手を伸ばせば届く距離
早朝のカフェの窓際で、南可那と友利悟は向き合い座っている。
目の前の、黒髪のマッシュヘアの友利を見つめながら、アイスティーを一口飲むと、可那は小さく息を吐いた。
「緊張する?」
1時間後にアデール本社で行われるグローバルメーキャップコンテストを前に、緊張のせいかあまり可那は話す気になれずにいた。
「うーん…。はい。」
可那が正直に答えると、友利はふっと笑顔になった。
その表情があまりにも可愛く感じて、思わず可那も笑顔になる。
「友利さん、ちょっと髪伸びましたね。」
「え、そう?近々切りに行かないとかな。」
細く長い指で友利が自分のトップのあたりの髪を摘む。
「長めでも素敵だと思いますけど。今も、ライムに行ってます?」
「うん、ずっと金田さんに切ってもらってる。」
悟の髪型もヘアサロンも、1年ほど前に全て可那が提案した。
それからずっと悟はマッシュヘアだし、ライムという可那行きつけのヘアサロンのトップスタイリストに髪をカットしてもらっている。
時々耳が出るくらい短めにカットしたり、ゆるくウェーブをかけたりと美容師の提案でちょっとしたイメージチェンジはあるものの基本はずっとこの可那好みのヘアスタイルだった。
腕の時計を見ると、もうそろそろ店を出た方が良さそうな時間だった。
「友利さん、そろそろ出ませんか?」
「あ、もう時間か。そうだね、そろそろ行ってみよう。」
可那が立ち上がり、2人分のグラスを載せたトレーを持つと、友利が片手でスッとそれを奪った。
背の高い彼の後ろについて店の出口へと可那は向かう。
今日の友利はシンプルな黒の細身のスーツを着ていた。
店の外へ出ると、朝とは言えど眩しい日差しと夏の熱気を感じた。
「天気いいですね。」
並んで本社への道を歩く。
ここからアデール本社までは徒歩で5分程だ。
アデールグループの、社内メーキャップコンテストは2年に1度のペースで行われる。
メロウの代表で出場してほしい、と友利から告げられたのは今から3ヶ月前だった。
このコンテストで入賞すると、社内メーキャップアーティストへの道が近いと言われている、そんな重要なコンテストだった。
本社への道を可那は黙々と歩いていた。
「南、今日、終わったら空いてる?」
「え?」
可那は友利の顔を見上げた。
「帰り飲みに行かない?」
友利が誘って来るなんて珍しい、可那は即答したい気持ちを抑えながら言った。
「空いてますけど…。友利さん、お忙しいんじゃないんですか?」
「忙しいけど。せっかく南と来たし、たまにはご馳走するよ。」
「わ、嬉しい…。ありがとうございます。」
目の前に本社の社員通用口が見えてきた。
友利は警備員に入館証を掲げ、可那はコンテストに出場することを告げる。
エレベーターで16階へ上がるよう案内され、通路奥のエレベーターを2人で待った。
16階に上がると、右手に受付があり、広いコンテストの会場へとつながっていた。
所属部署と名前を告げ、27と書かれたバッジを受け取る。
会場には、ステージがあり客席が用意されていた。
出場者席へ座るよう指示された可那の肩に友利が手を載せて、「頑張れよ。」と言った。
友利を見上げ可那は笑顔で頷いた。
全国の事業所から選ばれた30名が今日のコンテストに出場すると聞いている。
アデールの美容部員達に混ざり、可那は出場者席に荷物を置くと、化粧室へ向かった。
手を洗い、鏡で整容の確認をする。
メイクを直し、髪を整える。
昨夜、短くファイルした爪にはメロウビューティーネイルの落ち着いたベージュカラーが艶めいている。
ポーチからメロウリュクスバームを取り出し、手のひらに塗り込み保湿した。
コンテストの話しを友利にもらってから3ヶ月間、何だかんだずっとどこかで緊張してきたと思う。
今日でその緊張から解放されるんだ、という嬉しさと、今日ついに結果が出てしまうんだ、という思いが混ざり合い複雑な心境だった。
手のひらに塗ったバームのバニラとレモングラスのまろやかな香りを胸に吸い込み、ほんの少しだけリラックスして可那は会場に戻った。
10分ほど経った頃、開会式が始まった。
