第6話 地上へ急げ

 俺は猪突猛進以上の牛突猛進ぎゅうとつもうしんで迷宮を突き進む。

並み居る魔物を蹴散らし、ドロップアイテムにだって目もくれずに走り抜けた。


「おい! 銀貨がドロップされてるぞ!」


 親切な冒険者が教えてくれたけど、拾っている時間がもったいない。

リサという病気の少女に一刻も早くワクチラ苔を届けなくてはならないのだ。


「あんたにやるよ!」


 それだけ言い置いて、その場を立ち去る。

銀貨の価値ってどれくらいだ? 

俺の憶えている銀色の硬貨は50円、100円、500円だけだ。

結構大きい銀貨だったから牛丼(並)くらいは食べられるだろう。

この世界に牛丼はないだろうけどどね。


   ♢


 冒険者たちは走り去るミノルの後姿を呆然と見つめていた。


「なんだ、アイツは? バブリア・バットを一撃で倒しちまったぞ」

「しかも、ドロップされた銀貨を要らないって……。深層部で稼いでるSランクか?」

「だけど、あんな異形いぎょうの仮面をつけたやつなんて見たことないな」

「活動場所を変えたばかりの有名人かもしれん。とにかく今夜はこれで豪遊できるぞ!」


 銀貨を拾い上げた男の顔に喜びの笑みが広がる。

男が手にしているのはゾルゲ大銀貨であり、一般的な労働者が丸三日働いて稼げる価値があった。


   ♢


 アンゼラの道案内で休むことなく走っていくと、最初の上り階段が見えてきた。


「ところで、ここはどこなんだ?」

「地下三階ですよ。もしかして牛頭王様、迷宮の中で迷子だったのですか?」


 ちょっと煽り気味にアンゼラがウププと笑っている。


「そうじゃない! 東王母様からイシュタルモーゼへ行ってきなさいと言われて、いきなりこの迷宮に送り込まれたんだ。だから、自分がどこの国にいるかもわからないんだ」

「ふあぁ。東王母様……控えめに言って鬼ですね」


 そうなのかもしれない。

見た目は優しいお姉さんなんだけど、やることは結構キツイんだよな。


「ではご説明いたしましょう。ここはイースト大陸にあるエルマダ王国です」


 階段をのぼりながらアンゼラの話を聞く。

ちなみにアンゼラは幽体になっているので、下級の魔物や人間の目には映らない。


「エルマダ王国? たしか、東王母様が加護を与えている国だったな」


 国土は広くないが、穏やかな気候と大陸交易の要衝として栄えている国だ。


「その通りです。そしてここはエルマダ王国の東にあるゾルゲ迷宮の地下三階……」


 七段抜かしで階段を登ったら、あっという間に上の階についてしまった。


「たった今二階にたどり着きました。突き当りを右へ曲がってください」


 普通の冒険者なら1時間はかかる道のりを、僅か5分で踏破してやったぞ。

迷宮は階層が浅くなるほど攻略が簡単になるから、出口まで行くのに10分かからないかもな。



 本当に10分もかからずにエントランスフロアへとたどり着いてしまった。

エントランスフロアは学校の体育館くらいはありそうな広い場所だ。

正面の扉は屋外へと繋がっているようで、眩しい光がそこから差し込んでいる。

そういえば今が何時かもわかっていなかったな。

明かりの具合からいって、まだ昼間なのだろう。

フロアには冒険者だけでなく、買い取り希望の商人や、探索に必要なグッズを販売する出店なんかもあって、縁日のような賑わいだ。

さっきから俺の牛頭マスクをチラチラと見る奴はいるが、人ごみのなかではそれほど目立ってはいない。

ここにはフルフェイスの兜をかぶった冒険者も結構いた。


「入り口でヘルメットを取れって言われないかな?」

「言われないと思いますよ。もしも言われたら、呪いの兜で脱げないってことにしておけばいいじゃないですか」


 俺の力作を呪いの兜って……。

俺の心配をよそに、特に注意されることもなく、あっさりと外に出ることができた。



 ゾルゲは迷宮で一攫千金をもくろむ冒険者たちと、冒険者から商品を買い取る商人とで発展してきた街だった。

エルマダ王国では東部最大の地方都市である。


「病気の女の子の家はどっちだ」

「東です。東の町はずれ」

「うっしっ! もうひとっぱしりするぞ」


 重い鎧を着けて全力疾走をしていく俺を、町の人たちが畏敬の念で見つめている。

奇異の目?

