第2話

 翌日、学校に行ったら苦笑いを張り付けた豊が待っていた。

豊は、俺を屋上手前の踊り場まで引っ張っていった。屋上には鍵がかかっていて出ることはできない。さらにずっと前から電球も壊れているので、屋上に続く踊り場は学校内でも人気のない場所である。

 そんな場所に俺を連れてきた豊は、ぎろりと俺をにらんだ。

 俺は優しげな顔立ちとは言えないが、豊はわりと可愛い顔立ちだった。童顔で、ちょっと幼くも見える印象だ。だが、その顔も今は怒りで歪んでひどいものになってしまっている。

思い返せば、ラブホから救急搬送された彼の父親も怖い顔をしていた。豊は怒ると父親似なるのだろうか。そんなことを考えていると、豊は俺を壁に押し付けた。

 これは壁ドンだ、と俺は思った。

 少女漫画が原作の映画ぐらいでしか見たことがなかったので、実際にやられるのは初めてだった。相手が男でもドキドキする。殴られそうで。

「昨日のこと、誰にも言わないでよ」

 豊は、俺にそう釘を刺した。

 拳が飛んでくると思っていた俺は、ちょっと拍子抜けだった。

「昨日って……やっぱりあのラブホって」

「そのこと学校では言わないでくれる?」

 豊は、俺から離れた。

 俺は、ほっとしていた。

「あれ、僕の父親の店なの」

 豊の言葉に、俺は驚いた。

 父親の店ということは、豊の家の稼業はラブホということになる。

「じゃあ、お前があそこにいたのって……」

「ぎっくり腰になった父親からSOSがあった。でも、僕だけだとどうにもならないから、救急車を呼んだんだけど……」

 そこで、俺たちと鉢合わせしたらしい。

 豊からしてみれば、それは不運でしかなかっただろう。父親がぎっくり腰になったのも、不運ではあるが。

「もしも、僕の実家のことをしゃべったら……そっちが実家にこようとしたのを先生にばらすからね」

 豊の言葉に、俺は絶句した。

豊は、俺が白鷺をラブホに連れ込もうとしていたと考えているらしい。

「俺は、止めようとしたんだよ!白鷺のほうが、入ろうとしてたんだ」

 俺の言葉に、豊は冷めた視線を俺に向ける。

「へー。白鷺さんって、新入生の子だよね。零って、下級生と付き合ってたんだ」

「お前こそ、どうして白鷺が新入生って知ってるんだよ。新入生が入学してから、まだそんなに日が経ってないぞ」

 豊は、友人が多いほうではない。

クラスに馴染んでいるけれども、本音を言うような友人はいない。俺から見た感じ、豊はそんなクラスメイトだった。だから、白鷺の名前を聞いただけで新入生と判断がついたことに俺は驚いていた。白鷺も目立つほうの生徒ではなかったし。豊は、つまらなそうに答えた。

「中学校時代の後輩が、今年新入生として入学したの。その子が、白鷺さんのことを知っていたの」

「そうなのか。世間って狭いな」

 俺は、苦笑いをする。

 中学校時代には、すでに俺と白鷺は付き合っていた。

 それは、豊にバレたくはないなと俺は思った。中学時代ことは白鷺と付き合っていることは、周囲には言っていなかった。二人でどこかに行くときも、同級生に会わないようにしていた。

「一応言っておくけど、高校生があんなところ利用しないでね。なにかあったら、店側が悪く言われるんだから」

 ラブホの従業員みたいな豊の言葉に、俺はむっとした。

「だから、俺は止めた側なんだって」

「はいはい。男はみんなそういうよね」

 お前も男だろ、と俺は豊の頭をどつく。

「本当に、白鷺がお前の実家に俺を連れ込もうとしたんだよ」

 どうすればいいんだよ、と俺は豊に愚痴っていた。

 俺としては白鷺とそういう関係になるのは早いと思うのだが、白鷺が俺の意見を聞いてくれないのだ。

「どうして、そんなことを僕に愚痴るの」

 豊は、戸惑っていた。

「お前、実家がああだから詳しいだろ」

 俺がそういうと豊は「詳しくない!」と怒鳴った。

いきなりの怒鳴り声に、俺は驚く。

「中学校の頃は、その手の話題でからかわれていたから嫌なの」

 ふん、と頬を膨らませる豊。

 俺は、その迫力に負けてしまっていた。本当に、怒っているときの豊の顔は怖い。なんというか、陰で二人ぐらいは殺していそうな凶悪な顔つきになる。

「ああ……そうなんだ」

 考えてみれば、中学生だったらからかってしまいそうな話題である。ちなみに、俺と豊は違う中学校出身である。そのため、豊の中学生時代は知らなかった。だが、豊がクラスで親しい友人を作りたがらない理由が分かったような気がする。もしも、実家のことでまたクラスメイトで揶揄われることになったら辛いであろう。

