白狐的ビートルズ論。

1962年から1970年前半まで活躍し、解散後50年近く経た今日でも

人気の衰えない偉大なバンド、ザ ビートルズに関する白狐的見解です。


1.ジョン レノン

ビートルズのリーダー。

人物的には気分屋で、感情の波の幅が大きい。ビートルズの後期には特にこの傾向が強くなり、解散の一因となります。この時期感情の振幅が大きくなったのは、ドラッグの影響も大きい様です。機嫌が悪いとささいな事で怒鳴り散らしたり、仕事をほっぽり投げていきなり帰ったり、嫌味な皮肉を連発したりと、手に負えない面がありました。機嫌がが良い時は、メンバーの体調を気を使う優しさや、

絶妙なジョークの名手として皆を盛り上げるなど、素敵な資質も見せているので、これが本来のジョン レノンなのでしょう。

躁鬱的な面が見られます。リバプールの下町生まれのアウトロー的なイメージがありますが、実態は違い、ジョンの家系は寧ろビートルズのメンバーの中では階級的には一番上で、イギリスでは中流にあたります。

故に少年時代は別に貧しくも何ともありませんでした。両親が早期に離婚し、

母親が早くに亡くなったのですが、おばさんにあたる裕福なミミの家庭で

愛情を込めて育てられ、それなりに幸せな環境だったのです。


作曲や作詞に関しては閃きを重視し、イメージがある間に曲を一気に書きあげるタイプ。どちらかというと、締め切りなど何らかのプレッシャーが掛った方が良い仕事をする傾向が強いです。全盛期は1964年から1966年で、この時期はビートルズが、14曲入りのアルバムを年2枚、アルバムには収録しない曲によって構成されるシングル年4枚をノルマとしてレコーディングしていた時期と一致します。

これ以降、ビートルズはライブ活動を止め、気ままにレコーディングしてアルバムを作る様になりますが、そうなるに従って、作品数が減少していきます。

1968年から1969年にかけて、ロック&ブルース系の曲に関し、独自の境地に達し、

如何にもレノンという名曲をいくつも書いています。

(ヤーブルース、ドントレットミーダウン、ディグ ア ポニー等)


解散後も1975年頃まではソロとして活動していますが、楽曲のレベルは明らかにビートルズ時代に比べて落ちており、既に旬を過ぎた感は否めないと思います。

インタビューの中で、ポールと共作した作品の多くについて、『どこまでがレノンであるか?』に関し、かなりはっきりした意見を述べています。そこには遠慮やらおもねりと言った要素がなく、彼とポールとの間柄を窺う事が出来ます。


楽曲は本人も述べている通り、ひとつの音を強調するタイプ。

Bmの独特な使い方等、メロディーの構成に独自のスタイルを持っています。

音楽理論的な事はまったく分かっていないし、知ろうともしませんでした。

また最新技術には大いに興味を持つものの、具体的な中身の理解は殆ど小学生並みでした。ビートルズ時代は、自分の楽曲に関し、非常に抽象的なアレンジを要求し(1,000人のラマ僧がマントラを唱えている様なサウンドにしてくれとか、

月で歌ってるみたいにしてくれ等)、アレンジの実務を行うポールや

ジョージマーティンを困らせています。

のちのインタビューで、ビートルズはポールの曲の時ほどレノンの曲を推敲しないと当てつけ的な発言をしていますが、これはもっぱら抽象的な感覚でばかり物を言う、レノンのやり方の方にも大きな問題があり、単純にポールやマーティンがサボタージュしていたとは言えません。

 

