第61話 名前、それは1人に1つずつ

 みんな上に1枚。下は蛇の身体むき出しだけど、子供達は怯える風も無く、溶け込んでいる様子だった。



「な~な~、教えてよ~」

「ね~ね~、どうやったのよ~」

「え~、ひ・み・つ~」


 改めてワニを捌いている間、2尾の姉妹が左右から挟み込む様に同じ質問を繰り返す。

 シュルルはのらりくらり。

 枝ぶりの良い木に吊るし、血を抜いて、皮を剥ぎ、内臓を抜く。

 ちょい遅めの作業だが、あの川辺で血の匂いをさせるのは危険。今なら、姉妹もいるから、何か出て来ても大丈夫だろう。そんな打算があった。


 表面の白い脂肪が陽光を弾いて、てらてらと眩しく、予め地面に掘った穴には内臓がすっぽり収まり、既に虫がたかっていた。。

 羽虫も集まり、ぶんぶんと五月蠅いが、特に気にはならない。

 姉妹の口元は、血で赤々と染められ、実ににこやかだ。手には鮮血のカップ。例の銅貨を変形させた、薄っぺらい即席の品。彼女らの握力に負けて、もうぐにゃぐにゃ。


「ケチ~」

「ケチンボ~」

「え~、無理でしょ~?」

「大丈夫大丈夫~」

「簡単簡単~」

「無理無理~」



 その間、地面に潜っていた姉妹は、黙々と火を熾し、小枝の先に薄切りした脂身を挿して炙り、それを囲む様に二人の子供が涎を垂らして見入っていた。


「まだ?」

「まだまだ?」

「ん……」

「「ぎゃあっ!!?」」


 じゅわじゅわと泡立ち焦げ目のついたそれを、ひょいと渡すと、即座に口へ放り込み、2人揃って仲良く悲鳴をあげた。


「バカ?」

「「*+‘{<?>”!!$’(」」


「……ちょっとお願い」

「うん」

「いいよ~」


 両手で口や喉を押さえて意味不明の悶絶が、一斉に皆の注目を集めると、シュルルは重い腰を上げ、2尾がその作業を引き継いだ。



「もう、しょうがないわね。はい、お口を開けて~」


 涙目に駆け寄った2人にそう告げると、シュルルは一先ず水で口の中を洗ってあげ、ただれて赤くなった部分を冷やしながら、損傷した部位の代謝を促進させた。


「急がない急がない。

 気持ちは判るけど、まだまだいっぱいあるからね~。

 はい、もう大丈夫」


 ポンと2人の肩を叩くと、痛みが引いてびっくりしたのか、2人とも舌を出してれろれろした。


「わはっ、ありがとう!」

「あ~、びっくりしたなあ~もう~……」


「ぷぷっ」


 そんな2人に吹き出しながら焼き係りの姉妹が次の2本を差し出すと、慌てて受け取り即座に口に運びかけ、そこではっとなってそそくさと小枝を持ち直し、ふーふーと息を吹きかけ始めた。


「よろしい」


 目を瞑り、胸を張って腰に手を当て、うんうんと頷くシュルル。

 その様をのほほ~んと眺めていた焼き係りの姉妹が、馬の鼻息と轍の音に気付き、その方へと目線を泳がせた。



「よ~う、お待たせ~!」


 へらへらと御者台から、少し酒焼けでもした感じの、掠れのある声で手を振っていた。ちゃっかり革鎧なんて着込んで。

 結構、着古した感じ。

 彼女なりのラミア生を送って来たのだろうと改めて思いつつも、その荷台に鎮座している獲物に目を見張った。


 大きい……


 台座が組まれ、そこに仰向けに吊るされているっぽい何かが、大きく丈夫そうな布の下で揺れている。

 あの大きさだと、大人の水牛か何かだろうか。

 ぴんと四つ足を天に向け、羽虫がぶんぶんと飛び回る様は、如何にもな感じ。


「わ~、凄いじゃない!?」


「だろ?」


 ふふんと鼻で笑い、彼女は荷台へ移ると、その血が滲んだ布を取り去って見せた。


「どうだ? 一昨日処理したばかりだぜ。どうだい、この肉厚!」


 パン!


 皮をはいだばかりの白い脂肪を叩くと、脂に塗れた掌をこちらへ向けた。

 ほほうと、シュルルも近付き、同様に叩き、掌に付いた脂を舐める。

 すると、口の中に草原を吹き抜ける風の如き青さが広がり、この獲物が何を食べて育って来たのかが、たちどころにイメージ出来た。

 大地に広がる草花は陽光を一身に受けて風にそよぎ、滴り流れる水に喉を鳴らし……


「グ~ッド……」


 天を仰ぎ、瞳を閉じ、それを反芻する。


「ふ……だろう? だが、こっちもびっくりだぜ。まさかあんな獲物を、3つも抱えて顔出すんだもんなあ~。こっちの意味無いだろ?」


「へ?」


 ぱちくり。

 ワニとクレソンで2つじゃない?


