集中力と鈍感力。

今日のお題は集中力と鈍感力です。

この言葉は一見、相矛盾する正反対の言葉の様に見えますが、

実際にはコインの表と裏、表裏一体をなすものです。

なぜなら集中するという事は、

【集中する対象以外には注意を払わない】という事だからです。


この集中力は特にエンジニアや、芸術家には必須とされるものですが、

集中してプログラムや創作をしてる状態を理解したい人は、

頭の中に8×8のマスを書いて、1人でオセロをやってみてください。


中盤ぐらいに、白と黒が大きく入れ替わったときに話しかけられても、

一切無視して頭の中でオセロを続けられる人が、

エンジニアや芸術家としての適正が高い集中力のある人です。

将棋や囲碁等でプロになる人はみんなこんな感じなので、

何となく想像はつくのではないでしょうか?程度の差はありますが、

いわゆるアスペルガー症候群的な要素を持っている人ですね。


そんな時に「エクセルの使い方教えて!」とか言われて、

頭の中のオセロの盤面を綺麗さっぱり忘れてしまうのが、

コミュニケーション能力の高い普通の人です。


集中力の極めて高い人は、集中している時、他の要素に注意を払いません。

つまり他の要素を一切無視できなければ集中なんか出来ないのですね。

集中力と鈍感力は表裏一体である事をわかって頂けたでしょうか?


私の勤めている大学でも、理系の研究者にはこういう人が結構います。

こういうタイプの人は、服装が適当で、毎日同じ物を着ていても

全然気にしないとか、フォーマルな会議の時でもジャージと草履で

やって来たりとか、昼ごはんに食べたカレーが辛すぎて、

辛いから家に帰っちゃうとか、半裸で街中をジョギングしてたりとか、

まあ、程度の差はありますが、傍からみるとちょっと変なおじさんが

多かったりします。

(集中力のある人は全て変な人であると言っている訳ではありませんよ…)

鈍感力が高いので、社会の常識とずれていても気付かない事が

多い様なのですが、その分、ものすごい集中力を発揮したりするわけですね。


さて、東大や京大などの大学でも最近は推薦入試を始めています。

特定の分野で飛びぬけた才能の持ち主を探し出すのが目的ですが、

両方の大学とも推薦基準がもの凄く厳しいのですね。

センター試験等で一定の成績を出すのがまず前提になっているあたり、

わかっていないなぁ~と思ったります。

この両大学も含め、日本の国立大学はセンター試験を必須とし、

その上で2次試験で専門科目を課して入学者を選抜します。

これでは平均的に全て出来る人しか集まって来ません。

あれもこれも全て出来るという人物は、全て出来ないのと

同義語だという事をのたまわった歴史上の偉人がいますが、

日本の国立大学の選抜はまさしくこういう方式なのですね。


企業の面接でもそうだと思います。

新人面接ではみんな同じリクルートスーツで来るのがお約束。

集団面接…個人面接と面接を非常に重視しています。

エンジニアや芸術家系等、集中力と創造性に恵まれていても、

コミュニケーション能力がないと採用されない訳です。

ですが、こういう集中力や創造性と、コミュニケーション能力

双方に優れた、超サイヤ人みたいな人はめったにいません。

なので、才能ある人をわざわざ脱落させる為の試験なのではないかと

思ったりします。


アインシュタインは数学以外の科目は壊滅状態だったそうですし、

ジョン・レノンは楽譜が読めませんでした。

言いたい事しか言わないスティーブ・ジョブズは普通に面接で落ちるでしょう。

多くのもので平均ないしそれ以上を求めてしまうと、

突き抜けた才能を見つける事は不可能である…。

これを悟って初めて、推薦入試という物が意味をなすのではないかと

私は思ったりするのですが、皆さんは如何思われるでしょうか?

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