第10話 影のクローザー

 マギュウと別れた俺たちは、地下八階をさまよっていた。


「さっきから同じところをグルグル回っているような気がするなぁ」

「牛頭王様の力で何とかならないのですか? 牛頭ブレインでマッピングするとか」


 記憶領域が小さ目なことは恥ずかしいから言わないでおこう。


「いいんだよ、これも修業なんだから。それよりもこれが邪魔で歩きにくいな」


 俺は両手で中華鍋を抱えている。

中には搾りたての赤ワインが並々と入っているのだ。

キラーンとアンゼラの目が光り、瞬時に実体化していた。


「でしたら飲んでしまいましょう! そうしましょう!」

「おい、まだ昼間だぜ」


 牛頭ストマックウォッチ……腹時計で時間はきっちりとわかるのだ。


「いいじゃないですか。迷宮に昼も夜も関係ありません」


 間違っていない気はするな。

白夜や極夜が続く地方の住人は、時間の概念が希薄だと聞いたことがある。

日の出と日の入りがなければ、一日という単位が測れないからだ。

そう考えれば、世間の常識を迷宮に持ち込むのもナンセンスという気もする。

そして何より、ワインが邪魔でしょうがなかった。


「じゃあ、飲んでしまおうか?」

「そうしましょう。ちょっと緊張するなぁ。私、お酒を飲むのは初めてだから」

「俺だって前世は高校生だったから、飲むのは前々世以来だよ。でもこれ美味しいのか?」


 アンゼラは実体化しても身長は100㎝もない少女なので非力だ。

カップもないので、中華鍋を支えてワインを飲ませてやった。


「ぷはぁっ! 美味しい!」


 初めてとは思えない飲みっぷりだな。


「えっ? 美味いの?」

「マギュウの愛が詰まってますよ」


 それは言わないでくれ。

種族の壁は越えたくないのだ。


「どれどれ……」


 俺も鍋を抱えて一口飲んでみた。


「本当だ、豊潤な香りって言うのかな? それから深いコクがあるよね」

「もう一口お願いします」

「おいおい、飲み過ぎるなよ」

「これくらいの酒じゃ酔いませんって」


 初めて飲むくせによく言うよ……。


「ゴクゴクゴク……マスター、おつまみ」

「誰がマスターじゃ!」


 それでも荷物から羊肉の燻製を出して渡してやる。

昨日ドロップした羊肉を焚き火の煙で燻しただけだけど、それなりに美味しい。


「もう少し塩気が欲しいですよね。風味もなにか足りない気がする」


 天女さんがどんどん贅沢になっていく。

冒険者には出会えていないので、塩はまだ手に入っていないのだ。


「鍋を貸してください」


 量が少なくなってきたのでアンゼラは自分で中華鍋を抱えてワインを飲みだした。


「おい、本当に飲み過ぎるなよ。お? アンゼラ、誰か来るぞ。早く幽体になれ」


 アンゼラに注意を促して、俺も慌ててマスクをかぶった。



 足音の数が多かったから物陰に隠れて様子を見ていると、現れたのは30人余りの集団だった。

どういうわけか全員が同じ鎧を着けている。


「もしかして、すっごく仲のいい冒険者パーティーか?」

「違いますよ。あれはエルマダ王国正規兵の鎧です」


 幽体になったアンゼラが思念を使って教えてくれた。

ああ、兵隊だからお揃いの装備なのか。


「兵隊も迷宮に入るものなのか?」

「さあ。でも、あんまり聞かない話ですよね」


 トラブルになるといけないから、近づくのはやめておくか。


「道順はあっているのか?」


 隊長らしき男が部下に地図を確認させている。


「はい、下り階段はもう少し先です」


 こいつらは地下を目指しているんだな。

こっちは迷子になっていたところだ。

ちょうどいいからついて行くことにしよう。


「今日中に地下十階に到達しなければならないんだ。少し急ぐぞ」


 おう、急げ急げ。

鍋に残ったワインを飲み干して追跡を開始した。


「私のワインが!」


 いつからアンゼラのワインになったんだよ。

これはマギュウが俺のために……って、やめておこう。

牛に愛された記憶は捨てるべきなのだ。



 兵隊たちは順調に迷宮を進んでいった。

魔物に襲われることもあったけど、さすがに集団戦は上手い。

前衛がしっかりと魔物の突進を抑え、後衛が飛び道具と高火力魔法で敵をせん滅していた。

基本戦術通りで面白味はないけれど、堅実な戦い方をしている。

たまに防御が崩れそうなこともあったけど、後ろから石を投げて援護してやった。

痛恨の一撃を完璧にシャットアウト。

完璧なクローザー役をこなしたぜ。


「ありがたいことに今日は死者がでていないな」

「我々の戦闘力も上がってきたということでしょう」

「自分たちの力を過信しすぎるなよ。これも神々のご加護があるからだと思え」

 隊長よ、君は間違っていないぞ! 

