第9話 ヴァン ルージュ

 地下七階へとやってきた。

相変わらず洞窟のような場所だけど、地下六階よりも狭くなっている。

通路もゴツゴツとした岩がむき出しで、起伏にとんだ地形になっていた。

そんな場所で、俺はイビルシープという羊の群れと交戦中だ。


 バチッバチッ!


「痛って!」


 羊の角から紫電がほとばしり、俺の体内を駆け抜けていく。

動けなくなるほどのダメージはないけど、久しぶりに痛みというものを感じた。

通路が狭くてスピードを生かした戦いが難しく、避けることができなかったのだ。


 腹が立ったので、羊の角をポキリと折ってから脳天をぶん殴ってやった。


「牛頭王様ぁ、ラム肉ですよぉ! 頑張ってくださ~い!」


 横からアンゼラの我欲に満ちた応援が響いてくる。

天女というよりは食欲魔神だ。

俺も久しぶりにジンギスカンが食べたいけど、味付け肉をドロップしてくれるわけじゃない。

こいつらがドロップするのはただの羊肉〈コモン〉か、なめし革〈コモン〉のどちらかだ。

料理をしようと思って中華鍋を作ったけど、調味料が酢しかないので何ともならない。

せめて岩塩でもあったらなぁ。

こんなことなら地上で買ってくればよかったと反省した。


 最後に残ったイビルシープの顎を牛頭キックで砕いて、戦闘は終了した。

今回ゲットできたのは羊肉三人前と一頭分のなめし革だ。


「この皮でマントを作るとしよう!」


 やっぱりマントは冒険者の基本装備だよね。

有ると無いとじゃ雰囲気がまるで違う。

「マントなんかなくても牛頭王様は平気でしょう?」

「わかってないなぁ。マントは寝るときには毛布替わり、活動時は雨風から身を守る大事な装備になるんだよ」

「やっぱり、牛頭王様には関係ないじゃないですか。雨風なんてへっちゃらだし、夜だってお腹を出して寝ていてもピンピンしていますもん」

「必要とか不必要とかじゃないんだ。どんなに貧しい人でも、心の慰めになるような何か余計な物を持っているものなんだよ。だいたい必要な物だけで暮らしたら、人間の暮らしが獣同然のみじめなものになるぞ」

「おお、さすがは牛頭王様! 含蓄のあるお言葉です」


 俺じゃなくてシェークスピアの言葉だけどな。

中学生のときに「リア王」で感想文を書いて賞をとったのだ。

副賞で辞書を何冊か貰ったぞ。

持って帰るのにすごく重かった。


「問題は肉だよな。これ、どうする?」

「捨てるのは惜しいです。私は羊の肉を食べたことがありません」


 このまま捨てていったらブーブー文句を垂れそうだ。

俺も食べ物を捨てるというのは気が引ける。


「そうだ! どこかの冒険者に調味料を売ってもらいましょう。たしか、金貨がありましたよね?」

「おお、あれか! ポケットにいれっぱだぞ」


 迷宮マイマイという直径が2メートルもあるデンデンムシを倒したらドロップしたのだ。

やたらと殻が硬くて、この俺が一撃では仕留められなかった相手だ。

もっとも2発目のパンチで殻は粉々に砕け散ったけどね。


 金貨は小指の先ほどの小さなもので、価値はたいしてなさそうだった。

1円玉より小さいんだぜ。

邪魔にはならなさそうだったので持ってきたというわけだ。


「少量の塩なら迷宮価格でも高くはないでしょう」

「そうだな。そうするとしよう」


 次に冒険者に出会ったら塩を売ってもらうことにして、俺たちは歩き出した。


「さっきの電撃は驚いたな。さすがにあの攻撃はかわせなかった」

「牛頭王様も出せそうですけどね」

「なんでだよ?」

「だって、角があるじゃないですか」

「角があるからっておまえ……」


 ビッ!


