第15話 聖女様はジャスミンの香り

天幕の中は、外の除魔の香とはまた別の、いい匂いがしていた。

もっとフローラルな感じっていうのかな? 

しいて言うなら、高校の同級生の塚本さんがさせていた匂いを、さらにお上品にした感じだ。

香りに誘われるままに奥へと進むと、そこには絶世の美女が三人もいて、書類に目を通しながらお茶を飲んでいた。


「美しい……、まるで天女じゃないか」

「牛頭王様、本物の天女はここにおります……」


 アンゼラが何か言っていたけど、俺の耳には入ってこない。

それくらい目の前の美女たちに心を奪われてしまったのだ。

特に中心にいる女の子は、これまでお目にかかったことがないくらいに魅力的だった。


「姫様、こちらが作戦概要となります」


 おお! この人が温泉で見た迫力ボディーの姫様か。

顔は初めて見たけど、想像していたよりもずっと清純で優しそうな人だ。

ということは、左の褐色肌の騎士がレミリアで、右にいる背の低い魔導士がセラナだな。

 いいなぁ、この姫様は天界の女神よりも美しいかもしれない……。

ウットリと眺めていると、目の前の姫様と目が合った気がした。


「……」

「ええっ⁉」


 あまりのことに姫様が声を上げる。


「いかがいたしました、姫様!?」

「そこに、豆粒ほどの子牛が!」


 しまった! 

油断していたら、見つかってしまったか。


「封魔結界陣!」


 セラナが魔法を展開すると地上に輝く魔法陣が現れ、俺の体を縛り付けるように展開していく。

元のサイズなら埃を払うように抜けられるけど、このサイズではさすがに苦しさを感じた。

仕方がない、変化へんげを解いてしまおう。


「ミノタウロスか! どこから入り込んだ」


 レミリアが抜刀しながら問いただしてきたけど、慌てなかった。


「俺はミノタウロスじゃない」

「世迷いごとを! 白銀の鎧などつけているところからみて、貴様はキングミノタウロスだな」

「違うって言ってんだろっ!」

「お待ちなさい!」


 俺とレミリアの間に割って入ってきたのは、なんと姫様だった。


「姫様、危険です! お下がりください」


 レミリアは剣を構えながら姫様を庇おうとするが、姫様は静かに話を続けた。


「この人はミノタウロスではないそうですよ」


 えっ?


「信じて……くれるのですか?」

「はい」


 期待してはいなかった。

どうせ今回だってミノタウロス扱いされて逃げ出すことになると思っていた。

だけど目の前のこの人は、俺のことをミノタウロスではないと信じてくれている。

この瞬間に俺は誓ったよ。

俺はこの人の剣となり戦い、盾となりこの人を守ろうと。


「私はエルマダ王国の王女でアユーシャと言います。貴方は?」

「俺はミノル。光の勢力スプンタの神の一人牛頭王だ」

「そうですか。光の勢力スプンタの神であるのならば、我々の敵ではありませんね」


 アユーシャさんはニッコリと微笑みかけてくれる。

ところが、レミリアが真っ向から異を唱えた。


「私は化け物の言うことなど信用できません! こいつがスプンタの神? どう見ても闇の勢力アンラの手先ではありませんか」


 こいつ! 言っていいことと悪いことがあるぞ。


「姫様の気持ちはわかりますが、初対面の相手を信用しすぎるのはどうかと思いますよ」


 セラナは中立って感じだね。

いまだに俺を縛りつける結界はそのままだし。


「ではどうしますか? このまま動けないミノルさんの首を落とすというのですか?」


 アユーシャさんがそう聞くと、レミリアは怯んだ。


「そのような卑怯な真似はいたしません。結界から出して、この者と一騎打ちでカタをつけます」


 ふーん……、なんだかんだでレミリアも極悪人というわけではないんだな。

少し甘いような気もするけど、こういうタイプは嫌いじゃない。


「え~、せっかくバインドしてあるんだから、この状態で止めを刺そうよ! サクサクッとさあ」


 セラナは現実主義者なのね……。

もっとも、元のサイズに戻った俺に、この程度の封印は何の効果もないけどね。


 ドガーーンッ!!


