別れと自由

自由になりたい・・・心からそう思えた。

妻からの異常な愛からも、娘からの異常な愛からも柵(しがらみ)からも解放されて、誰にも縛られる事無く自由になりたい・・・こんな風に思えたのは初めてだった。

昼間にテレビの報道を観てから、俺の中にはたった一つの考えしか浮かんでいなかった。


―――――― 離婚しよう ――――――


これまで何をされても、何を言われても、何があっても受け入れて添い遂げて来た。

けれど、もう俺にも限界がきていたようだ・・・確かに聞こえたんだ・・・「枷」の壊れた音が・・・・・・。

心配はない、二人は芸能界でもトップの女優とアイドル・・・仮に仕事を長らく休んだとしても生活していける位には稼いでいる。

この家も、一臨が二咲ちゃんを産む前に自ら購入したもの。

二人で楽しくやっていけるだろう。

心配はない・・・ただ、不安はある。

離婚だなんて、たとえ神や仏が許しても、あの二人がそれを許さない。

そもそも話していい内容ですらない。

だから、事は慎重に、それでもできるだけ早くに進ませたい。


「今からでも、準備しておくか・・・。」


自由を目前にした俺に、もはや迷いは無かった・・・。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


ガチャンッッッ!!!

夕食の準備もできて、リビングで雑誌を読んでいると、玄関のドアが乱暴に開け放たれる音が聞こえた。

ドタドタと、廊下を歩く足音ですら嫌に響いていた。


「零っ!!!」


お腹から声を張り上げ、気に食わないといった表情で一臨がリビングにやってきた。

驚いて、読んでいた雑誌をテーブルに置き、一臨に向き直る。

そうした時にはもう、一臨は俺の肩を力任せに掴み、ものすごい剣幕で俺に質問を投げかけていた・・・。


「零!今日のお昼にやってたニュース、見た!!?」

「えっと・・・もしかして、一臨とあの俳優さんの・・・・・・?」

「っっ!!?見た・・・のね・・・!!」


俺が恐る恐る答えると、一臨の表情がより一層歪んだ。


「あんなのデタラメなのっ!!あの糞男、前から食事でもってしつこくて、断っても付いてくるのよ!!」


勿論、言われなくてもあの報道が真実では無いことぐらい分かっていた。

二人の愛を向けられる俺には、あの俳優が、一臨に付きまとっているんじゃないかと考えるのは容易だった。

これでも元マネージャーの端くれ・・・あの写真一枚から分かる事もある。


「だから言ってやったの、「これ以上しつこい様ならあんたの所の事務所に告げ口して、今のドラマも降板するわ」って・・・そうしたら土下座して謝ってきたの・・・だからあんな奴とは一切何も無いの、零っ!!」