「あっ、出た……」

「牛頭サンダーですか?」

「勝手に命名するなよ」

「じゃあ何にします?」

「…………牛頭サンダーでいいよ」

「他に思いつかなったんですね、わかります」

「うるさいな」

「思いつかなかったんですよね」

「……」

 俺たちの探索は続く。


   ♢


 聖女の部屋に凛々しい女騎士が入ってきた。

褐色の肌をした長身で、髪は銀色に輝いている。

切れ長の目で瞳は黒く、厳しい表情は一見とっつきにくそうな印象を他者に与える。

だが、彼女は生真面目なだけで心根は優しい女だった。


「姫様、第一部隊が突入を開始いたしました」

「そうですか。皆が無事ならばいいのですが」


 聖女は慈愛に満ちた瞳で窓から迷宮ゲートを見下ろしていた。


「御心配には及びません。我々はエルマダ王国最強の部隊です。それに第一部隊が行くのは地下五階です。脅威となるほどの魔物はおりませんよ」


 アユーシャを安心させるように女騎士は力強く断言する。

彼女は護衛部隊の隊長を務めるレミリア・イゼルだ。

20歳という若さながら軍の要職にあり、知勇を兼ね備えた騎士として未来を嘱望しょくぼうされている。

レミリアの祖母は法と誠実を司る神、テミッサであると噂されていた。


「予定では第一部隊が先行し、本日中に地下五階に拠点となる場所を確保いたします」


 聖女には戦う力がないので、兵士たちが安全を確保しながら少しずつ迷宮を進む予定なのだ。


「私のために苦労をかけますね」

「何をおっしゃいますか! 姫様がいなければ大宝珠ヒュージオーブは修復できません。もとより王家の方々をお守りするのが我々騎士の務めです」


 どこまでも生真面目な態度を崩さないレミリアがアユーシャには少しだけおかしかった。


「うふふ……」

「どうされましたか!?」

「レミリアはもう少し私に打ち解けてくれてもいいのではないですか?」

「はっ?」

「聖杯を満たす旅は長くなるでしょう。共にいる時間も増えるのですよ。今からそんなに肩肘を張っていたら疲れてしまいませんか?」


 アユーシャの言葉にレミリアは眉間にしわを寄せて考え込んでしまう。


「私はこれで普通なのであります。肩肘など張ってはおらんのですが……」


 背筋をピンと伸ばしたままでレミリアは困惑していた。


   ♢


 迷宮に潜ってはや数日、俺は最大のピンチを迎えているところだ。


「どうしたんですか牛頭王様? 大した相手ではありませんよ。サクッとやっつけてください!」

「わ、わかっている……」


 俺が対面している敵はマギュウという魔物だ。


【マギュウ】

 黒地に赤のブチ模様がついた牛。獰猛な性格で魔物さえ襲って食べることがある。メスの牛からは牛乳ではなく赤ワインがとれる。

ドロップアイテム:牛肉〈コモン〉、赤ワイン(コモン)、A5ランク牛肉のステーキ又は生肉〈レア〉


 首から汗が一筋流れていく。

相手が強敵だからじゃない。

なんだろう、この心の抵抗感! 

これって同族殺しにならないか? 

かっと頭が熱くなって、俺はマスクを脱ぎ捨てた。

すると、目の前のマギュウも眼を見開いて俺の顔を凝視している。


「ブモォ―!(いい男!)」


 うわっ、俺ってば牛の言葉を理解できるんだ!? 

か、神様だからだよな? 

牛だからじゃないよな!?


「モ、モオォォ……(なんか、いい匂いがする……)」


 マギュウがすり寄ってきたぞ。


「牛頭王様、牝牛(めうし)に懐かれていませんか?」

「そ、そうみたい」


 牛にとっては、俺の顔は超絶イケメンなのかもしれない。


「ムオォー(結婚して)」

「それは無理だ」


 こうなるとさすがに戦闘はできないぞ。

コミュニケーションを取れる相手を殺すのは忍びない。

ここは静かに立ち去るとするか。


「ブモ!(待って!)」


 牛に呼び止められるってどんな状況だよ。


「ブモーン(私も連れてって)」

「無理だ」


 俺はキッパリと切り捨てた。


「マギュウと人間とでは越えられない種族の壁があるんだよ」

「牛頭王様は人間じゃなくて神でしょう」


 アンゼラは余計なことを言うな。


「ムオォー(わかった)」

「達者で暮らせよ」


 魔物に向けて言う言葉でもないけどな。


「ブモオオオーン?(最後に一つだけお願いを聞いてくれない?)」

「なんだ?」

「モオオーン(乳を搾ってほしいの)」


 はっ?


「モオオ(そしたらもう悪さはしないわ)」


 そ、そういうことなら仕方がないか……。

中学の学習旅行で牧場にいって、乳しぼりの経験はある。

センスがあると牧場の人に褒められたくらいだ。


「この牛、なんて言ってるんですか?」

「乳を搾ってほしいそうだ。ちなみにマギュウからは牛乳ではなくワインが出る」

「ワイン! いいじゃないですか! すぐに絞ってあげましょう。うわぁ、ついに私もお酒を体験かぁ。大人の扉が今開かれるのですね」


 アンゼラまでその気になってしまっては、もう後に引くことはできないか。

俺は中華鍋を受け皿にして、迷宮の地下で乳しぼりを開始した。

ここはファンタジーな世界だけど、ちょっとシュールすぎる光景じゃないのか?

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