どっちでもいいや。

神様は小さいことを気にしないのだ。



 目指す家は町はずれの小さなあばら家だった。

アンゼラに実体化してもらい、ワクチラ苔を手渡す。


「それじゃあ行ってこい」

「はい!」


 ついて行ってもいいが、俺を見たらリサという子が泣いてしまうかもしれない。

そんなことになったら俺まで傷ついて泣きたくなる。

センシティブな俺は外で待つことにした。

時に神様は小さな気配りもできるのだ。


 五感に意識を集中して家の中の様子を窺う。

牛頭イアーをフル稼働すると、家の中の声が聞こえてきた。


「て、天使⁉︎」


 きっと、リサのお母さんの声だな。


「これをお取りなさい」

「え? え?」

「ワクチラ苔です。煎じて飲めばリサの病気に絶大な効果があります」

「まあ! 何とお礼を申し上げればよいのか」

「お礼というのなら、戦闘神牛頭王様に感謝なさい」


 よせやい、照れるだろう……。


「牛頭王様? その方が貴方を遣わしてくださったのですか?」

「そうではないのですが……多大なるご尽力をたまわりました」

「さようでございますか。慈悲深き牛頭王様に感謝を……」


 お母さんは跪いてお祈りを捧げているようだ。


「そんなことより、薬を早く」


 そんなことよりって……。

病人に薬を飲ませる方が大切だけどさ。


「き、消えたっ⁉︎」


 アンゼラが幽体に戻ったらしく、消えた天使にお母さんは驚いているようだった。


 家の外で待っていると、幽体になったアンゼラが壁をすり抜けて戻ってきた。


「おかげさまで無事に薬を渡すことができました」

「間に合ってよかったな」


 俺たちはのんびりと迷宮への道を引き返す。


「ところで、牛頭王様はこれからどうされるつもりですか?」

「迷宮で修業を続けるよ」

「修業ですか」

「俺さ、戦闘神に昇格したばかりで、まだ自分の能力に目覚めきっていないんだよ。だから迷宮の最深部までいって修業をしようかな、なんて考えていたんだ」


 東王母様もそのつもりで俺を迷宮へ送り込んだのだろう。

 

「でしたら私もぜひお供をします!」

「アンゼラが? ん~、だけどさ……」


 アンゼラはサイズが違い過ぎて恋愛対象にはならないけど、天女と二人旅なんてちょっと恥ずかしいよ。


「耳目の仕事は彷徨(さまよ)っていればいいだけなので、特にやることもありません。でしたら牛頭王様にご恩返しがしたいです!」

「ラーガ天王に怒られないか?」

「ラーガ様は愛と義の女神ですよ。きっと私のやることに賛成してくれます」


 だよね。

東王母様主催の園遊会にいらしたのを見たことがあるけど、とっても優しそうな方だった。

しかも色っぽいんだよ。


「そういうことなら……」


 迷宮の修業は孤独だから、これで寂しくないかな。


「牛頭王様、そうと決まれば迷宮踏破の準備をしなくてはなりません」

「準備?」


 俺には装備なんて特に必要ないし、寝具やテントもいらないぞ。


「ここへ来る道すがら数々の露店が出ておりました! 肉の串焼きや珍しい果物、湯気を立てているスープなどいろいろです!」

「おまっ! お供とか殊勝(しゅしょう)なことを言ってるけど、ようは買い食いがしたいだけじゃないのか?」

「い、いいじゃないですか! 私が実体化したら天使の輪っかで目立っちゃうんですよ! 買えないんですよ!」

「俺だって素顔がバレたらかなりヤバいんだからな!」


 呆れた天女だとは思ったけど、これも何かの縁なのかもしれない。

俺たちは共に迷宮へ潜ることに決め、ラビリンス・タランチュラの革を売ったお金で様々な食べ物を買い込んだ。

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