直感で音楽へのめり込むので、勘の良い理論型とも言えるポールの

サポートが、特にアレンジ面で必要でした。技術的な事より、直感に依存する型。

ギターの演奏家としては、レベルはあまり高い方ではありません。

本人もそれは認めていました。


ハードロックからポップス、バラードまで、非常に幅広いメロディーを書き、

その感性は文句なく一級品。ビートルズサウンドの基幹をなしています。

作詞に関しても、独特な言葉のセンスを持ち、中々他人に真似出来ない不思議な魅力がありました。

ポールは一人で独立して何でも出来る半面、レノン程の強烈な個性に乏しく、

やはり彼の鋭さ、激しさ、どこか憂愁をたたえた『何か』がビートルズを構成する

重要な要素でした。


めったに人を褒める事はなく、盟友であったポールも事あるごとにけなす一方、

自分以外の誰かがポールをけなすと、烈火の様に怒ったそうです。

オノヨーコとのおしどり夫婦ぶりは有名ですが、晩年はあまり良い関係とは言えなくなっていました。基本的に自分に甘く、自己管理が下手で、エピュキリアン(快楽主義者)。急激に大金持ちになった為に、何一つ不自由がなくなり、誰の文句も受け入れる必要がなくなった為、ビートルズ後期のレノンはすっかり怠け者になっていました。この時期のジョンは、ポールへの対抗意識から音楽をやっていた様な物であったのかもしれません。


ビートルズがあれほど短期間で有名にならず、もっと時間をかけてゆっくり有名に

なっていれば、彼はもっと偉大な仕事をしたのではないかと思います。

ハングリーでなければならない程、仕事に追われれば追われるほど、彼は良い

仕事をしたのではないでしょうか?短期間で大金持ちになった為に途中で堕落した、偉大な音楽家の一人だと思うのです。1980年12月8日 マークチャップマンの

凶弾に倒れ、40年と2カ月の生涯を閉じました。


2.どちらが書いたのか?

レノンはインタビューで、インマイライフとエリナーリグビーを自分の作品と述べています。ポールもこの2曲は自分の作品と述べています。

この内、エリナーリグビーは誰が聴いても明らかにポールの作品。

インマイライフに関しては、メロディーの構成から見て、レノンを強く感じさせる。ポール的な要素もあるので、これは二人で協力して作り上げたのではないでしょうか?割合としては、レノンが70%、ポールが30%程度の様に思います。


3.ポール マッカートニー

秀才型ソングライター、作詞家であると共に、

ギター/ベース/鍵盤楽器/ドラムス全てで一線級の優れたプレイヤーであり、

アレンジャー。ソングライターとしてのポールは、レノンと共に仕事をした事で、実際には実力以上の評価を受けている面はあると思います。

ソロアーティストとして見た場合、例えばフレディーマーキュリーやスティング、

ビリー ジョエル等に比べて格段に優秀という程でもない。そんな気がします。

天才というよりは秀才型。作曲も閃きで曲を作るというより、

過去の音楽を参考にしつつ、楽器を使ってメロディーを作るというスタイルで、

こちらも秀才的ですね。


ただ、上記に上げた楽器のプレイヤー、アレンジャーとしての才能は

素晴らしく、ビートルズのアレンジ面はポールを抜かしてはまったく語れません。

特に後期ビートルズのベースプレイは、時代の遥か先端を進んだ斬新なものです。

メロディーにも独特のセンスがあり、相応の個性があります。

レノンにはない優しさ、丸さ、細やかさをビートルズのサウンドに与えていました。アレンジは自分で具体的に、細かく推敲するタイプであり、こうした部分が極めて大雑把なレノンと好対照を示す一方、他人のアイデアは殆ど取りれない頑固さがありました。良いと思えば他人のアイデアを受入れる事に寛容なレノンとは

この面でも対照的です。


ビートルズ解散後もソロとして長いキャリアを積み、莫大な曲を書いています。

辛口の評論家は、ソロになってからのポールの曲は、どれ一つとしてビートルズ時代に匹敵する物がないなどと言っていますが、私が客観的に聴く限りだと、そんな事はないと思うなぁ。ただ、レノンという存在がなくなった事により、サウンド全体が丸く、大人しくなったとは思います。ビートルズ時代、ポールはレノンのある種の激しさに張り合う事で、ヘルタースケルター等、独特のロックナンバーを書いていますが、これはビートルズ時代のみで、ソロになってからは、

