに」
豊の父親は、そう言った。
そのとたんに、豊の父親の顔面にボールペンが飛んできた。投げたのは看護師に話を聞いていたはずだった、豊だった。豊は息を荒げて「そういう話をやめろ」と自分の父親をにらみつけた。
「俺とアスナは、そういうんじゃないんだ。分かってるだろ」
豊の言葉に、アスナは少し悲しそうな顔をした。
アスナは、豊のことが好きなのではないだろうか。俺は、そう思った。
けど、豊はAセクシャルで性的なことには興味がなくて。でも、誰かを好きになることはありえて……うん、ややこしい。
「うちの父親がごめんね。体が弱いから世間知らずで」
「おい、自分の父親になんてこといいやがる」
豊の父親は、自分の息子に対して口調を荒くするが顔は笑顔のままだ。息子のツッコミがうれしいようだ。他人の俺としては、はらはらしていたけど。
「ごめんね。僕の父親が変人で」
「いや、お前の方が変人だろ。可愛い女の子が近くにいて、その子に告白もしないなんて……いでででぇ!!」
豊が、自分の父親をつねっていた。
なんというか、この親子はこれが普段の様子なのだろう。そう思わせる、風景であった。互いに遠慮がまったくないし。
「あっ、先輩。このドラマ知っていますか?」
アスナは、暢気に病室についていたテレビを指さす。時間帯からして、再放送のドラマだろう。
「このドラマで名前をかかないラブレターがちょっと流行ったんですよ。名前をかかないラブレターをなんども送って、相手をじらすって告白方法なんですけど」
アスナの言葉には、俺も覚えがあった。
白鷺が俺に送ったラブレターも、名前がなかった。それどころか待ち合わせの場所も書かれていなかった。きっと白鷺も流行りのドラマも真似をしたのだろう。そう思うとちょっと微笑ましい。だが、ちょっと引っかかることもあった。
「あれ?なんどもラブレターを送るのか?」
俺の疑問に、アスナは答える。
「そうです。そうやってじらすんですよ。ほら、名前も待ち合わせの場所も書いてなければ相手はラブレターを出した相手を調べようがないじゃないですか」
アスナの言葉は、もっともであった。
俺が待ち合わせ場所を屋上だと思ったのは思い込みだし、時間が放課後だと思ったのも所詮は思い込みだ。そして、そこに白鷺がいたのは――もしかしたら偶然だったのかもしれない。
だとしたら……――だとしたら……――
あのラブレターを出したのは、白鷺ではない。
その考えを、俺は振り払おうとした。
だが、考えれば考えるほどにそちらのほうが説明が付くんのだ。
豊の父親のお見舞いが終わり、俺たちはアスナと別れた。
「元気な子だな」
最後まで笑顔を忘れなかった、アスナ。
素直にいい子だな、と思える後輩だった。
「ああいう子と付き合ったら、幸せになれそうな感じがする」
俺には白鷺がいるのに、白鷺に一瞬不信感を感じていたから、アスナに対してそんな印象を抱いてしまう。
「やっぱり、そうだよね」
豊は、ため息を漏らす。
「昔、アスナに告白されたんだけど……断ったんだ」
豊は、そう言った。
俺はびっくりした。
「どうしてだ。いい子だろ」
「いい後輩だよ。可愛い子だとも思うし。けど、もしもアスナが性的なことをしたいと言っても僕はやりたくない。そういう喧嘩をアスナとはしたくなかったんだ」
ズルいでしょう、と豊は言った。
「でも、Aセクシャルでも恋愛はするんだろ。アスナのことは好きじゃないのか」
俺の質問に、豊は答えた。
「たぶん、好きだよ。好きだから、将来はくだらないことでもめたくない」
豊の話は、俺とずいぶんと価値観が違う。
俺だったら、性で喧嘩することを付き合うときには考えないだろうと思った。そんなんだったら、今困っているわけでもあるのだが。
「それより、君は大丈夫?なんだか、ちょっと悩んでいたみたいだけど」
豊は、俺の方を見た。
「いや、俺は白鷺にラブレターをもらって、それで付き合ったんだけど。今日のアスナの話を聞いたら、ラブレターは別人が書いて、白鷺は書いていないじゃないかと思って」
俺の話を聞いて、豊は少しばかり考えていた。
「僕が黙ってたことを言ってもいい?」
俺は、頷く。
「まず、最初に僕はアスナからの事前情報があったことを言っておくよ。白鷺さんは、クラスにあんまりなじめていないらしい」
その話に、俺は驚いた。
「初めて聞いた」
「僕も、君が白鷺さんから聞いてなければいうべきじゃないと判断してた。あと、アスナの話では、白鷺さんは中学時代から虐めを受けてたって話だ」
「からって……」
豊は、両手を上げる。
「僕は、あくまでアスナから話を聞いただけだからね。中学校で白鷺さんを虐めてた子も一緒に進学してきたってことじゃないかな」
豊は、その話をあまり掘り下げては聞いていないらしい。
白鷺の問題は、俺と白鷺の間で解決すべきだと思ったのかもしれない。
ただ、俺は白鷺の問題をそこまでちゃんと知らなかった。
俺はちゃんと白鷺と話をしてさえもいなかったのだろうか。
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