そうだったのですね。
特攻というか、「はらきり」のような文化は日本の独特のものかと思っていましたが、そうした文化を持ち合わせている国が他にもあったのですね。
戦争の混乱期ですから、そうした気持ちに突入していくことは容易に想像はつきますが。
ナチスのユダヤ人迫害もそういうことなのでしょうか。
作者からの返信
ナチスドイツのユダヤ人迫害は、政治的な問題ですね。敵を作り、様々な問題を彼らのせいにし、国民の不満をそらす…。虐殺があったのは事実ですが、戦後のユダヤ系のプロパガンダはかなり大げさな内容になっており、事実とはかけ離れたん内容が流布していますね。実際ヒトラーは、自分のお母さんの主治医だったユダヤ人の医師を最後まで大事に扱っています。政治的に利用はしたが、本当の差別意識の持ち主だったのか、疑問視する見方もあります。
何とも重く難しい話だと思いました。
日本だと無責任で残虐で愚かな将軍や将校が発案した狂った行為とされています。
私は報道する側の人間が多くの場合信用に足る識見と知識をもっているとは信じがたいのでそれを鵜呑みにはしません。
もちろん、こうした行為を感情的になり賛美するつもりは毛頭ありませんし、何より今の自分には出来ないと思います。
ただ、第一次大戦とその後の地獄を実際に経験したドイツにおいてこうした作戦を
(ヒトラーやゲーリングが当初反対するような)を国民が支持し積極的に後押ししたということは狂気でも何でもないと思います。
彼らの数少ない選択肢の中で選んだことだというのは事実ですから。
私が思うにもしこうした悲劇を二度と繰り返したくないのであれば、そうなった経緯を狂気や一部の人の責任に転嫁することではなく、その前に何が出来たかといった代案を考慮し、その痛みや損失とこうした悲劇を比べることが大事ではと思いました。
将来について無知で無責任、そして責任転嫁と碌な代案を出さずに目先の利益に固執する様を見ると、果たして狂気の将軍たちを断罪できる資格があるのか、自問すべきですし、私個人もまた自問したいと思います。
単にたまたま先人達の壮絶な努力の余熱に浸り、平和をむさぼっているだけではないか、そんな風に感じました。
作者からの返信
>先人達の壮絶な努力の余熱に浸り、平>和をむさぼっているだけではないか
私もそう思いますね。
今の政治、経済界の人々は、歴史を
きちんと学んでいる人が少なすぎる様に思います。
私の様な若輩者に馬鹿にされる様な
レベルでは、本当に先が思いやられます。
180機の内15機だけ生還とは何と凄まじい。
神風特攻隊の遺書を倫理の授業で読んだことがあります。
その方は相当なインテリだったようで、内容が難解すぎて理解できませんでした。
感情に訴えるような文にわざとしなかったのか、できなかったのか。
おそらくは前者のような感じがします。
このような戦法を取らざるを得ないのは敗色濃厚な証拠。
国はそうならないように常に考えていなければ。
坂井三郎氏はインタビューでこの戦法についてボロクソに批判しています。
しかし自らの命と引換えに皆の命を守るという気概は西洋人の心の琴線にも触れるようで、ハリウッド映画のラストシーンにも多数使われています。
今はドローンをはじめ無人兵器が花形ですが、敵と刺し違えるかどうか、という決断は形を変えて迫ることでしょう。
その時は後悔しない決断をしたいものです。
作者からの返信
こういう戦い方に対しては色々意見があると思いますが、自分の命を他者の為に完全に捧げるというのは、最も偉大な愛の発露だと思います。
アメリカでもアラモの戦い等は長く語り継がれていますし、宇宙人が侵略してくる映画で、宇宙人の母船に
特攻するシーンが出て来たります。
事の実際に及んだ偉大な戦士達に対しては、只々、黙とうあるのみだと私は思います…。