アメリカ軍が語った日本軍。

太平洋戦争中に日本軍と熾烈な戦いをしたアメリカ軍が、

当時の日本軍をどう見ていたのか?

今日はそれについて書いてみたいと思います。


【この島を訪れた諸国の旅人よ、帰られたら母国の人々に

伝えて欲しい。この島を守る為に日本国軍人が、どれだけの

忠勇を示したかを】


チェスター・ニミッツ *アメリカ合衆国太平洋艦隊司令長官。

※ペリリュー島にある記念碑に刻まれた彼の言葉。


【日本人は状況が絶望的になっても決してあきらめず、

内部で反乱も起こさず、文字通り最後の一兵になるまで戦った。

あの様な若者が大勢いる限り、日本は必ず不死鳥の様に

よみがえるだろう】


レイモンド・スプールアンス *アメリカ合衆国海軍大将。

戦後、アメリカ国内の中で行った講演の中での言葉。


【硫黄島で日本国軍人の示した、怖れを知らない、

不撓不屈の戦闘精神は、我々全戦闘員の称賛に値する。

我々は絶対絶命の窮地に陥った勇士を殺すつもりはない。

今は降伏し、母国の復興に力を尽くすべきである】


硫黄島の日本軍に対する最終降伏勧告の冒頭文。


【我々軍人にとって大切なのは、辺々たる歴史観や

宗教、政治思想などではない。

我々軍人にとって最も大切なものは、「忠誠心」である。

我々日米両軍は、お互いの忠誠心に基づいて戦った。

そうして私は、日本人の示した忠誠心に対し、

最高度の敬意を表すものである】


戦後、硫黄島の慰霊祭に参加した、老海兵隊兵士の言葉。


よく太平洋諸島での日本軍の戦いは、玉砕が多く、

無駄だったと言う人がいます。本当にそうでしょうか?

アメリカ軍が硫黄島/沖縄以外の日本本土に対する最終攻撃を断念し、

早期の終戦を目指した理由のひとつは、

これら太平洋諸島での日本軍軍人の勇戦だったからです。

どの戦いにおいても想定以上の大損害を被ったアメリカ軍は、

このまま日本本土に上陸をしたら、仮に勝ったとしても

途方もない損害が出る。それは合衆国として許容できる

限度を遥かに超えると考えたのです。

それほど日本人は勇敢でした。


そういった意味では、彼らの死は決して無駄ではなかったのです。

戦後75年が経過し、当時を語れる歴史の証人の殆どは

鬼籍に入られました。

しかし、私達は彼らの勇戦を後世に語り継ぐ義務があると思います。

今年も桜の季節が過ぎ去ろうとしています。

その桜の花の様に散って行った勇士達の事を、

この季節にこそ思い出す。それが日本人だと思います。


色々と困難の多い昨今ですが、

彼らの様に勇戦敢闘しようではありませんか。

決してあきらめることなく。

やはりあの勇敢な日本人の子孫であると言われる様に。

彼らの名誉に恥じない様に。

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