アデールの社長の話しの後、審査員の紹介がありステージ向かいの最前列に着席した人たちが次々と挨拶をする中に、池之内ゆりかの姿もあった。
アデールの制服を着た美容部員ばかりに囲まれた可那は、メロウのブランドディレクターでもある池之内の姿に今日はなんだかとても親近感を感じていた。
いつも遠くに感じている憧れの彼女に、今日は自分のメーキャップを見てもらえるのだ。
可那は祈るような気持ちで、挨拶をする池之内の顔を見つめた。
審査員の挨拶が終わり、司会の美容部長が、今日のコンテストの概要を説明した。
前半と後半に分かれ、15名ずつがステージ上でモデルにメイクを施す。
担当するモデルはステージに上がる直前に、くじ引きにより決定する。
年齢も肌タイプもさまざまなモデルがスタンバイしており、制限時間40分の中で、いかにモデルの美しさを引き出せるか、を競い合うコンテストとなっている。
最優秀賞も含め3つの賞が用意されており、30名の参加者のうち3名が入賞する、という事になる。
まずは、ナンバー15までの出場者がメイクを行う。
可那は出場者席でその様子を見守った。
40分後に終わりを告げるタイマーの音が響きそこから20分ほど審査の時間があった。
審査員達は、皆、クリップボードを手にモデルを至近距離でじっくりと見て回る。
教会音楽のようなアイルランドの歌手のBGMが静かに響く中、その審査は行われた。
10分間の休憩を挟み、いよいよ可那の順番が来た。
くじを引き、ステージへ上がる。
可那の担当するモデルは30代後半の女性だった。
開始を告げる美容部長の声を合図に、「よろしくお願いします。」と、可那はモデルに挨拶をした。
ケープを肩にかけ、髪をピンで留めていく。
見た感じ乾燥肌ではないけれど、毛穴の開きとキメの乱れがやや目立つ。
肌と顔立ちの見極め、使用するメイクアイテムの準備、そこまでをはじめの10分、残りの30分でメイクを仕上げる計画だ。
可那は、大人の色気と可愛さを引き出すイメージを膨らませながら、メイクアイテムの置いてあるコーナーへと向かった。
全て自分の所属するブランドアイテムでメイクするルールだ。
速やかにトレーにアイテムを載せ、モデルの元へと戻った。
まず、肌の凹凸を自然に隠すメロウフィットマットベースを半顔ずつ丁寧に塗り込む。
この時点で、モデルの肌表面はスムースに、そして多少の色ムラは隠れてしまう。
セミマットに整った肌に、メロウリキッドファンデーション03を少なめに、肌の内から外へと伸ばしていく。
時代はツヤ肌が主流だが、今季、池之内ゆりかがあえて打ち出したのは陶器のようなセミマットな肌だ。
可那も上品な池之内流セミマット肌を支持している。
特にモデルのようなアラサー女性には、全体をツヤっぽく仕上げるよりも部分的にツヤ感を演出させる方が今っぽいし上品だ。
丁寧にリキッドファンデーションで仕上げたら、うっすらと気になる目の下のクマをコンシーラーでカバーしていく。
クマよりもやや下の位置に、ブラシでスッとメロウアプリコットコンシーラーをのせてクマに向かって指でぼかし上げる。
このオレンジ色のコンシーラーが青グマをカバーして、なんとも自然な血色感を演出するのだ。
口角と小鼻の横には、肌色に近いメロウトーンアップコンシーラーを少量なじませる。
そしてフェースパウダーの前に、メロウクリーミーチークチェリーレッドを黒目の下あたりから頬骨に沿って指で斜め上へ叩き込む。
青みがかった赤色の、バーム状のチークはセミマットに仕上げた肌に一気にツヤ感を演出する。
チークで大人の魅力を引き出したら、メロウファイナリーパウダーで全体を抑える。
ナチュラルに光を反射するミネラルのレフ板効果でハリ肌を演出したらベースメイクの完成だ。
腕時計を見るとちょうどここまでで20分。
残り20分でポイントメイクを仕上げる、予定通りだった。
ここでまず眉から描いていく常識を無視して可那はあえて目元にハイライターを入れる事にしている。
メランコリックグロウバームを、目尻寄りの白目の下あたりに指先で少なめにのせる。
そのほんのりとピンクがかったツヤ感は、女性らしさとハリ感を一気にもたらすほどの威力を持つ。