 突如耳をつんざくような爆発音がして、外から人々の争う声が聞こえてきた。


「何事だ!? こちらが立て込んでいるときに!」


 レミリアがイライラと天幕の扉を開けている。

俺はすでに敵の気配を感じ取っていた。

魔力の大きさからして並みの化け物じゃない。

おそらく俺と同じ神の一人だ。


「どうやら闇の勢力アンラの襲撃みたいだよ。もう何人か殺されているようだ」


 牛頭イアーには剣劇の音が、牛頭ノースには血の匂いが届いている。

 レミリアもセラナも敵の様子を見に行きたいのだが、俺のことが気になってこの場を離れられないでいるようだった。


「俺のことは気にするなよ。俺は敵じゃない」

「しかし……」

「早くしないと兵士たちがどんどん殺されてしまうよ。おや、もうあっちからやって来たか」


 天幕を守る兵士たちが吹き飛ばされて、土煙とともに一人の男が現れた。


「貴様、何者だ!?」


 レミリアが厳しく誰何すいかしたが、男は嘲笑するように口角を釣り上げて笑った。


「クックックッ……威勢のいい女だ。だがその猛々しさも、すぐに許しを乞う嗚咽とかわるだろう」

「その禍々まがまがしさ闇の勢力アンラ尖兵せんぺいだな?」

「我が名はブリモア。アンラの神にしてこの迷宮の主なり」

「なんだと!?」


 対峙していたレミリアの表情が驚きに満ちていく。


「いつから錯覚していた? 迷宮の主は最深部で訪問者を待ち構えていると思っていたか? 客人が美しい姫とあらばこちらから出迎えに行くこともあると知れ」

「わざわざの訪問とは痛み入るな。ならばこちらも相応の礼を尽くそうではないか!」


 突然の襲撃で驚いていたレミリアだったが、とっくに落ち着きを取り戻しているようだ。

今は全身に魔力をたくわえて戦いに備えている。


「気の強い女だが、お前のような奴を屈服させるのもまた一興……」


 ブリモアの長広舌ちょうこうぜつは続いていたけど、構わずにレリミアは切りかかった。

斬撃のスピードは人間とは思えないほどで、避けきることができなかったブリモアの腕から血がほとばしる。


「ぐっ、貴様、ただの人間ではないな……」

「我が祖母は法と誠実を司る神、テミッサなり!」

「おのれ、神々の血筋かっ!」


 イシュタルモーゼにはこの手の人間が多い。

おかげで俺のような普通神はたいして敬われることがなかったりもする。

別に拝んでなんて欲しくないけどさ。


「援護するよ!」


 俺に封印結界を張ったままの状態で、セラナも攻撃魔法を繰り出した。

普通の人間にはできない器用さだ。

こいつもきっと神の血を受け継ぐものなのだろう。


「おのれ、貴様もか!?」


 予想外の反撃をくらってブリモアは苦戦を強いられている。


「おい、そこのミノタウロス! ぼさっとしていないで俺を手伝わんかっ!」


 ん? このバカは俺に言ってるのか?


「やっぱりこいつは……」


 セラナが結界の出力を上げた。

なんでだよ! せっかく信頼関係が結べそうだったのに! 

思わず姫様の方を見てブンブンと首を横に振った。すると……。


「わかっています。貴方は敵ではないのでしょう?」


 勇気1万倍です! 

俺はテトテトと結界を抜け出し、ブリモアのそばへ駆け寄った。


「なっ⁉ ミノタウロスが私の結界を抜けた!?」


 セラナが驚いているけどそれは無視。


「よしよし、ミノタウロスよ、あの女の動きを止めろ」


 アホが命令してきたけど、俺は拳で受け応える。


「牛頭パーンチっ!」

「ぐえっ」


 迷宮の壁にたたきつけられたブリモアが何とも表現しがたいうめき声を漏らした。


「う……き……きさ……」


 一撃で死ななかったのは、腐っても神の一人ということか。


「この俺がミノタウロスだと? 世迷いごともたいがいにしておけよ。俺は愛と正義の神、光の勢力スプンタの牛頭王だ」

「牛頭王様は戦闘神ですよ。愛はラーダ様やアフロディア様。正義はクージャ様やテミッサ様ですからね」

 アンゼラのツッコミは当然ながら無視した。


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