盲目ならば、空廻ってもしょうがない

位月 傘


「ね、だからお願いまーくん」

 俺の好きな女の子が、俺の手をぎゅっと取って上目遣いでそんなことを言う。たかだか、手をとられたくらいで、先ほどまで猛火の如き勢いの否定の言葉が一つも出なくなってしまうんだから、本当に自分は馬鹿で単純なんだと呆れてしまう。

 彼女はにっこりと笑う、自分の容姿の良さを最大限に生かした、有無を言わせぬ笑みだ。この顔が苦手だ。彼女とは幼馴染だけれど、こんな顔はまだ見慣れていない。それでも彼女の事なので、嫌いになれないどころか思わずときめいてしまうから、なお質が悪かった。

「花恋を、まーくんの彼女にして?」

 もうとっくにへたり込んでしまったまま、溜め息とともに俯いて、分かり切ったことを聞くしかできなかった。彼女は死ぬほど可愛いくて、自分は死ぬほど情けない。

「おまえ、彼氏いるんじゃないのかよ……」

「うーん、昨日別れた!」

 もう何回目かの問いは、やっぱりいつも通りの返事で、無意識にもう一度零した溜め息に、安堵の色が見えたのが惨めだった。



「あ、次こっちいこ」

 彼女が話しかけているのはもちろん俺ではない。もう何度目かになる彼氏役のデートにはすっかり慣れたものだった。同じクラスの、名前の良く知らない女の子と幼馴染の背中をぼーっと眺めながら昨日のことを思い出す。

 ダブルデート行く約束したから着いてきて、の一言は何度も聞いた。そんなに何度も行くものなのだろうか、ダブルデート……。後はご存じの通り、約束はしたはいいものの、彼氏と別れてしまったので急遽彼氏代わりとして付き合わされている。ドタキャンは申し訳ないという思いが彼女にも俺にもあるのが憎らしい。

 好きな子とデートできるからラッキーと思うには、いかんせん頻度が高すぎた。こいつまた知らない間に恋人作ってたのか……と落ち込むことの回数が上回ったのはいつからだろうか。

「まーくん!置いてっちゃうよー!」

「これ俺いらなくないか」

 少し開いた距離を急速に詰めて手を握られる。なんだか慣れてる風なのが悲しい。花恋の身長は平均よりも高いけれど、俺もそこそこの身長なので必然的に彼女は上目遣いで、わざとらしく口を尖らせる。

「こんな可愛い彼女を一人にするつもりなの?まーくんの意地悪」

「じゃあ、あんまり離れるなよ。人多いからはぐれても見つけるのに時間かかるぞ」

 仕方ないので握られた手を外れないように、所謂恋人繋ぎに結びなおす。いつもぼーっとしている俺と違って目を離すとすぐに何処かへ行ってしまう彼女を見つけるのは、昔から自分の役割だった。それでも見失わないに越したことはない。……別の意味でふらふらしているのを捕まえられていないとは言わないでほしい。

 自分から繋いで来たのに、花恋は不服そうに眉を顰める。一瞬手汗やばかったかなとか、本物の彼氏でも無いのに調子に乗るなよ、ってことかと思ったけれど手は強く握り返されたままだ。

「まーくん彼女出来た?なんか慣れてる気がする」

「は?お前以外の女の子の手なんて握ったことあるわけないだろ」

 そう言った瞬間に、彼女の顔はほんのり赤くなった。かと思えばえへへと照れたように笑うのだから、やっぱり女の子の考えていることは分からない。付き合っている人がいるのに別の女の子と平然とでかける、なんて器用なことが出来る人間だとでも思われていたのだろうか。とりあえず花恋の機嫌は直ったようなので良かったが。

 それからはまぁ、ご飯食べたり買い物したりといった、ごく一般的なデートコースだ。恋人がいたこともないのにそんな知識ばかり増えていく。ちょっとせつない。

 花恋とその友達の女の子は化粧直しをしてくるとかなんとか言って、お手洗いに向かってしまったので、男二人でぼうっと待つ。特に彼とは知り合いではないので、仲介者である女の子がいなくなってしまうと会話することも無い。