こうした部分が殆どなくなりました。


実務的には妥協を許さない完璧主義者で、仕事の虫でした。

後期のビートルズ、特に1967年から69年に掛けては、もっとゆっくりとしたペースで仕事を進める事が出来たはずなのに、ポールがそれを許さなかった様に感じます。この為、レノンが必要以上に消耗し、精神的に荒れ、ドラッグに対する依存が深まった可能性があります。彼らの仕事量は、今日の標準的なアーティストの

2倍から3倍にあたるのです。


音楽的には前にも書いた様に、妥協を許さない部分があった為、他のメンバーと

衝突する事も多く、ビートルズ時代、特にジョージとの関係は良くありませんでした。人間的には良い意味でも悪い意味でもお坊ちゃんですね。

決して悪い人ではありませんが、音楽以外やった事がなく、それで急速な成功を

おさめてしまった為、常識を知らず、やはりかなり我儘な人物である事は間違いないと思います。ビートルズ4人に共通して指摘出来る問題として、社会経験を積まない内に、急速に成功し、大金持ちになった事、この為、極狭い範囲の人達としか交友がなく、社会人としての一般的常識を学ぶ機会がなかった為に、子供の様に騙され易かったという点があります。


アップルに関係するドタバタ劇を見ると、この事が良く分かります。

一般常識と社会経験がある人物なら、絶対に騙されない様な案件で、

簡単に丸め込まれたり、騙されたりしています。

ただ、メンバーの中ではポールがこの種の常識を一番持っており、

実際に彼の判断が正しい事が多かったのですが、そうではない他の3人と、

結果として揉める原因になったのは残念な事でした。


レノンもポールも、病的な程の自負心の持ち主。

この二人がもっともお互いを頼りにしたのは、公平な批評家としてのそれでした。

レノンが多少なりとも自分の音楽の批評を許したのはポールであり、

逆もまたしかり。ヨーコがビートルズの音楽を批評して、ポールが烈火の如く怒った事は有名です。この二人は音楽的に補い合う関係にあり、それぞれの個性が

互いに相手にプラスに働くと言う、希有な関係でした。

ビートルズの解散後にレノンがこう言っています。

『ポールともっと長く一緒にやっていれば、さらに面白い物が

沢山生まれたと思う。』


ビートルズ級の才能は、一世紀のスパンで見ても、世界で数組出れば良いと言える位、稀。故にビートルズを育てる立ち位置にあった人達が、短期間に全てをビートルズに与え過ぎ、その才能を花火の炸裂の様に使ってしまった事は、返す返すも残念な事だったと思います。


