第65話 シュルル VS デカハナ ①


「私がそのシュルルですが、何か御用でしょうか!!?」


「なん……だと……?」


 公都を警邏する第4大隊の大隊長である馬上のデカハナ・グランフィールド子爵は、瞬間、空気が変わったのを、その人としてありえない程に大きな鼻で感じ取り、目を剥いて睨みつけた。

 なんという攻撃的な匂い。

 その眼光の鋭さも相まって、戦慄すら覚えた。


 並の平民風情なら、委縮して怯えの色を浮かべるに留まる所を、柔らかな母親染みた気配を突き破り、ぬらり硬質な戦意を纏う。だが、それは守ろうという意志の表れ。

 吹き抜ける烈風の如き声色は、怒りに燃えるデカハナの激情を一舐め。増々滾らせるに至った。


「面白い! 貴様がシュルルかっ!」


 外套のたなびきすらデカハナの意気を現すかに雄々しくも唸り、馬上よりその巨躯を舞い降りさせた。


 じゃり……


 大地に着いた両足より、力が漲るのを感じる。

 グランフィールドの人間は、代々大地母神より祝福を受けた家系。その男子に、時折生ずる猪の如き面層は、古来より結ばれた盟約の証。冥界神の下僕たるオーク鬼とは一線を画する。それが誇り。


 目の前の女は、女としては大柄な方だが、頭一つ分はデカハナの方が高い。

 故に、尊大にも見下ろすかの目線は変わらずに、シュルルをじっくりと見下ろした。

 周囲の者達は、その一挙手一投足に息をのむ。が、シュルルの姉妹達は、どうなる事やらと余裕の表情で眺めている。その事が、ますますにデカハナの神経を高ぶらせた。


「どうやら、貴様ら。只者では無い様だな……」


「嫌ですよ、騎士の旦那様。あたしらは只の田舎者。肉食推進ギルドの者で御座います」


 途端に耳障りの良い、物腰の柔らかな言葉が流れ出、デカハナの心を和まそうとする。

 だが、それがこいつらの手口だ。

 最初から判っていれば、どうというものではない。


 瞳の奥に潜む、計算高い光。

 成程、副ギルド長ともなれば、一見若く見えるものの老練な強かさを兼ね備えているのも頷けるというもの。


 艶やかな金の髪を後ろに編み上げ、白いうなじが眩しくも映る。

 その鮮やかな青い瞳の煌きが見つめれば、見る者をまさしく虜にするだろう。

 ましてや男好きしそうな、たおやかな肢体。

 何を食ったらこうなるのかと思わんばかりの豊かな胸と腰つきだ。

 更には、血を飲んだかの赤い唇から漏れ出る涼やかな声。

 それで人々を魅了せんとする様は、正に魔女。


 否、魔性の女!


「これに、我が友もやられたか……だが、俺は違う!」


「?」


 くわわっと瞠目し、相手の力量を推し量らんとするデカハナに、相手の真意がどこにあるか見定めようと、シュルルはその言葉の端端に気を配る。

 『友』という単語。それに何となく推測を立てたが、会話は始まったばかり。こちらから、慌ててボロを出して差し上げる必要は無い。

 それに、彼には自分の幻覚魔法が通用しないのは、もう判っている事。

 肉屋ギルドの指金でも無い限り、どうにか交渉で誤魔化せる芽も無い事は無い筈……


 そう想うシュルルの胸の内を盗み見たかの様に、まるで汚い物を見るかの目で、デカハナは嘲りの笑みを浮かべてみせた。


「貴様にかかれば、男など朝食のパン程の意味も無い存在だろう」


「何だか仰る事が判りませんが、もしかして今朝のあの方の件でしょうか?」


「だがな! この世には、決して汚してはならないモノもあると知れぃっ!!

 貴様はそれを汚したのだ!!」


「あ、あの……」


「黙れ、淫売っ!!」


 だとしても……それがどうした!?

 泥をすすっても生きていればオールオッケー!

 生きてさえすれば……


 死の荒野


 呪いの砂漠


 冒険者の沼


 礫の河原


「っ!? まさか……」


 安い挑発に、膨らみかけた感情の揺らぎが、ストンと冷え固まった。

 腹の底に、重い石を呑んだかの様に……


「まさか……亡くなった? あの方が?」


 自分が殺した?


 戯れに?


「そんな訳、あるかああああっ!!!」


 ダダン!!

 デカハナの震脚が、その場を雷の様に走り抜けた。

 そして、そんなデカハナの豪咆に、シュルルの中に芽生えた冷たい感触は、一瞬で氷解してくれたのだった。


「あ……そ……」


「我が友、ナンコー・オーロナインは一騎当千のつわものよぉ!!

 下らん女の手管で、どうこう出来る男では無いわっ!!」


「そ……ですか……」


「うん?」



 一瞬で沸き起こった、硬直と融解。

 その心情の現れや。

 一見、鉄面皮の毒婦と言った、煮ても焼いても食えなさそうな気配が、その安堵の吐息に、春の吐息の如き華やかさが匂い立ち、文字通りこぼれ落ちたのだ。


「良かった……」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る