 お互い知り合いでない場合、スマホいじって待ってるのが基本。初めてのこういう状況のときに声をかけたらは?みたいな顔されて曖昧な返事を返されたことは、きっと勉強代だったのだろう。帰ってからかなり落ち込んだので、もう同じ失敗は繰り返さない。

「ねぇ君さ」

 スマホの画面に視線を落とすよりも先に、男は沈黙に耐えかねたのか声をかけてきた。ははーん、ダブルデート初心者だな、こいつ。こちらが黙っているのを続きを促されたと勘違いした男はぺらぺらと話し出す。この状況ははじめてだ。何が正解なのだろう。

「花恋ちゃんみたいな可愛い子とどうやって付き合ったの?」

「はぁ、幼馴染なので」

 俺より背は低いけど、年は同い年かな。もしかしたら年上かもしれないけれど、どちらにせよ高校生で間違いはないだろう。男はへらへらと笑う。というかデートの最中に自分の彼女以外を褒めるのはどうなんだ、マナー違反じゃないのか。

「へぇー、羨ましいなぁ。てか花恋ちゃんの連絡先教えてくんない?」

「は?」

 あれ、俺たちって曲がりなりにもデート中だったよな、と疑問符が浮かぶ。もしかしてこいつらも実は付き合ってないとかそういうオチなのだろうか。だったら今日の集まりが一人も恋人がいないダブルデートになってしまう。絶対におかしい。

「いやいや、彼女さんいるじゃないですか」

 そんなことがバレたら白けた雰囲気になるだろ、あいつが楽しみにしてたのを思い出して、絶対知られないようにしようと意気込む。いやそんなので落ち込むような奴じゃないと思うけれど。

「いやー、あいつはまぁ、いいからさ」

 よくねーよ!と出そうになった言葉を飲み込む。こいつ恋人役として来ている自覚があるのか?ちゃんと最後までそこはやりとげろ、とすっかり恋人役のプロの気持ちになってしまった俺はアマチュアを叱る気持ちで言葉を探す。探す、が、よく見ると随分とガラの悪い男だなーと気づく。

「あー、一応デートで来てるんですし、ね?」

 悲しいかな、ガツンと言える勇気はない。曖昧な言葉と笑みで分かるだろ、の気持ちを込めるが男はへらへらしたままだ。あ、伝わってない。

「いいじゃんいいじゃん、それにさー、あの子軽そうじゃん?俺の彼女のも教えるからさ」

 いらっとした。何がと問われれば、まぁ全部だろう。にっこりと愛想笑いを張り付ける。彼女のと違って自分の魅力を引き出すためのものじゃないから、きっとひどく無機質だ。言葉はほぼ反射で吐いているので、自分が何を言っているのかなんて分からない。

「そんなに連絡したいんだったら本人に聞いてください。それと、俺の好きな子を馬鹿にするのもやめてもらっていいですか?不愉快なので」

 男はぐっと黙って恨めしそうにこちらを見る。人が大勢いるところで怒鳴る勇気は向こうにもなかったようで良かった。流石に怒鳴られたらビビってた。

 いや花恋は、もしかしたら、なんか彼氏いっぱいいたことあるみたいだし、軽い子なのかもしれないけど。それを言われて確かに、と納得するほどの度量はまだ持ち合わせていない。だって、好きな子の悪口だし。きっとこれくらい言っても許されるだろう。

「まーくん」

 くるっと後ろを向く。さっきまで一緒に歩いていた女の子二人が俺たちの方をびっくりした顔で見ている。あっ、やばいと悟って男の方を向くと、青ざめた顔で男は自身の彼女を見る。俺は背を向けていたし、男も俺が壁になっていて彼女が戻ってきていることに気づかなかったのだろう。

「花恋、ごめん!ちょっとあたし、こいつと話があるから。彼氏さんもごめんなさい!」

 有無を言わせない綺麗な笑顔で、花恋の友達は男を引きずって行ってしまった。女の子はどうしてあんなに笑顔を作るのが上手なんだろう、と現実逃避をしながら残された俺たちは、呆気にとられながらも去っていく彼女に分かれの言葉を告げた。

 ちらり、と花恋の方を見る。なんだか泣き出しそうな顔をしているから、ちょっとパニックになるけれど、こうなったのも三分の一くらいは自分の責任なのだ。被害者面をしている場合ではない。彼女の手をとった。涙で潤んだ瞳で見ないでほしい、こっちもちょっと泣きそうになるから。