俺は、豊に「おちつけ」と言った。

「からかってるわけじゃないんだ。俺は自分を大事にしろって言ったのに、あいつはいつなら適切なのって言いだして……なぁ、俺は間違ったことを言ってないよな?」

 俺の言葉に、豊は若干考え込む。

 俺としては考えこむようなことがあっただろうか、と思ってしまう。

 そして、顔を上げた。

「間違ってはいないけど、正解ではないんだろうね。そもそも、どうして白鷺さんはそんなことを言い出しの?」

 白鷺の言葉に、俺は少しだけ考えた。

「そりゃ、高校生になったからだろ。白鷺にとって、高校生がそういうことをするのに適切な年齢だったんだろ」

 俺の返答に、豊は「たぶん不正解」という。

「というかさ、零は白鷺さんと付き合うのが面倒になってるんじゃないの。自分を大事にっていったのも、とりあえずその場から逃げたかったからだろうし」

 豊の言葉に、俺はうっと言葉に詰まった。

 それは、俺が一番つっこまれたくはなかった事柄だった。なにせ、それも本心の一部であったからだ。

「付き合いは面倒だとは思ってないぞ」

「ただ、白鷺さんとの関係は積極的に言わないことにしてたんだよね。僕の後輩も白鷺さんが誰かと付き合っていることは知ってても、誰と付き合っているかは知らなかったみたいだし」

 豊の指摘のとおりである。

 白鷺との付き合いを面倒とは思わなかったけど、周囲にはできる限り隠していた。周囲にバレると色々と面倒なことになることを知っていたからだ。

「まぁ、高校生ぐらいならやっててもおかしくない年齢なんじゃないの?」

 豊の言葉に、俺は驚いた。

 真面目そうだから、彼も俺の意見に賛成してくれると思ったのに。

「お前まで、白鷺と同意見なのかよ。まさか、おまえ経験者とか言わないよな」

 豊は親しい友人はいないけど、顔立ちはそれなりに整っている。年上に好かれそうな雰囲気だったから、年上のお姉さんに導かれて経験したという可能性はあるような気がした。それに、実家が実家だし。

「言わないよ。僕、そういうの嫌い。面倒だから」

 年頃の男とは思えない言葉だった。白鷺を遠ざけた俺でさえ、興味だけはあるあというのに。ただ実戦するかどうかとなると、やはりどこかで培った長年の倫理観が俺の行動にストップをかけるけど。豊は、ため息をつく。

「たぶん、僕はAセクシャル。そういうことに興味ない」

 聞いたことのない言葉が出てきた。

 ただ話題の方向性から、なんとなくの意味合いは分かる。

「それって、ゲイとかレズとかとおんなじ感じで特定のものにしか興味がないってことなのか?」

 自分で言いながら「あれ、ノーマルも異性にしか興味ないぞ?」と思った。思ったが、俺の語彙力ではなかなかすべてのものを平等に扱うのは難しい。

 俺の言葉に、違うと豊は言った。

「逆だよ。何にも興味がない人のこと。女性にも男性にも興味がないんだよ。いや、性的なことに興味がないってことかな?」

 好きになる人はいるよ、と豊は言った。

「そんな性別聞いたことないぞ」

 俺は、正直な感想を抱いた。

「性別じゃないって。Aセクシャルは、バイセクシャルとかと同じ性的趣向みたいなものだよ」

 豊は、そう説明する。

 バイセクシャルも聞いたことのない言葉だった。

 少なくとも教科書とかには乗っていなかった言葉だ。

 豊の説明によると「男でも女でも大丈夫なのがバイセクシャル」「そもそも性欲がないのがAセクシャル」らしい。Aセクシャルがないのは性欲だけなので、他人に好意をいだくことはあるらしい。

「最近聞くようになった言葉だからね。無理もないよ」

 そういう、豊。

「なんで、習わないんだろうな」

 俺は、疑問に思った。

「こういうことをやる適切な年齢とか人によって性的趣向が違うこととか、ちゃんと学校でやってくれたらすごく楽なのに」

 もしも学校で教えてくれたら、俺と白鷺はこじれることはなかった。

 豊の理解だって、もっと簡単だった。

 そんなことを考えていると妙案が浮かんだ。

「そうだ。やっちゃえばいいんだよ」

 俺は、にやりと笑った。

「文化祭で、俺たちで性教育しようぜ。AVを流したり、討論会してりしてさ」

 この世にはたくさんの趣味趣向があって、それについて話し合えたりしたら俺の疑問も少しは解消するのではないかと思ったのだ。

「……アホなの」

 豊は、俺を軽蔑の目で見ていた。

「そんなの認められるわけがないでしょ。しかもAVの上映って……最低でも映画研究会と生徒会と校長の許可がいるよ」

「最低でも三つの許可でいいのか。でも、逆に考えれば三つの許可でいいんだよな」

 俺の言葉に、豊は頭を抱えていた。

 自分でも無理難題を言っているのは分かる。けれども、物事は学ばなければ始まらない。学ぶ機会がなければ、自分から動かなければならない。

「なんで、そんなに気楽なの?」

 豊の言葉に、俺は笑う。

「だって、まだやってみてないだろ」

 無理難題なのは、分かっている。

 けれども、まだ動いてさえいない。だから、まずは動いてみないと始まらない。

 やりたいことは決まった。

 やらなきゃいけないことも決まった。

 あとは、やってみるだけだ。

「じゃあ、文化祭に向けてまずは映画研究会に話をしにいくぞ」

 放課後に映画研究会に行くぞ、と俺は豊に行った。

「どうして、僕を巻き込むの!」

 理不尽だ、と豊田は頬を膨らませた。

「だって、おまえそういう知識が豊富だろ」

 俺の言葉に、豊の顔が怒りで赤くなった。俺は、慌てて弁解する。

「違うって。実家のことじゃないって。現に、お前は俺の知らないことを知っていたじゃないか。だから、お前はアドバイザーなの。副実行委員長みたいなものなの」

「勝手に任命しないでよね!」

 そう言いながらも、豊の怒りは軽減したようだった。

 よかった。

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