年齢を感じさせないワンランク上の完璧なベースメイク。
鏡に映ったモデルに宿る血色感と上品なツヤ感を確認すると、可那はメロウリュクスアイブロウパウダーBR2を手に取った。
モデルの丸顔な顔立ちを生かすよう、眉山を作らず、髪色に合った柔らかいブラウンで優しげな眉を描いていく。
仕上げにメロウリュクスアイブロウマスカラ03で立体感を出せば眉の完成だ。
目元はメロウタイムレスアイベースでアイホール全体のくすみを飛ばしてから、メランコリックアイシャドーパレット02でボルドーとブラウンの柔らかなグラデーションになるようまぶたを色づける。
下まぶた全体には細チップでメランコリックアイシャドーRDをのせ、わざと赤みを入れれば、まるで泣いた後のような色気のある目元の完成だ。
最後にメランコリックアイライナーBRでまつげの隙間を埋めるように細くアイラインを入れ、ビューラーでまつ毛をカールした後、メロウビューティーロングマスカラBRをまつ毛を1本1本に丁寧に塗り、濡れたような長いまつ毛に仕上げる。
可那はここで1歩、モデルから離れて全体を確認した。
左右のチークの位置、眉のバランス、アイメイクの濃さ、どれも大丈夫そうだ。
腕時計を見ると、残り時間はあと5分だった。
最後のリップメイクに入るため、可那は大好きなルージュに手を伸ばした。
大人のカシスレッド、と呼ばれているメロウのルージュの中でも大人気のメランコリックルージュ16。
その柔らかくクリーミーなルージュをスパチュラで削り取り、リップブラシに丁寧に含ませていく。
どうか、入賞できますように…。
心の中で何度も繰り返しながら、小指に挟んだパフをモデルのフェースラインにのせ、そこを軸に唇にリップラインを描いていく。
女性を一番魅力的に見せるパーツは唇だ、と可那は思っている。
その人の魅力を引き出すのは、何よりもルージュの色と質感だと思う。
息を止め、一気に描いたリップラインの中を丁寧に塗り込んでいく。
ルージュをつけると、モデルの表情が一気に生き生きと見え、可那は満足した。
そして息つく間もなくモデルの肩にかけられたケープと、髪を止めているピンを外した。
髪を整え、ついに完成だ。
その時、会場にタイマーの音が鳴り響いた。
「終了時間になりました。ケープとピンを外し、メイク道具とトレーを返却して、席へお戻りください。お疲れ様でした。」
アナウンスと同時に、ステージのあちこちにため息が漏れた。
終わった…。
可那は、モデルの女性にお礼を告げると、メイク道具を返却してステージを後にした。
「乾杯。」
「お疲れ様。」
本社近くの高級焼肉店の窓際の席で、友利と可那は並んでビールグラスを重ね合った。
夜景を見るにはまだ早い時間帯から飲むビールは格別で、ここ3ヶ月間続いていたプレッシャーから解き放たれたこの開放感は何とも形容しがたく、可那を特別な気持ちにさせた。
残念ながら入賞は逃したものの、特別審査員賞に選ばれた可那は池之内ゆりかに直々に表彰され、メイクのセンスを絶賛された。
可那にとって、池之内の評価を得る事は最優秀賞よりも重要な事なので、これで十分だと満足していた。
「それにしても、辛口の池之内さんがあんなにベタ褒めするなんて珍しい事だよ。南、完全に気に入られたね。」
「だったらいいなぁ。なんだか、池之内さんにしてはコメントが普通、というか通り一遍なような気がしちゃったんですけど、正直…。」
隣に座る友利に、可那は口を尖らせてみせる。
池之内によると、若い層がメインターゲットのメロウを用いて30代後半のモデルの魅力を可那が存分に引き出した事はブランドディレクターとして光栄な事だ、というコメントだった。
「まぁ、今日はアデールが絡んでいるからね。うちは招待されて参加してるわけだし、社長も来てたし、池之内さんも社会的な事を考えたんだよ。」
「うーん…。」
友利の言葉に、可那が首を傾げていると店員が料理を持ってやって来た。
黒毛和牛の三角バラと上タン塩、カルビ、完全無農薬野菜のサラダ。
その肉の赤と、サラダの色とりどりの鮮やかさに可那は思わず感嘆の声を上げた。
「友利さん、こんなお肉、私見たことない!」
