日常

 書きたいことを書くのでなければ何を書くのか? 伝えたいことだろうか? それとも面白いと思ってもらえることだろうか。禁止していることはしたくなる。今はそれによく似た症状が現れている。イライラとして落ち着きがなくなる。禁断症状みたいだ。

 制限時間は30分計っている間は指を動かす。駄文を恐れるな。一筋のきらめきがまれに生まれることがあると信じよう。本になった文章の向こうに大量のならなかった文字が漂っている。断念とともに諦められた文字たちの希望が生き残った文章なのだ。

 

 空を見ながら歩いていた。こりもせずに毎日毎日同じ場所を散歩していた。アスファルトの硬さは変わらないけれど、空の色のグラデーションや雲の形はいつも違う。陽が落ちるときには、泣いてしまいそうなほど美しい景色がある。なぜいままで気づかなかったんだろうって思うくらいの美しさとスケールに僕の上限みたいなものが少しだけ増えて、心の余裕が増えていく気がした。

 すすきや菜の花をかき分けて川べりに行く。川を覗くとそばには大きな丸石がいくつも置いてあって長靴でもあれば川の中に立てそうだった。太陽の光が水面に反射してキラキラと宝石を砕いたみたいに不思議に輝いた。巨大な雲が川を水鏡にして空と川両方に現れ、青と白の幻想的な景色が広がっていた。美しさのとなりには猥雑さもつきもので、瓶やアルミ缶、発泡スチロールが川から流れてきたのか草むらの中に隠れていた。この川は海から水が流れ込んできているから、遠いどこか名も知らぬ街から漂流してきたのかもしれない。

 想像を膨らませるのはあまり得意じゃないと自分では思っていたから、たまにできると、とても清々しい気分になる。


 僕の住む街はとても平凡な田舎町だ。現代ではだいたいものは揃うから不自由は別にない。インターネットだってあるし、Twitterで繋がれる。Amazonで無いものは買える。人が少ないから人混みが少ない。堤防をよく歩いてるけど、人と遭遇しないのが気楽だ。僕は自然が好きだから空が広いのは嬉しいし、水田の輝きも嫌いじゃない。唯一足りないものはどこかにいく距離と出会いだった。

「会いませんか?」SNS上で仲良くなった人はたいてい東京にいて、会うためには新幹線に乗って往復28000円と10時間がいる。毎週会いにいってたとしたら、約11万もかかってしまう。それなら東京に引っ越せばいいじゃん。って言う人もあるだろうけど、実家は素晴らしい居心地なのだ。天井の高いとこじゃないと僕は窒息しそうになってしまうのだ。


 30分ただ書き続けることがなんて難しいことだろう。

 

 私は吐き気をもよおす。なにかに強制されるってことに嫌悪感を覚えるのはなぜだろう? 私の思考は短く浅く、深い部分には立ち入らない。深そうなところに半歩でも踏み入ったなって感じがすると心のSOSみたいなものが脳内に響き渡るのだ。一体何なんだ、この事故防衛システム。心を傷つけないと強くならないという謎の考え、筋肉と同じ超回復理論が私の中にあって深く深く自分を傷つけないのに怖くて逃げている。逃げるのは楽しい、最高だ。私と、とてもマッチしている。そういう直感だけが私を救ってくれる。空転する自我の上で私は自分の考えを見失いどこともしれぬどこかに足を進めている。

 ビールの味がきらいだ。付き合いで酔うために飲んでいるけれど、お腹の部分が張って熱くなる感じもきらいだ。


30分 1400

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