まるでドラマのワンシーンでも見せられているのかと思うほどに、必死になって説明してくる一臨に、ガクガクと体を揺さぶられる。

肩を掴む一臨の手をそっと掴み返す。


「一臨、俺が一臨の事疑った事なんてある?」

「無いわよ!零は優しいから、私の事も二咲の事も信じてくれているもの!」

「でしょ?だからそんな事言わなくても、俺はちゃんと信じているから大丈夫だよ・・・ね?」

「零~~~!!」


俺の胸に飛びついてきた一臨に押し倒される。

頭を撫でてあげると、落ち着きを取り戻してきたようだ。

数分程そのままの状態が続くと、バッと一臨が起き上がった・・・かと思えば、スマホを弄り始めた。


「一臨?何してるの?」

「関係者やテレビ局に連絡するの!あれは全部デマの報道で、私には零だけだって!!」


立ち上がり、スマホを耳に当てリビングを出て行く一臨・・・ひょこっと顔だけ出したかと思えば、


「ちょっと待っててね零、すぐに戻るからね❤」

「う、うん分かった・・・。」


笑顔ではあったが、目が笑っていなかった・・・。

それから更に30分ほどして、二咲ちゃんも帰って来た。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


夜も深まり、シャワーの音だけが響いている。

一臨はもう眠っており、俺は行為に及んだ後にかいた汗を流している。

あれから少しして戻ってきた一臨を見るに、何とかなったらしい。

夕食時も、帰って来た時とはまるで違う様子で機嫌が良かった。

だから、今日の夜もたっぷりと犯された・・・。

二咲ちゃんもテレビでやっていた報道の事は耳にしていたらしく、一臨の事を励ましていた。

一臨を気遣ってか、今日は部屋に来なくてもいいと言われた。

あの時の一臨の顔を思い出す・・・・・・必死になって事情を話す一臨の顔・・・。


「・・・本当に、愛されてるんだな・・・・・・俺・・・。」


シャワーを止め、浴室から出てタオルで体を拭く。

着替えたら一臨の眠る寝室には戻らず、キッチンでコップに水を入れ、それを飲み干す。

渇いた喉が一瞬で潤う感覚が、お風呂上がりの火照った体に良く染みた。


「・・・・・・ごめん一臨、それと二咲ちゃん。」


それでも俺は、もうその愛を向けられたくないんだ・・・・・・そう独り言を呟いて、キッチンを出て行った・・・。

ピチャン・・・。

水の落ちる音だけが、背に聞こえた・・・。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


あれから二日が経った。

現在、朝の11時を過ぎたところ・・・俺はリビングで姿勢を正し座っていた。

横には、大きめの旅行用のカバンが一つ。

必要最低限の物を詰め込んでも、大した荷物にはならなかったのは、ありがたい。

目の前のテーブルには、一枚の紙。

また家を内緒で出て手に入れてきたその紙には、俺の名前と印が押されている・・・後の空欄に、一臨が記入すればそれで終わる・・・。


「・・・記入しないと思うけどな・・・。」


それでもいい。

この紙に俺が記入した時点で、俺には別れる意思があるんだから。

たとえ破り捨てられようと、その意志は変わらない。


「・・・・・・さて、行くかぁ・・・。」


荷物を持って立ち上がる。

キッチンにはすでに食事が用意されているし、洗濯と掃除も終わっている・・・主夫として、最後の仕事くらいはやり終えて行こうと思っていた。


「あぁ・・・そうだったな・・・。」


荷物を持つ自分の指にはめられた光る輪を、そっと外す。

それを紙と一緒にテーブルの上に置き、そのままリビングを出て行く。

玄関で靴を履き、ドアに手を掛ける・・・。

そして・・・・・・、


「さようなら・・・・・・。」


言葉は残る事無く宙に消え、残ったのは・・・誰もいない無人の家だけだった・・・。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


いつもよりも空が澄んで見える。

真っ直ぐに伸びる飛行機雲が、行く道を指示している様にも見えた。

こんなにも気持ちが軽いのは、自由になれたからだろう。

もっと、早くこうしておけばよかった・・・。


「ま、そうできてたら苦労はしなかったけど。」


ははは、と呆れ笑いを零す。


「さて、と・・・これからがちょっと大変だな。」


家を出たという事は、これから住む場所を探さなければならない。

実家には帰れない、俺がいる事がバレればすぐにでも二人が飛んでくるだろう。

その考えで行くと、共通の知り合いの家に厄介になる事もできない・・・それに、それは俺も気が引けるので却下だ。

一から新しい家を見つけるしかない、できるだけ遠くに・・・遠くに・・・。

でも、すぐに住める場所が見つかるとも言えないので、もしそうなった場合には暫くは格安のホテルかネカフェにお世話になる事になる。


「やっぱり家を見つけてからが良かったかな?・・・いや、そんな事してたらバレる可能性が上がるな・・・。」


ともあれ、やっと自由になったんだ・・・時間を有意義に使っていこう。

足取りは軽く、今の自分には、重たい物なんて何も背負っていなかった。

・・・そうして歩き続けて数時間、見知らぬ場所まで来てしまった。

普段外を出歩けないから、自由になった途端ついつい目移りしてしまい気の向くままに歩いた結果がこれだ・・・。


「ここ・・・何処だ?」


流石にこの歳になって迷子は恥ずかしい・・・スマホを手に取り、現在地を調べようとしたその時・・・・・・、


「「れ~いさん❤」」

「うおっわ!?」


聞き覚えのある声がしたと思えば背中に衝撃を受け、前のめりになる。

急な事に踏みとどまる事ができず、地面に倒れそうになる・・・が、左右から腕を掴まれ支えられた・・・。

ぴょこっと俺の前に顔を見せてきた人物・・・。


「こんな所で会えるなんて、ラッキーだね❤」

「ねぇ~!アタシ達、超ラッキーじゃん❤」


瓜二つの顔で、似たような事を口にしてくる二人。


「・・・兆胡ちゃん・・・京胡ちゃん・・・」


二人の名前を口にすると、揃って満面の笑みを俺に向けた・・・。

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