手のひらで口元を押さえて目を丸くして喜ぶ可那の目の前で、友利が肉を焼き網の上に載せていく。
肉の焼ける勢いの良い音と美味しそうな匂いが広がる。
コンテストが終わって「何が食べたい?」と聞いてきた友利に「美味しいお肉が食べたい!」と答えて大正解だったと可那は思った。
「ほら、もう焼けた。」
友利が可那の目の前の皿に焼けた肉を載せた。
「きゃー。いただきます。」
口の中に広がるとろけるような肉の甘みに、池之内のコメントの事ももうどうでもよくなってくる。
「美味しい!柔らかい…なにこれ。」
喜ぶ可那の横で友利が笑っている。
「友利さんてこんな美味しいお店にいつも来てるんですか?」
「いや。ここは一度、接待で使った事があったんだよ。焼肉自体、久しぶり。」
そう言って、焼けた肉を可那の皿にまた載せた。
「飲む?」
可那の残り少ないビールグラスを指差して友利が言った。
「飲みます!」
可那が頷くと友利は店員を呼び止め、お酒のお代わりをオーダーしてくれた。
「いいペースだね。」
肉を網に載せながら友利が涼しい笑みを浮かべる。
「帰り際、池之内さんと少し話したんだけどさ。」
「え、いつの間に?」
丁度その時、店員がビールを運んできて一度話しが中断した。
可那は、店員が去るとすぐに友利に詰め寄った。
「池之内さん、なんて言ってました?」
友利がビールグラスを自分の方へ寄せながら、小さく咳払いする。
そして言った。
「南の事、メンタルが強いですねって。」
「へ?メンタルですか?」
可那は訳が分からずおかしな声を出した。
「うん。今日のメイク、予想外に年齢が上のモデルに当たったけど動じずにしっかり仕上げたでしょ。そこがグッときたって。しかもかなりの完成度だったと感動してた。」
「えー!そんな風に池之内さんが言ってくれてたなんて!嬉しい!」
こんな嬉しい事はない、ここ数年で一番の喜びだ、と可那は思った。
「南と一緒に仕事がしたいって。」
友利があまりにもサラッと言うので、冗談なのかなと可那は一瞬、疑った。
「嘘だぁ…。本当ですか?」
友利は2杯目のグラスを半分ほど飲むと、「
これは本部情報だけどね。」と、言った。
「池之内さん、アシスタントを欲しがっているんだって。自分の片腕のような人材が欲しいって、前から社長に何度もお願いしてるらしい。」
可那は黙って頷いた。
「今日の感じだと南が抜擢される可能性はかなり高いと思うよ。」
「えー…。そんな、私が??」
これは夢なのかな?と、可那は思った。
池之内に憧れて、いずれは自分もブランドディレクターになりたい、そう思っているのは確かだ。
その夢が予想外にも早く、現実化するかもしれない。
本当なのだろうか、ほろ酔いも手伝って可那はまるで夢の中にいるような心地だった。
「でも俺は、南に本部に行かれちゃ困るんだけどね。」
友利がそう言って、可那の目を見る。
別に真剣な表情でもなくて、二重に騙されているような気分にさせられる。
可那はふふふっと、笑って流した。
自分が居ないと仕事上困ってしまう、そういう事を言いたいのかな、とも思う。
「なんだか私、接待受けちゃってますね。」
友利の顔をわざとらしく覗き込み可那は悪戯っぽく言って笑う。
「南にはお世話になってるし。今日もだけど、南いつも頑張ってるから。たまにはご褒美あげないと。」
「ご褒美って…。」
ふふふ、と可那は笑った。
友利のコメントが妙に可愛らしく思えた。
「友利さんてこんな風に家族サービスもするんですか?」
残り僅かなビールグラスを手に取りながら可那が聞く。
「しないかなぁ、ほとんど…。ここのところ休みもほぼ会社に居るし。平日も、俺が帰る頃には寝ちゃってるから。朝くらいかな、まともに会えるのは。」
お嬢さんの事だろうか、奥さんの事だろうか、と可那は思った。
友利が主語を使わないから、余計に想像を掻き立てられた。
「え、そしたら寝顔を見るくらいですか?」
「いや。」
語尾を上げ、そう言うと友利は一口ビールを飲んだ。
「別々に寝てるから寝顔も見てないな。」
「え…?」
可那は友利の顔を見た。
「友利さん、奥さんと別々に寝てるんですか?」
「うん、今は一人で寝てる。」
「えー…、意外。」
