真のアーティストの現れる時代…。
行きつけの居酒屋の常連客のひとりに、
もう現役を引退した元質屋のマスターがいました。
年齢も83歳とかで、いつも恵比須顔でニコニコしながら、
つまみと日本酒をチビリチビリとやっておられるおじいちゃんです。
そのおじいちゃんと会話した時に面白い事を教えて貰いました。
今もそうかもしれませんが、昔の質屋にはもうそれこそ
様々な物が持ち込まれます。それを質草にしてお金を融通する
訳なのですが、やはり最も大事なのは、真贋の見分けな訳です。
偽物を掴まされた日には大損こいてしまいますし、
下手をすると店の経営が傾きかねません。
ブランド物はいつの時代でも偽物が作られますし、
書画骨董品とかも例外ではないですからね。
TVでもお宝鑑定団というのがありますが、まさにあの世界な訳です。
そのおじいちゃんは先代の父親から真贋の見分け方を
若い頃から徹底的に叩き込まれたそうですが、
その真贋を見分ける修行の方法が面白いのです。
というのも、学問ではないのですから、真贋の見分けに必要以上の
労力はかけられないし、そんな時間もない。
技術的な点はさておき、最後はカンの勝負になる事がある。
このカンの鍛え方ですが、面白い事に最初の5年くらいは、
本物しかみないというか、本物だけを徹底的に鑑賞する。
そうすると偽物が混じるとわかるのだとか。
逆に最初に本物と偽物を交互に見たりすると駄目だそうです。
これを聞いて思った事は、これはなるほど音楽に当てはまるなぁと
言う事でした。音楽は世の中では色々なジャンルに分類分けされ、
さらにはXX年代風とか、渋谷風、池袋風とか、良くわらないジャンル分け
も存在しています。それをさもわかった風に批評する人も大勢いるので、
なんだかなぁ~と個人的には思うのですが、私の中での音楽の基準は
とてもシンプルなものです。
それは【良い音楽】と【悪い音楽】。この2種類です。
どんなジャンルであろうがこの2種類は存在する。
ですが、それを聴き分ける事が出来る人は実はそんなに多くない。
人間は感受性の一番鋭い、10代前半から20代前半頃までに
好きだった音楽を一生好むというのは、研究データがあって確かな事なのですが、
要は中学生、高校生、大学生の頃に好きだった音楽が、一生好きになるのですね。
ここで演歌ばかり聴いている人は一生演歌が好きだし、
ロックが好きな人は一生ロックファンになるという事です。
同時にこの時期に良い音楽を一杯聴いた人は、良い音楽がわかる様になる。
つまり、良い音楽と悪い音楽の差がわかる感性の持ち主になるという事です。
逆であれば、良い物と悪いものとの区別がつかないという訳ですね。
じゃあ、良い音楽って何だよと言われるかもしれませんが、
これはある程度客観的に推測する方法があります。
それは、その音楽の寿命です。その音楽が発表されて、
30年以上が経過してもまだ聴かれている様なら、
それは名曲の範疇にいれて良い楽曲だと思います。
それが40年以上経過してまだ寿命を保っている様なら、
真の名曲と言って良いでしょう。
こういう楽曲を作る人は、売れる売れないの前に、
自分が納得しないものは世の中に出さない偉大な作家です。
流行とかに流されない、しっかりした何かをもっている。
文学もそうかも知れません。芥川龍之介は著作の中で
【もし作品が発表されて30年経過した後、
なおも読むに足りる作品を10残したのなら、
その作家は大家の列に入れて良いであろう。
5作品残したとしても名家の列には入るであろう。
最後に1作品残したとしても、それでも兎に角1作家である。
この1作家になる事ですら、決して簡単な事ではない】
一方、もしそういった長寿の楽曲を何度も聴いてみて、
その良さを全く感じられない様なら、
それはもう音楽の方に問題があるのではなくて、
聴いている人間の感性が水準に達していないという事なのだと…
私は思ったりします。
このあたりの感覚が質屋の真贋の鑑別と似ている気がしたのでした。
今時の日本の音楽業界では、音楽はダンスと映像のセットでないと売れない
物だと信じている人が非常に多いのですが、
メインがダンスと映像の方で、音楽なんか何でも良いのではないかと
考えている様に思うのは私だけなのでしょうか?
DTM等の機器やボーカロイドの発達で、誰でも音楽を作れる良い時代に
なった一方で、本当の意味での優れた才能の持ち主が地下に潜ってしまい、
現れてこなくなった様に感じます。
アマチュアの音楽サイトの中には無償で何十万曲も聴けるサイトが
あるし、Youtubeにも色々な音楽が溢れていますが、
本当に良いと思える楽曲は極めて少ないと思うのは、私だけなのでしょうか?
駄目駄目な物が溢れた結果、駄目な感性の持ち主が量産されて、
結果悪貨が良貨を駆逐する。今はそんな時代なのかもしれません。
まだ著作権などという概念がなかった時代、音楽家は音楽のわかる
人達の要望に応じて曲を書き、貴族とかのパトロンからお金を貰って
生活をしていました。良い音楽であれば、相応の対価を払って、
それを保護しようとする人達がいた時代です。
クラッシックの大家は皆その様な生活を送っていました。
その為に必要とされる才能や技術は、耳の肥えた人達を納得
させるだけの物でなければ駄目で、偉大な才能と大変な訓練が
なければ、作品は決して日の目をみる事は出来ませんでした。
故に何百年もの寿命のある作品が出来上がったと言えるかも知れません。
今って、DTMのソフトの上にコード譜を設定して、
それに適当にメロディーを乗せ、適当にアレンジして1曲完成とか、
そんな事が普通に行われています。
これならコストがかからないし、量産できるし、
どうせ誰もまともに聴いてなんかいないのだから、
これで十分という訳です…
月額いくらの定額制で、膨大な楽曲を聴き放題というサービスも
存在しています。サービスを作った側からすれば、既に存在している
何百万という楽曲をたれ流せばお金になる訳なので、
売れるかどうかもわからない新人の作品なんかにお金をかける
事はないし、そういう新人に才能がある人が居ても、
結局膨大な駄曲の海に埋もれて、殆ど聴かれる事無く消えて行く。
どんな世界でもそうですが、新陳代謝のない世界は衰亡していくだけです。
アイドルが歌って踊るのが悪いとは言いませんが、
それしかない日本の音楽業界、芸能界の駄目駄目振りは目に余る
ものがあります。
しかし今回のコロナ騒動はひとつの転機になるかも知れません。
そう、ダンスや映像なしで、音楽だけで勝負出来ないと、
生き残れない時代になるかも知れないから…。
何十年もの寿命を持つ楽曲を作れる、真の新しいアーティストの出現を、
今私は待望しているのでありました…。
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