陰ながら石ころで加護を与えていたのは戦闘神牛頭王だ。


 地下十階に到達した兵士たちは、広い場所を占拠して陣地を構築しだした。

トゲのついた柵とか槍などを立てかけて天幕を包囲している。


「よし、本隊に伝令を送れ。拠点構築完了とな!」


 隊長がそう告げると、他の兵士とは明らかに様子の違う人間が3人駆け出した。

黒装束を着けている姿はまるで忍者だ。

きっと、哨戒しょうかい潜入行動せんにゅうこうどうが得意な特殊兵なのだろう。

忍者たちはあっという間に闇に消えていく。


「どうしますか牛頭王様?」

「こいつらはここで宿泊みたいだ。兵士たちを見物していても面白くないから、地下十階を探索しに行こう」


 兵隊たちは疲労しているようだったけど、俺は一つも疲れていない。

時間の許す限り修業をしなければならないのだ。

地下十階ともなれば少しは魔物のレベルも上がるのかな? 

新たな敵を求めて俺は宿営地から離れた。


 ゴロゴロと転がる岩の魔物と遭遇したので、『剛腕』を利用した打|ち下ろしの右ストレー(チョッピングライト)トで粉々に砕いてやった。


【ロックボム】

 一見すると岩塊がんかいにしか見えない魔物。戦闘が始まってしばらくすると自爆する恐れがある。

ドロップアイテム:岩塩(がんえん)、火薬(レア)


「牛頭王様、あれは塩ではないのですか!?」


 煙が晴れると、床には拳よりも大きな岩塩が転がってた。

うっすらとピンク色をしている。


「そうそう、これが岩塩だよ。これだけあれば1年くらい塩には困らないだろうな」


 爪で削って舐めてみると、間違いなくしょっぱい。


「おお! これが塩……」


 アンゼラも初めての塩を堪能している。

ミネラル成分がたくさん詰まった美味しい塩だった。


 ふいに、牛頭イアーが小さなうめき声をとらえた。

牛頭ノースも微かな血の匂いを嗅ぎつけている。


「おいアンゼラ、ちょっと急ぐぞ」

「どうしたのですか?」

「この近くで人間が襲われているらしい」


 アンゼラが幽体に戻るのも待たずに俺は走り出した。


 戦闘現場に到着すると、そこには先ほど見た忍者が一人でイモムシの魔物と戦っていて、あとの二人は戦場から離脱するところだった。

伝令役をまっとうするために、一人を犠牲にして脱出をはかっているのだろう。

忍びとは非情な世界に生きているようだ。

残された忍者は重傷を負っているようだが、仲間たちを逃がすために激しい抵抗を続けていた。

見捨てるわけにはいかないな。


『電光石火』の踏み込みから、スピードを殺さないラリアットでイモムシを仕留めた。


「牛頭王様、置いていくなんてひどいですぅ。あっ、焼き芋!」


 遅れてきたアンゼラがドロップされたイモを見て興奮していたが、今はそれどころではない。


「イモのことは後だ。こっちに怪我人がいるぞ」


 倒れている忍者の傷を確認すると、横腹と太ももから出血していた。


「この傷ではもう……」


 アンゼラが悲しそうにつぶやくけど俺は悲観しない。


「フンッ! こんなもんは唾をつけておけば治る!」

「唾って……汚いですよ」

「嘘じゃないぞ。俺の唾には治癒能力があるのだ」


 ただでさえ俺は細胞レベルで自己修復能力が高いのだが、さらに傷口を舐めておけば大概の傷はすぐに塞がってしまうほど、唾液には高い効能がある。

これぞペロペロヒールなのだ!


 でも見ず知らずの人の傷を舐めるのは嫌だな。

悪いけどペッペッで我慢してもらおう。

死ぬよりはいいだろう。


「ペッペッ!」

「うわぁ……今日もシュールな光景ですね。もう少しスマートに治せないんですか?」

「おれ戦闘神だもん、治癒の神じゃないもん!」


 腹の傷は塞がったな。

今度は脚の傷を治してやるか。

太ももの部分の服を裂いて傷口をあらわにした。


「ペッペッペッ!」


 よ~し、あっという間に出血は止まったな。

ん? 

こいつ、やけに地肌の白い奴だな……。

血だらけの太ももが白く輝いている。

目を離すことができないでいたら、気を失っていた忍者がふいに意識を取り戻した。

「……っ!」

「安心しろ、傷は塞がった」

「ミ、ミノタウロス……」


 あっ、ペッペッをするためにマスクをとっていたのだった。

しかも、この声は女か?

状況的に襲われかけていると判断されても仕方がない。


「ひっ……」

「安心しろ、傷は治した!」


 女忍者はクナイを構えて震えている。

瞳は完全に怯えきっているようだ。

これ以上怖がらせるのも酷と言うものか。


「じゃあなっ!」


 それだけ言い捨てて走り出した。


「待ってくださいよぉ、牛頭王様! なんで逃げるんですか? いいことをしたんですよ」


 アンゼラはそう言ったけど、俺はミノタウロス扱いでこれ以上傷つきたくなかったんだ。


   ♦️


 凄く慌てて走っていたので、ミノルの牛頭イアーには女忍者の小声は届かなかった。


「ありがとう……」


 この世界の人間もそう捨てたもんじゃないけど、ミノルはまだそれを知らない。

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