「え? ま、まあ、あんなやせっぽちじゃ食った気にもならないけどさあ~」


「た……」


 ハッと振り向くと、目を見開いた子供達が腰を浮かしかけて、ずるっと滑った。


「食べないから!」


 慌てて、シュルルは姉妹達を見渡した。


「食べる訳ないじゃない!!」

「え?」

「「ええ~っ!?」」


 うわあ、2尾は便乗して楽しんでやがある!


「本当だからね!!」


 声も無く、口をぱくぱくさせてる二人に、シュルルは改めて念を押した。


 じゅんじゅわあああ……


 もうもうと立ち昇る湯気……


 二人は、またもやおしっこを漏らして、涙目にこくんこくんと頷いた。


(そこの! 二人の背後に回り込まない!)


 逃がさないよとばかりに、無言で背後から抱え込もうとした姉妹は、シュルルの眼光に慌ててその手を上に掲げて見せた。

 そんな彼女の口笛が空々しく響き、シュルルはどうしたものかと天を仰いだ。



 ◇



「わ、悪かったよ……」

「ごめんね、ごめんね~」

「これこの通り」

「……」


 4者4様に頭を下げると、ふんと鼻息一つ。シュルルはへの字にした口をようやく開いた。

 要はとにかく怒って見せた訳だ。


「宜しい。という訳で、馬鹿なこいつらを赦してあげてね。悪ふざけが過ぎただけだから」


 くるっと子供らに振り向き、凍てついた空気を一瞬で氷解する笑顔に。

 一応そのつもり。

 で、一同ほっと胸を撫で下ろした。


「じゃ、仲直りの握手握手」


「ちっ、仕方ねぇな」


「ちっ、じゃないでしょ~?」


「へいへい」


 頭をかきかき、彼女は一際大きな手を差し伸べて言った。


「エスパーダだ。仲間内じゃそう呼ばれている」


「あら? あなた、名前を名乗ってたの?」


「ん? 一応な」


 そう言って、白い歯を見せた。

 髪も短く刈り込んでるし、なんか男っぽい雰囲気で、ちょっとどきっとする。暫く見ない間に、貫禄みたいな変な空気をまとう様になったみたい。


「どこで何をやってたのやら?」


「ま、その内、おいおいな」


 軽くウィンク。

 そう言いながら、子供らの小さな手を握る彼女のそれは、どうみても戦士の手。ごつごつした、剣タコのある。腰に長剣を差しているけど、そっちもかなり使い込んだ品みたい。


 冒険者? ラミアの? 聞かないわね……


 目立つ風貌だから、人目に触れれば噂になろうものだけど。

 という事は、人間と交流の無い……例えば、国交の無い北の魔国とか……



「アッシュ……」


「ダスト……」


 おずおずと子供達は、それぞれの名を名乗った。

 そういえば、シュルルも聞いて無かった事に気付く。名前を使って来なかったから、その辺の感覚が希薄なのだ。


「それにしても、アッシュ(灰)にダスト(ゴミ)って……?」


 まともな人間の親が付ける名前には思えなかった。

 一応、凄みのある名を名乗ろうとする傭兵や冒険者がいるみたいだけれど……

 明るい茶髪のアッシュに、少し濃いめの栗毛なダスト。

 かなり適当に付けた名に想えた。


「みんなは、何て名乗るか考えて来た?」


「勿論! あたしはダブルオー! OOって丸を2つ書くだけなんてクールでしょ!?」

「あたし! あたしはワンワン! 11って棒を2つ書くだけなんてグリーンでしょ!?」


 シュルルの問いに、揃って2尾はことさら自慢げに胸を張る。


「あんたら……」


「「えへへ! 褒めて褒めて!」」


「呆れてんのよ!」


 街に入る時に、どう見ても偽名にしか見えなくて、頭が痛いシュルルであった。

 と、釣られてか、エスパーダもその名を笑い飛ばした。


「あはははっ、ちげーねぇっ! わざわざ2つ並べるなんて意味ねぇじゃな~い。オーとワン、どっちも犬の遠吠えみてえでカッコ悪ぃ~し、ちったあ~考えなって!」


「「むむむ……長ければ良いってものじゃないしぃ~!」」


 おおう。本当に犬みたい。2尾は揃って反論した。

 姉妹の中でも、昔からこの2尾は妙に仲が良くて、実際各自が縄張り持ってばらけるって時も、つるんで一緒に暮らす事を選んだのだ。


「貴方は何て名乗るの?」


 最後に、土に潜ったり肉を焼いてた大人しい姉妹に。

