史上最高の投手は誰か?(実在した岩田鉄五郎)。

私は自他共に認める野球ファンで、今年最も悲しい出来事のひとつが

春/夏の高校野球の中止です。なので、今回は野球ネタに振ってみたいと思います。


漫画家の水島新司さんが書いた野球漫画に【野球狂の詩】という作品があります。

私の父が好きだった漫画で、家に全部あるので私も読んだ事がありますが、

この漫画に出て来る投手に、岩田鉄五郎という人物がいます。

漫画の中では正確な年齢が出て来ませんが、彼はプレイングマネージャーで

あり、投手兼投手コーチ、推定年齢は50代半ばくらいだと思います。

よれよれのおじいちゃんがべらんめぇ調で

雄叫びながら投げるシーンは今でも記憶に鮮明。

事実は小説よりも奇なりという言葉がありますが、アメリカ大リーグに

この岩田鉄五郎さんみたいな投手がいた事を皆さんは御存知でしょうか?


彼の名前はリーロイ・ロバート・【サチェル】・ペイジ。

1906年アラバマ生まれなのですが、全盛期はメジャーリーグではなく、

ニグロリーグ在籍の時でした。日本ではあまり知られていませんが、

黒人選手が大リーグに入れるようになったのは1947年からです。

メジャーの全チームで永久欠番になっているジャッキーロビンソンがその第1号。

それまでは白人と黒人は別々のリーグでプレイしており、

メジャーリーグとはすなわち白人リーグの事でした。

悲しい人種差別のあった時代だったのです。


ペイジは黒人プロ野球ニグロリーグから1948年の途中に

大リーグメジャーのインディアンス入り。

その年は6勝1敗、防御率2.48で優勝に貢献しています。

1906年生まれなので、42歳ですね。大リーグ史上最年長の新人投手でした。

48歳で引退するまで6年間、メジャーでの通算成績は28勝31敗。

勝率は5割を割りますが、年齢を考えれば立派なものだと言えます。


その後問題が起きます。ペイジのメジャー在籍期間が

僅か数ヶ月足りなかった為に、

大リーグ年金が得られず、50歳を過ぎて貯金が尽き、困窮したのです。

ビルで掃除のアルバイトを何年も続けていたそうです。幸いな事に

見るに見かねたアスレチックスのオーナーが、

『コーチで良いから我がチームに来い』と誘ってくれる僥倖がありました。

数ヶ月在籍すれば、大リーグ年金が得られるからです。

でも、我らがペイジには意地がありました。

彼はたった一つの条件を付けたのです。

それは選手として実戦に登板することです。


1965年9月25日、ついにその機会が訪れました。

サチェル ペイジ最後の公式戦登板です。

出生記録からすると年齢は59歳と2ヶ月と18日。

メジャーリーグ公式戦最年長登板記録です。

実際はそれより5~7歳上の年齢であったと言われていた事を付け加えます。

彼が生まれた当時の黒人の出生記録はいいかげんな物だったからです。


対レッドソックス戦。先発して3回終了まで投球。

結果は、サチェル ペイジ最後の登板に相応しい物でした。

3回打者10人。1安打 1奪三振、 無失点。 

観客は盛大なスタンティングオベーションで答えたそうです。


かつて全盛期のペイジと対戦した事もあるメジャーリーグ伝説の大投手、

ボブ フェラーは自身の殿堂入りに際して、こう述べています

(白人メジャーリーグとニグロリーグは当時交流戦を行っていたので、

対戦はそれなりにありました。ちなみに黒人リーグ選抜チームと

メジャーリーグ選抜チームによるオールスターゲームの通算成績は、

黒人リーグの266勝166敗。レベルとしては黒人リーグが高かった)。

『俺より先に、ここに入るべき人がいる。サチェル ペイジがその人だ。

俺の最高のストレートも、彼のストレートを前にしては、

チェンジアップに過ぎなかった。』当時の陸軍の協力を得て

記録に残る、正確なスピードガンで計測された30歳当時の

ボブ フェラーの球速は、158.6km(98.6マイル)です。


※参考に当時の映像記録のアドレスを乗せておきます↓

1946年 ワシントン Aberdeen Ordinance Plant in Washington, D.C

グリフィス・スタジアムで計測 → 98.6マイル(159キロ)