4.ジョージ ハリスン

ビートルズのリードギタリスト。

音楽家としての資質は、どれひとつとしてポールに勝る物がなかった為、

レノンはポール、ポールはレノンに比べ、ジョージを明らかに

格下的扱いをしており、精神的に本人はかなり苦悩した事と思います。


ジョージの為に弁護すれば、彼もそこそこ才能のあるミュージシャンなのですが、

比較の対象がレノン/マッカートニーでは明らかに分が悪い。

また音楽的な成長もレノンやマッカートニーの様に急激ではなく、

かなり緩やかだった様に思います。


ジョージがミュージシャンとして本格的に開花するのは、1968年頃から。

この年の初めころに録音したヘイブルドッグのGソロや、ホワイトアルバムで

見せる彼のギタープレイは、ある境地に達していて、技術的にも

センス的にも素晴らしい物があります。


作曲面は、1969年にレコーディングした『サムシング』『ヒアカムズザサン』等で

レノン/マッカートニーに劣らない作品を発表しました。

最後のアルバムとなった『アビーロード』に、もしこのジョージの2曲が

なかったら、その評価がかなり低くなった事は疑いないでしょう

(ポールはこのアルバムでは碌な曲を書いていません)。


性格的には大変な皮肉屋で、人見知り。

客観的に見て明るい性格の人ではありません。

女関係ではビートルズのメンバーの中では一番節操がありませんでした。

この点では、ビートルズ時代/ソロ時代含め、色々と問題を起こしています。

ビートルズとして成功しなかったら、社会の底辺で暮らしていた可能性が高く、

下手をしたら犯罪者になっていた可能性もあるかと…。

レノンやポールの間を上手く取りもち、上手くバンドを運営する様な、

気配りやら対応を取れる人ではなく、寧ろ火に油を注いだ様な面もあります。

良くない意味で、必要以上に自己主張の強い人だったと思うなぁ。


音楽家としては、ビートルズの最後期からようやく本領を発揮。

楽曲的にはソロになってからの方が、良い物を残しています。

ギタリストとしては、いわゆるスーパーテクニシャンではないし、

歴史的ギタリストとして記憶に留まる様なプレイをしている訳でもないと思いますが、後期ビートルズのサウンドにおいて、そのギタープレイはそれなりの存在価値の示しました。最もギターの技術的には、最初から最後までポールの方が大分上手

だった様に思います。


インド音楽に傾倒し、宗教も含め、インドと深い繋がりを持ちましたが、

この分野の音楽家として、偉大かと言われると、そんなことはないと思います。

インド音楽に関しては、ビートルズ時代に自分の存在感を出す為、

独自の世界にトライしようとした結果ではないでしょうか?

ただ付け焼刃的な印象はぬぐえない様に思います。

2001年11月に喉頭がんを原発とする脳腫瘍で死去。享年58歳。

若い頃からヘビースモーカーであった事が、寿命を縮める元になりました。


5.リンゴ スター

独特の後ノリリズムを刻む優れたドラマー。

彼のドラミングは、良い意味でビートルズのサウンドの重要な要素になっています。最近のテクニカルなドラマーに言わせれば、手数や変拍子等、テクニック的には上手くないという評価になるかも知れません。


けれどこうした最近のテクニカルなドラマーが、金太郎飴の様思えるのは、私だけではないと思います。確かに正確だし、テクニック的に難しいプレイはしているかも知れません。しかしポップミュージックにおいて、過剰なドラミングは楽曲を崩す原因にもなります。

やり過ぎは、どんな場合でも有害な事が多い。リスナーは曲を聴いているのであって、ドラムプレイだけを聴いている訳ではないからです

(このあたりを勘違いしているドラマーのなんと多い事か…)。


そういう意味で、リンゴのドラミングの素晴らしさは、ドラムの一番基本動作である『8ビート』での、彼独特のリズム、ノリにあると思います。

リンゴのドラムは、一聴して彼と分かる個性と特徴があり、それがビートルズ

サウンドにおける大きな特徴、個性にもなりました。

今の時代、一聴してわかる様なドラミングが出来るドラマーが、

いったいどのくらい居ると言うのでしょうか?


長々しいドラムソロやら、やたら手数の多い変拍子なんかを好んで聴く様な

人達でなければ、リンゴのドラムは文句なく素晴らしい。

ビートルズ時代の彼を見ると、ひたすら一人のリズム職人として、他のメンバーに

尽くしたかの様に見えます。


自身も優秀なドラマーだったポールから色々細かなディティールで文句を言われ、

心外な事も多かったと思いますが、彼はきちんと最後までやり通した。

良い意味での職人。それがリンゴだったのだと思います。

決してやり過ぎず、またやらなくてはならない事はきっちりやった。

偉大なドラマーに敬礼ですね!


デビュー直前にビートルズに加入した事、一番最後の正式メンバー、

しかもドラム以外にこれと言った楽器も出来なかったし、

作詞や作曲の能力も凡庸なので、彼は諸事遠慮がちだった様に思う。

但し、メンバーの中では人間的には一番良く出来た人で、

何かと角を突きつけあう事が多かった後期ビートルズの中では、

彼の存在は重要でした。

彼の御蔭でビートルズの寿命は多少伸びたのではないかと思うのですよ。

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