一回戦 天樹高校
第7話 有坂家の食卓
一夜明けて。
「ん……んんんんんんーーーーっ!」
寝室で大きく伸びをする。気持ちのいい目覚めだ。
ベッドを出て、窓のカーテンを勢いよく開け放つ。
強烈な朝日が差し込み、思わず目を細める。
昨日の戦いがウソみたいな普通の朝。
――もしかして、本当に夢だったのかな……
「……なわけないよなぁ~」
よく見たら、強烈な朝日の元凶は窓の外にプカプカ浮いているアリエルだった。
窓を開ける。
「おい……なんでそんなとこで光ってんだテメー」
「あっ、おはよーカナちゃん☆」
「カナちゃん!?」
「って、呼んでるよ」
家の中を指さすアリエル。
「い゛っ!」
俺のことをそう呼ぶ人は、この世に一人しかいない。
「お前、絶対ついてくんなよ。あと俺のことはカナデと呼べ」
窓を閉めると、シャッとカーテンを引いた。
***
二階から階段を下りていくと、キッチンから香ばしい匂いが漂ってくる。
扉を開けた。
「あ、おはようカナちゃん」
ドクン、と、大きく胸が脈打った。
「お、おはよ、詩子さん!」
悟られないよう、極めて自然に挨拶を返す。
だがその動きは不自然にカクカクしていた。
――おちつけ、おちつけぇー。
必死に胸の高鳴りを抑えようとするが、意識すればするほど爆発しそうになる。
ガー、と椅子を引いてテーブルに座る。
「おはー」
「おう」
テーブルの向かい側には少し歳の離れた妹の
なにやらジトーと俺の顔を見てくる。
「あ? んだよウゼーな。ヒトの顔ジロジロ見んじゃねー」
「……ヘッ」
なんだかイラッとする薄ら笑いを浮かべると、妹は口元に目を落とした。
「はい、カナちゃんの分よ~」
「わ! ハムエッグ! 俺、ハムエッグ大好き!」
「うふふ、簡単なモノだけど召し上がれ」
「いっただっきまーす!」
一心不乱に頬張っていると、半熟の卵が口元に垂れた。
「あらあら、お口に垂れちゃってるわよ」
詩子さんはそう言うと、指で掬ってそれを舐めとった。
頭がフットーしそうになる。
「も……もぉ~~。俺、高校生だよ? 子供じゃないんだから、やめてよォ」
口ではそう言いつつ、顔も声色も全然やめてほしそうではない。
「……ヘッ」
「さっさとガッコ行けやお前」
「響はカナにぃと違ってボッチじゃないので、お友達が来るのを待ってるので」
「あぁん? 俺だってボッチじゃねーし。第一な、ヒトのことをむやみにボッチとか言っちゃいけないんだぞ。そーゆーこと言うと紬希が傷つくからな」
「むぅ……」
「へぷちっ! ……風邪かしら」
隣の家の食卓で、勝手に憐れまれていることを本人は知らない。
「ふふ、朝から仲良いわねぇカナちゃんひーちゃん」
「「どこが?」」
ハモる。
ピンポーン、とチャイムが鳴った。
響がトテトテと走っていきインターホンに応答する。
「はーい」
「あ、あの、リーナです。響ちゃんいますか」
「私が響なので」
リビングの床に置いているランドセルを取りに走る。
「なに。リーナちゃんって、外人?」
「イタリア人のお友達。凄いでしょ」
フフンと自慢げに、無い胸を張る。
「それじゃ響は行ってくるので」
「あっ、おい待てぃ。肝心なモノ忘れてるゾ」
このバカ、よりによって詩子さんが作ってくれたお弁当を忘れそうになってやがる。
差し出してやると、ひったくるようにそれを取って出て行った。
――邪魔者が、いなくなった。
「……はっはっは。まったく響のヤツ、いつまでたっても子供だなぁ」
「そぉ? 私から見たら、どっちもカワイイ子供だよ~」
デュクシ! 俺は心に10ポイントのダメージを受けた!
力が抜けて机に突っ伏す。
……が。こんなことではめげない。俺は強い子なんだ。
「い、いやいや。俺ももう17歳。わかる? あと1年で結婚できる年齢なんだぜ」
「え~ホントぉ~? あれからもう14年かぁ。そりゃ~私もおばさんになっちゃうわけよねぇ」
「何言ってんの! 全然若いし、それに詩子さん美人だし若く見えるし、余裕で20代に見えるし」
「も、も~ぉ……おばさんをそんなにからかわないの!」
詩子さんは真っ赤になって照れている。うおおおおおお! カワイイイイイイぜ、詩子さぁぁぁぁん!!!!
「……せっ……! 押せっ……!」
心の中でガッツポーズをしていると、なにやらどこかから声が聞こえてきた。
リビングの方を見ると、ソファーに寝転がりながら「グイッと行け」とばかりにアリエルがサインを出している。
「おぉ~~~~~っとぉ!!」
ズザザ、と滑り込み、ダイニングとリビングの間で手を広げ視界を遮る。
「どしたの?」
「なんでもない、なんでも」
不審がる詩子さんが首を傾げ、俺の脇の下を通してリビングの方を見ようとするが、機敏にディーフェンスする。
「変なカナちゃん」
姿勢を戻しながら、下に垂れた三つ編みをシュッと撫で上げて胸の前に降ろしなおす詩子さん。
所作のひとつひとつが色っぽすぎる。
その様子に目を奪われている間に、ふとキッチン方面に違和感を感じる。
――!?
キッチンでは、いつの間にかアリエルが立って料理を覗き込んでいた。
「そだそだ、カナちゃんのお弁当も今入れてあげるね」
「ち、ちょっと待ったぁーー!!」
キッチンの方を振り返ろうとする詩子さんの顎に手をやり、顔を近づける。
「え? な、なに?」
「…………え、えっと…………」
戸惑う詩子さん。だが俺はそれ以上に戸惑っている!
「お……お前が俺のお弁当だぜ(意味不明)」
「カナちゃん……また変なマンガやゲームの影響受けてるでしょ」
「あっ、えっと、その」
「おばさんをからかう悪い子には、お弁当あげません!」
詩子さんは怒って出て行ってしまった。
「あ……あぁぁ…………あんまりだぁぁぁぁぁああ!! 1週間ぶりの詩子さんの手作り弁当がぁぁぁぁあああ!! アリエル、てめェ……俺がいったい何したってんだよぉぉぉぉぉ!!」
「んにゃぴ☆」
「何その顔。むかつくわぁ~……殴っていい?」
いつもの朝。いつもの食卓。他愛ない会話。なにもかもいつも通り。
だがこのときの俺はまだ知らなかった。そんな日常は、すでに完全に変わってしまっていたことを……
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