「デート、しよう。相手が俺で申し訳ないけど、まだ帰るには早いしさ」

 彼女はびっくりしたのか、もう泣き出しそうな顔じゃなくなってホッとする。でもすぐに泣き出しそうな顔で笑うから、俺の心臓と頭の中は正直大パニックだった。表情に考えが出ないタイプの人間で良かった。じゃないとカッコつかないし。

「まーくんって、一言多いよねぇ」

「えっ具体的にどれ!?」

「教えてあげない。自分で言ったんだろから、ちゃーんとエスコートしてね?ダーリン?」

「はい……」

 いつの間にか手を握る力は彼女の方が強かった。ひとまずはどうにかなったのだろうか。くすくすと笑いながら彼女は俺の手を引く。花恋はああは言ったけれど、これじゃあ俺がエスコートされてるみたいだった。まぁ、花恋が楽しそうだし、いいか。

 きっとこんなのだから、今回みたいなことに巻き込まれる羽目になったのだけれど、俺は彼女に心底弱いので仕方がない。

「まーくんこれ似合う?」

「うん」

「可愛い?」

「可愛い」

 服を自分の身体に合わせてそう聞くものだから返事をすると、えへへといつものように彼女は笑った。うーん、やっぱり可愛い。直接言うのは気恥ずかしいけど、あんなことがあったんだから、ちょっとくらいは元気づけるためにも、このくらいは言わなければ罰が当たる。

 じゃあ買っちゃおうかなー、なんていう彼女の腕を掴む。流石に好きにさせていたけれど、こればっかりはそろそろ言うべきかもしれない。

「今日、服買い過ぎじゃないか?」

「そう?」

「そう」

 うーんと彼女は首を傾げる。行く店行く店で服を買っているのでそろそろ心配になってきた。もとより彼女は服はたくさん持ってるほうだと思う、女の子はそんなものなのかもしれないけど、それでもこうやって出かけるときに服が被ってるのはあんまり見たことない気がする。

「あ、わかった」

 花恋はぴこん、とゲームだったら電球マークが浮かんでいるだろう顔をした後、照れたようにまたえへへと笑った。

「今日はまーくんが可愛いってたくさん言ってくれるから、つい舞い上がって買いたくなっちゃうんだ」

「……俺が買うから、それ貸して」

 だってしょうがない。こんな可愛いことを言われて戻してきなさいと言い切れるほど、俺は大人じゃない。お金多めに持ってきてよかった。

「えっ、だめだめ、自分で買うよ。それにバイト代残ってるから大丈夫だよ?」

「俺が見栄張りたいから、買わせて」

 ひょいと彼女の手にあるワンピースを取って会計に向かう。一応デート、なのだし、これくらいはするべきだし、したい。申し訳なさそうに眉を下げる彼女は初めて見た。いつもこちらが振り回されるほうだから、なんだか不思議な気持ちだ。誕生日プレゼントとかは普通に喜んでいるののに、これはそれと何が違うのだろうか。

 相変わらず眉を下げてこちらを見つめる彼女に、なんだかこちらが申し訳なくなってきて、つい彼女の機嫌を取ろうとしてしまう。

「じゃあ、俺の服も選んでくれると、嬉しい」

 俺がもう少し恋愛慣れしていたら、罪悪感なんて抱かせずにプレゼントを渡せるのだろうか。自分で言っていてじゃあってなんだよとか思うし、そんなに服に興味ないけれど、彼女はぱっと瞳を輝かせた。

「任せて!すっごく格好良くしてあげるから!」

 意気込んだ彼女は自分の服を探す時よりも気合が入っていた。正直割と自分の服はどうでもよいので、早々にあっ、これ選択ミスったなと理解した。彼女が自分自身の服探しているのを見ているときの方が楽しい。でもまぁ、楽しそうだしいいかと彼女の荷物を持ちながらぼーっと突っ立っていた。そして気づいたら服をたくさん持ってきた彼女に試着室に押し込まれる。