(その時の動画)

https://www.youtube.com/watch?v=aMPxpOapRuU


但し当時の測定方法により、これは終速です。よって初速は160キロ代後半

(現在の野球中継で表示される球速は初速ですね)になります。

ボブ フェラーは火の玉投手と言われ、畏敬された大投手でしたが、

足を大きく上げ、大きな投球フォームでコントロールが定まらず、

盗塁を多く許す事でも有名でした。

対するペイジのピッチングフォームは、腕のしなりを利かせた

美しいものだったそうで、ゆっくりとしたフォームから、

目にも止まらない球速のボールを投げ込んでくる。

彼は自分より遥かにスピードが速いのに、

針の穴を通すコントロールを持つペイジを心から尊敬していたそうです。

ちなみにノーランライアンとペイジ、

両方の全盛期のボールを受けた事のあるキャッチャーは、

ペイジのボールについて、179キロくらいだと答えています。


1980年代にメジャー殿堂入りの審査員をしたかつての名二塁手、

ペイジとも対戦した事のある、元デトロイト タイガースの、

チャーリー ゲリンジャーは、晩年にこう述べています

(彼も無論、殿堂入り選手です)。

『今の大リーグに全盛期のペイジがいれば、毎年30勝は軽いだろう。

ペイジをエベレストとするなら、ノーランライアンで3,000メートル級の

山と言った所だ。各球団の主戦投手級で、1,500メートルといった所だな。

残念な事に私は、彼のボールを一度もバットに当てる事が出来なかった。

彼の球を打ち返すのは、弾丸を打ち返すのと同義語だった』


それ以外の有名なコメントとしては、ヤンキースの大打者、ジョー・ディマジオ。

56試合連続安打の大記録を持つ事で有名ですが、

現役時代対戦した投手の中で、一番手強かったのは誰かという問いに対して、

彼は【サチェル・ペイジ】と答えています。


サチェルペイジの全盛期は1934年。

この年ニグロリーグでの彼の成績は、105試合登板、104勝0敗。

その年メジャーリーグ選抜との交流戦で、1番から3番のバッターをわざと敬遠し、

ノーアウト満塁の状態でキャッチャーを除く守備陣を全てベンチに返し、

その回の残り全員を三振に取った実績もあります。

その試合は延長13回、1安打完封。

有名なベーブルースの率いる【ベーブルースオールスターズ】との

対戦では、ベーブルースを4打席4三振ときりきり舞いさせ、

以降、ベーブルースはサチェル ペイジとの対戦を避けていたそうです。


ホームベース上にバッターの腰の高さの小さな台座を作り、

そこにボールを1個置いて、マウンドからボールを投げ、

10球連続で命中させるというのが、彼の得意とするエキシビジョンゲーム

だったそうで、試合前の観客を大いに沸かせたそうです。

速いだけではなく、絶妙のコントロールの持ち主でした。


ギネスブックで認定されている投手の最高速度記録は

アロルディス チャップマンの105.1マイル

(およそ時速169.1キロ)です。

医学的には身長2メートルクラスで、全身ばねの様な

筋肉を持っていれば、理論上人間は時速200キロまでの

ボールは投げる事が可能だそうです。


ほんと、歴史には時々途方もない人がいますね。

170キロを超えるストレートを投げる大投手と、それをレフトスタンドに

叩き返す様な大打者の、対戦シーンを見てみたいなぁ~と

想ったりする私なのですが、なんとそういう事も実際にあった様です。


史上最高の大投手 サチェル ペイジと、

通算本塁打 962本、ヤンキースタジアムのバックスクリーンを

越える唯一の本塁打を放った大打者、ジョシュ ギブソン。

かつて熱き天才が真っ向勝負を挑んだ時代があったのです。

その話はまたいずれ…。


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