ドイツ版 神風特攻…出撃!エルベ特別攻撃隊!

敵に対する命がけの体当たり攻撃としては、

日本の神風(しんぷう)特別攻撃隊が有名ですが、

第2次世界大戦のドイツにもそれがあったのを皆さんご存知でしょうか?


今回は、そのドイツ版神風特攻、

エルベ特別攻撃隊についてお話したいと思います。


ドイツの敗色が濃厚になった1944年(昭和19年)秋、ドイツ空軍の力は

大きく衰え、イギリス本土から来襲する米英爆撃機の有効な阻止が

出来なくなっていました。これを阻止する為には、時速800㌔を越える高速と

重武装の新型ジェット戦闘機、メッサーシュミットMe262が必要でしたが、

米英軍の激しい爆撃に妨害され、生産がまったく捗りません。

この期待の星の戦闘機の数を揃える為には、一時的にでも米英爆撃隊の戦力を

大きく削ぎ、ドイツの生産工場への爆撃を阻止する必要がありました。


1944年末、日本の神風特別攻撃隊の戦果を知った、

ドイツ空軍のハヨ・ヘルマン大佐は、操縦練度の低いパイロットであっても、

体当たり攻撃であれば、確実に大型爆撃機を撃墜出来るのでは?と考えます。

長引く激戦でアメリカのB-17やB-24、イギリスのランカスター等の

大型爆撃機を撃墜出来る腕利きのドイツ人パイロットは減少しており、

練度の低いパイロットが大半を占める状況では、

これしか方法がないと彼は考えたのです。


彼の意見具申に対し、当初ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングや

総統アドルフ・ヒトラーは、この自殺行為としか思えない提案に否定的で、

特に第一次世界大戦の撃墜王でもあるゲーリングは、

「自滅を前提とするのは、ゲルマン的な戦い方ではない」

と言ったと言われています。

しかし彼らの意見は、人道的な見地からというよりも、

むしろ無責任な責任逃れから出た言い訳でした。

実際、ヒトラーもゲーリングも最終的にこの案を承認した上に、

ゲーリングに至っては、ヘルマン大佐自身が作成した草案から、

【空軍総司令官(ゲーリング)自ら部隊を訪問し激励する】

という旨の一文を削除した上で命令書にサインしています。


この命令に基づき、1945年3月24日、300人の志願者が集められます。

その多くは実戦経験のない若者達でした。

志願者には作戦内容…すなわち体当たりによる敵重爆撃機撃墜戦法が説明され、

辞退も認められていたそうですが、戦火の中、次々と灰になる祖国に

想いを馳せる若者達は、大半がその場に留まりました。


体当たり用に用意された戦闘機…メッサーシュミットMe109Gからは、

無線送信機(受信機は別)、防弾版、機銃が取り外されます。

機体を軽くし、速度を上げる為です。

機首の機銃のみ残されましたが、敵戦闘機からの自衛用として、

最低限…たった60発の弾丸が残されただけでした。

これではせいぜい1連射か、2連射しか出来ません。

脱出用の射出座席は残され、パイロットは体当たり直前に脱出する事が

許されていましたが、メッサーシュミットMe109の風防は横開きで

高速飛行中に開く事は難しく、

練度の低いパイロットにそんな芸当が出来るはずもありません。

彼らが死亡する確率は90%以上…。すなわち生還の可能性は殆どなかったのです。


1945年4月7日、1,304機の重爆撃機と792機の護衛戦闘機からなる

大規模な米英爆撃隊がドイツに来襲…。

この日、出撃準備を整えて待機していた僅か180機のエルベ特別攻撃隊は、

この圧倒的優勢な敵に向かって果然と出撃します。

出撃に先立ち、隊を率いるハヨ・ヘルマン大佐は隊員に対し、

『全機、体当たりを敢行し、敵重爆1機を撃墜せよ!』と命令、続いて

『今や祖国の存亡は諸君らの双肩に掛っている。全機、我に続け!』

と訓示します。


ハヨ・ヘルマン大佐も自ら部下の先頭に立ち、出撃したのです。


この日は特別に無線封鎖も解かれ、特攻機の無線受信機からは、隊員を

鼓舞するために『ホルスト・ヴェッセルの歌』や『ドイツ国歌』などが

流され、女性の声で「空襲で焼かれた母を、子を思え!」

とメッセージが連呼されました。

祖国を想う気持ちは何処の国の若者でも同じ…。

純粋な彼らは圧倒的劣勢に怯むことなく突入していったのです。


この凄まじい戦闘から帰還を果たしたエルベ特別攻撃隊は僅か15機。

その中にハヨ・ヘルマン大佐の姿はありませんでした。


戦後の米軍報告では、「17機が撃墜され、このうち8機が体当たり攻撃による。

また、5機が大破の後墜落。帰還後に損傷が認められたのは147機で、

うち109機は修理不能」と報告されており、

攻撃隊が文字通り、ひとり良く一殺を成し遂げた事がわかります。


この同じ年の同じ日…4月7日。

ドイツから遠く離れた日本でも菊水1号作戦が発令され、

九州から多くの特攻機が沖縄の米軍艦隊に向け出撃、突入していきました。


毎年春…4月の初旬…。

祖国の未来を想い、決死の覚悟で桜の様に散っていった

東西両国の勇敢な若者達…彼らに想いを馳せ、

その想いの遥か彼方にある自分の命について、

改め考えてみるのは、とても大事な事だと私は思います…。


生きる事を簡単に諦めてはいけない。

それは彼らの勇気に対する冒涜なのです…。

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