思わず可那の口から出た言葉に「なんで。」と友利が苦笑いした。
だって、奥さんとはものすごく仲がいいと思っていたんだもの。
ものすごく可愛いと評判の奥さんと、友利がさりげなく寄り添って歩くイメージ。
いつも頭の中で勝手に想像していた光景が音もなく崩れていくのを可那は感じた。
「いえ。なんだかすごく仲良しなイメージがあって。そうなんだぁ…、友利さんもお忙しいし、奥さんも気を使われているんですね。」
可那の言葉が聞こえているのかいないのか、友利は黙って肉を焼いている。
可那は取り分けたサラダを、友利の前にそっと置いた。
「南は?結婚とかは、どう?」
「え、ないです。全然ない!」
ひらひらと手を振り可那は否定した。
「山下は?山下とは続いてるの?」
友利が上品にタン塩を小さく丸め、口の中に入れる。
友利の口から突然出てきた山下の名前に可那はびっくりした。
「山下くんですか?友利さんよく覚えてましたね。」
「まだ付き合ってるの?」
友利に見つめられながら、可那は首を勢いよく横に振った。
「山下くんが異動決まった時に別れましたよ。」
「え、そんな前に別れてたの?」
友利が驚く様子に、可那はほんの少しうんざりしながら「もう別れて1年以上経ってます。」と、言った。
「そうだったんだ。てっきり遠距離恋愛なのかと思ってたよ。山下と南はお似合いだったけどなぁ。」
「そうかなぁ。」
可那は友利と顔を見合わせた。
外は徐々に暗くなってきている。
店内の控えめに灯る照明の中、あぁ酔っ払ってきたなぁ、と可那は思った。
ベンチシートのように並んで座るこの席は、間違いなくカップル向けだ、と思った。
相手と近づきたければいくらでも近づける。
現に、可那の肩は、友利の腕に触れそうだ。
きっと今日は、許される、と可那は思った。
ここはアデールの本社の近くだし、メロウの関係者は居ないだろう。
可那は友利にぴたっと身体をくっつけた。
友利の腕の感触を服の上から感じながら、可那は友利の耳元で言った。
「友利さん。この間、倉庫に2人で行った時。あれ、すっごいドキドキしちゃったんですけど…。」
「ん?」
ほんの少し戸惑ったような表情をした友利の顔が、目の前にある。
可那はなんだか意地悪な気持ちになった。
「私が什器を落として、友利さんが支えてくれた時。」
「あぁ…。あの時か。」
「友利さん、いきなりギュッてするんだもん。」
可那は、友利の顔を覗き込む。
「今日も、いい匂いがする。」
「南もいい匂いするよ、何つけてるの?」
可那が、ふふふと笑う。
「内緒。」
「なんで。」
「他社だから。怒られちゃう。」
コンテストが終わり、友利とここへ来る直前に可那はこっそりロールオンタイプのコロンをつけた。
バニラとイランイランの甘い香りは、女性よりも男性ウケするらしい。
フランスでは、バニラの香りに男性が惹きつけられるから女性はみんなバニラをつける、と聞いたことがある。
可那は思い切って友利の腕に自分の腕を絡ませた。
自分からくっついておきながら、なんだか恥ずかしくて思わず笑いそうになる。
更にぴたっと自分の身体をくっつけるように密着させた。
友利は拒絶せず、そのまま空いた方の右手で肉を焼き続けている。
あの日の続きを今日してくれたらいいのにと可那は思った。
「本当に美味しそうに肉を食べるよね。」
友利が照れたように笑いながら可那の皿に肉を載せる。
「お肉、大好きなんです。」
「あそこ知ってる?アムリタホテルの最上階の鉄板焼き屋。」
「えーと…。夏子さんに聞いたことある気がする。美味しいって有名な?」
「そうそう。」
友利が涼しげな表情でビールを飲み干した。
「最近リニューアルオープンしてさ。今度あの辺の店回りながらサーロインランチ食べに行こう。旨いよ、本当に。」
ランチか…。と、少しだけガッカリしながら可那は言った。
「サーロインですか?いいな、食べたい。」
可那は、友利の腕から自分の腕をスルッと抜いて箸を握りしめる。
そして、とろけそうな赤い肉を口の中に放り込んで噛み締めた。
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