 彼女は姉妹ん中でもかなり静かで、口数も少なく情緒的な方。正直、彼女が来たのはちょっと驚きもあった。

 どっちかと言うと、端っこの方で大人しくしているタイプだと思っていたから。


「ナルエー……」


「意味は?」


「ん……何となく……」


「ふ~ん……」


 ナルエーの場合は、もしかしたらこっちの2尾に引っ張り出されたのかも。

 NullAってスペルは、ちょっと抽象的だから、もしかしたら私達とは違った何かを内に秘めているのかもね。



「じゃあじゃあ! 私、OOは止める! 1つにすれば良いんでしょ!? で、Oじゃなくて0(ゼロ)にするわ! ゼロ! ゼロよ!」

「じゃあじゃあ! 私も11は止める! 1つにすれば良いんでしょ!? でも、1と0って結構ゴロが良くない!? 良くないかな!?」


「ん? そうか~?」


「ゼロ」「ワン」「ゼロ」「ワン」「ゼロ」「ワン」


「お、おい……気味悪いなぁ~……」


 あ~らら。2尾して、ぐるぐる変な踊りを始めちゃった。

 ちょい強面のエスパーダも引いてる感じ。


 ともあれ、人間の街へ入り込む準備は、あとはアレだけかな?


 そんな事を想いながら、シュルルは改めてアッシュとダストと同じ目線になって、2人に問いかけてみた。


「ここはさ、2人とも気分を変えて、新しい名前を考えてみない?」


「名前?」


「ですか?」


 そう言って、2人は互いを見、それから頷いた。


「じゃあ、お姉さんが付けて」


「良い感じの」


「え? え~……?」


「そりゃいいや。そういや、お前の名前も聞いて無かったな! さぞ、センスの宜しいお名前なんでしょうね~! おほほほほ!」


 ゼロとワンの怪しい踊りに圧倒されていたエスパーダが、おかまとしか思えない笑いを。

 すると、残りの3尾もピタリと動きを止めて、じっとシュルルを見据えて来た。


「ぐっ、きも! ん~……シュルルよ……」


「はあ~、聞こえんなあ~っ!!」


「シュルルよ!! あんた、わざとでしょっ!!」


 顔を真っ赤に染めて怒鳴るシュルル。

 ほぼ同時に、4尾の姉妹は大爆笑。2人の子供は、訳も判らず、ぽかんとしてた。

 そりゃ、蛇語で『びっくり』は人間にゃ~、わかるめぇ~。



「アッシュ……貴方は今日からブライトって名乗りなさい。

 ダスト……貴方はサニーが良いわ。

 どちらも明るく輝く名前よ」


 4尾が笑い疲れた所で、ようやく仕切り直し。

 真面目な顔が出来る様になったシュルルは、2人の左右の頬に手を添えながら、その瞳を覗き込む様にして名付けた。


「ブライト……」


「サニー……」


 二人は、ぽかんとした表情で、その名を口にし、口の中で何度か反芻してみた。

 なんか実感が湧かなかった。

 それまで、2人はゴミくずの様な扱いを受けて来た。名前とは、そういうものだった。

 そういう意味だった……


「どうしたの? 気に入らなかった? 私の名前より、ずっと良い名前なんだけどなあ~……」


 ちょっと気取り過ぎた名前だったかなと、少し心配になったシュルルは、うつむいてしまった2人にちょっと慌ててしまう。

 すると、2人は首を左右に振った。

 目を瞑り、顔をくしゃりとさせ。口はわななき、鼻水が垂れた。ぽろぽろと頬を大粒の涙がこぼれて落ち、シュルルの手の甲を伝うのがはっきりと判った。


「い……生きてきて……良い事な……て……何1つ……無かっ……」


 うわずる2つの声は1つであり、同じ心根から生じていた。

 思わず、シュルルの瞳も熱を帯び、うるっと。


「「わ~ん!! 泣いちゃダメ!!

 泣いたら、ご飯が美味しくなくなるよぉ~っ!!」」


 2人を優しく抱きしめてあげようと思った、矢先。左右からゼロとワンが飛び込んで来て、シュルルの腕から子供らをかっさらって、思いっきり抱き締めてそのままとぐろを巻いた。


 が~ん……


 なんか、デジャビュー。


「「「「うわ~ん!!!」」」」


 泣きたい気分のシュルルを残し、2人と2尾は大合唱。

 そんなシュルルの左右の肩を、エスパーダとナルエーの手が、なんか都合良く同時にポンと叩くのであった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る