 着替えて見せる、着替えて見せるを繰り返す。ほぼ着せ替え人形状態になっていたが、もういいよーと言われ、いそいそと元の服へ着替える。やっとの思いで試着室から出てきたら、既に袋に入れられた服を、彼女が今日一番の笑顔で手渡してきた。

「おっ、お前まさか買ったのか?」

「だって選んでって言ったから。それにプレゼント、私もしたかったもん」

 選んでもらうだけでよかったのに、とはその笑顔の前では言えなかった。こんなことなら疲労でダラダラ着替えたりしてないで、さっさと出てきてしまえばよかった。しかしいくら考えたところで後の祭りだ。ぐっと口元を引き結んで笑みをつくってお礼を言えば、彼女はまた本当に嬉しそうに笑うから、やっぱり複雑な気持ちになる。

 しかしもうそこそこ良い時間だ、もうそろそろ帰ったほうが良いだろう。そう伝えると彼女はむむっと眉を寄せて口を尖らせた。不満がある時の彼女は、いつもこういう顔をする。本人としては不機嫌さを示すためにわざとやっているのだろうけれど、傍から見れば可愛いだけだ。

「んー、もうちょっとだけ、ね?お願い」

「別にいつだって来れるんだし、良いだろ。おばさんも心配する」

「お母さん、仕事で帰り遅いし大丈夫だよ。そ・れ・に」

 花恋はにっこりと、綺麗に笑う。手は繋いだままで、俺の腕に彼女自身の腕を絡ませてきて、俺は思わず後ろにのけぞった。ほんとうに、心臓に悪い!

 俺の方から手を放そうとしても、やっぱり手はほどけそうにない。

「まーくんと二人きりでデートなんて、またとない機会だし。すぐ帰っちゃうなんて、もったいないことしたくなーい」

「別にお前と出かけるくらい、いつでもするよ」

「えっ」

 花恋は自分から絡ませてきた腕をパッとほどいて、自身の両頬に手を当てた。唇をわなわなと震わせながら、あーだとかうーだとか意味のない言葉を発していて、顔はほのかに色づいていた。彼女の照れるところが分からない。

「いいの?デートだよ、まーくん、いつも渋ってるあのデートだよ?」

「それはお前がわざわざダブルデートで、しかも元彼の代わりをやれって言うからだろ。一緒に出かけたいなら、一人で行かせるのも心配だし普通に着いてくよ。まぁ、付き合ってないからデートっていうのか分かんないけど」

「そっかー、そっかー……えへへ」

 頬を染めたまま、照れ笑いを浮かべる。なにがそうさせているのか分からないが、とりあえず彼女が嬉しそうだし、これで大人しく帰ってくれる気にもなったらしい。帰るぞーと言うと、彼女はおー!とふわふわしたまま元気な声が返ってきた。なんなら今日一番の上機嫌さだ。

 バスに乗って帰っているときも、彼女は俺の手を握ったままだ。もう慣れてしまったので照れはしないけれど、この柔らかな手をどう扱っていいのか、年を重ねるごとに分からなくなっていった。

 しかしバスを降りてもふわふわとしたままなので、いつも彼女の方が俺の手を引くが、心配さから今日は俺が彼女の手を引いた。

「またデートしようね、まーくん」

「あぁ」

「あれー、付き合ってない二人のお出かけは、デートじゃないんじゃないの?」

 彼女は揶揄の声で俺の顔を下から覗き込むが、顔はでれでれと緩んだままだった。それがやっぱりすごく可愛くて、この手を離すのが惜しいなぁと思ってしまったから、もう駄目だった。言葉は意識せずに零れてしまったけれど、自分で言ってすとんと腑に落ちる。

「そうだよ。だから、俺とデートしよう」

「えっ……え、えぇ!?」

 きょとんとした顔を数秒、その後みるみるうちに顔が赤くなっていくのを眺める。その様子が可愛くて、やっぱり好きだなぁとぼんやり思うのは、彼女のふわふわとした感情が移ってしまったからだろうか。

 足を止めてしまった彼女を黙って待つ。手は繋がれたままだった。多分それが答えなのだろう。彼女は昔と変わらずえへへ、と照れ笑いを浮かべる。

「こんなことなら、初めから彼氏がいたフリなんてしないで、デート誘っちゃえばよかったなぁ」

「えっ待ってなにそれ!?」

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