第56話 暴虐のシュルル

 不思議と生まれ変わった様な気分で、シュルルは農地沿いの道を行き、やがて水路脇の小道へと抜けた。

 人の手の行き渡らぬ、雑然と草が生い茂る道は、次第に大きな葉の犇めく様に包まれ、消えゆくかにも思えた。


 鼻歌混じり、そんな下生えに時折指を差し入れては、食べ慣れた草の葉をちぎっては口に運び、その青々とした風味に戯れる。


 すっかり寄り道気分。


 大体、待ち合わせの時間に細かい取り決めも無い。

 まだ朝の内。十分、間に合う筈。


 やはりゴミゴミとした人間の街に長く居た性かも知れない。


 目の前に広がる青空の様な解放感は素晴らしく、指や尻尾の先まで広がる陽光の温もり。

時折、草を撫ぜて吹き抜ける青い風がシュルルの身体を優しく包み込んでくれた。


「あは……」


 ふと川辺に目をやり、生い茂る草の間を、音も無く静かに進んだ。

 まるで草木が、シュルルの行く手を開ける様。

 苦も無く水辺へ到達すると、その場にしゃがみ込んで歓声をあげていた。


「まあまあっ、クレソンだわ!」


 見事なまでの水草の群生に、独特のつんとした香り。迷う事無く、ぬるむ水へと両腕を入れて、ごっそりと引き上げてみる。


「あはは! お肉にぴったり!」


 だばだばと滴る水音に、腹部の濡れる心地良さよ。

 続く水音に、シュルルはその一抱えもあるクレソンを、ひょいと傍らへ投げ、今にも目の前で閉じようというワニの大あごへ。上あごを右腕が、下あごを左腕が捉えると、素早く交差する様に蠢動させた。


 ゴキリ。


 水から飛び出す勢いそのまま、奇妙に首がねじれた、体長4m程のワニの身体が宙を舞っていた。


「ついでにお肉まで……」


 人間の大人程度なら、たちまち水中へと引きずり込まれていた事だろう。

 この一瞬の騒動に、水辺のそこかしこで頭だけ出していた何かが、ふわっと前へ飛び出しかけ、そして静かに引いていった。


「成程ね。人の手が入って無い訳だわ」


 ほうと溜息。

 ずるずると水辺の傾斜を首の折れたワニの身体が滑り落ちるのを、シュルルは尻尾で押し留めつつ、適当なつる草でクレソンの束を作ると、それを左肩に、右手はワニの上あごを掴み、この水辺から小道へ戻る事にした。


「都から少し離れただけで、これだけ獲物があると……」


 よりどりみどり。そう呟きかけた唇が、しゅるりと舌を伸ばした。

 気配がある。

 小さな。体温。

 沼ゴブリンが2匹?


 生憎、手が塞がってる。と一瞬思い、苦笑した。


 武器ならあるじゃない、と……


 まあ、沼ゴブリンなら、死んじゃってもいいかな?


「当たると死ぬよ~……」


 そう思い、右手のワニの死骸を、軽く振り上げると、ひょいと投げつけてみた。

 その潜んでいるであろう草むらに。


「あっぷっぷ!」


 死んだワニは、大人二人分くらいの体重がある。直撃すれば、多分死ぬ。

 ま、慌てふためく姿も面白かろうと、横薙ぎには投げずに、縦に投げた。


 綺麗な弧を描き、そのワニの死骸はほれぼれとする飛翔を遂げた。

 おお、ワニよ。貴方は美しい。

 ぐにゃりと曲がる首筋も。だらりと垂れた舌先も。風に泳ぐその尻尾の先までも。


「「うわああああっ」」


 ずしゃりめききっと草ぼうぼうの藪を突き破る代わりに、二匹の小鬼が。

 小鬼?


 ギラリ、切っ先が陽光を爆ぜた。にしては、くすんだ輝き。

 もう一匹は、手にした棒を飛び出しざまに、思いっきり高く掲げて見せた。


 小鬼……じゃない……汚ったないけど、人間の子供?


 小剣らしき武器を構えた子の方は、ぼうぼうの茶髪に、やぶれかけの布をまとっただけで、右の脚が太ももの辺りからおかしな方向を向いている。たぶん、骨折して治りが悪かったのだろう。とっても歩き辛そう。


 もう一人の子は、頭に布を巻いていて、ぼうぼうとした栗毛は変わらないのだけれど、どうみてもおかしな形をしている。左と、右の眼が違う方を向いているし、口からよだれをだらだら垂らし、うめき声みたいな声を上げている。服装もどっこいどっこい。

 頭でも殴られて、骨折して変形しちゃった感じだ。


 どちらもガリガリのひょろひょろで、沼ゴブリンとそう大差無い。

 歯並びもボロボロじゃないの。


「匂いも、沼ゴブリン並」


 草むらに潜んでいたから、まだマシだったみたい。風にさらされ、凄い臭気が漂って来た。


「く、食い物っ!」


「くひゅあもにょぉっ!」


「ぷっ、くくく……」


 判り易くて思わず笑ってしまった。


「そこにあるじゃない?」


 そう言って、放り投げたワニの死骸を指さすと、二匹の小鬼は、ハッとなって向き直った。


「肉だ!!」


「にゅきゅっ!!」


 思わず駆け寄りかけ、直前とピタッと止まる二人。

 剣や足の先で、そっと突っついてみたり。そんな二人の背後に、音も無く進み寄るシュルル。


「食べないの?」


 にっこり、耳元で意地の悪い質問を。と同時に。


「うわああああっ!!?」

「うあああああっ!!?」


 左右の掌を、少年らの脚と頭に置くや、二人は悲鳴を上げて身を硬直させた。


「食べないの?」


「ふあああっ、やめ! 止めて!」


「きゅああああっ! あっあ、あたっま、頭にっ!?」


「食べないのね?」


 目を細め、骨と皮ばかりの少年達の肉体に、虚実を重ね、実を読み取る。

 血は薄く、体液はその身と同じく痩せ細り、肉の繊維も細く、骨もすかすかに脆い。あの騎士に比べたら、むごいばかりである。

 二人とも、骨折の痕が身体に無数にあり、節くれだった老木の様。余程手荒く扱われて来たのだろう。そして、まともに作業出来ない体になったので、捨てられたといった所か。


「二人とも、あんまり美味しそうじゃないわね」


「「ひゃああああっ!?」」


 パッと手を離すと、二人は仲良く一目散に逃げ出していた。


「ほほほほ、転ぶわよ~!」


 元々、餓死少し手前の子供らだ。ほんの数メートル先で、息絶え絶え。

 でも。


「足! お前、足が!? 真っ直ぐ!」

「お前、喋れてるじゃないか!? 目も、両目で!?」


 言われて、慌てて頭の布を取り去ると、頭を抱えてうずくまった。


「頭の中で、じゅるじゅるって何かが這いずり回ってる感じがする~」

「だ、大丈夫かよっ!?」


 そんな二人に、シュルルは静かに近寄ってみた。

 逃げる様子は無いみたい。

 そう確信して、声をかけてみた。


「骨の圧迫が外れて、血流が戻っただけだと思うな~」


 きょとんと見上げる二人に、更に説明をしてあげてみた。


「何ね。たまに居るのよ。野生の牛や鹿って、頭でごつごつぶつけ合うから、骨折したら大概は歩けなくて死んじゃうんだけどね」


 反応が無い。ぽか~んと、馬鹿みたいに口を開けている。

 虫歯だらけで酷い歯並びだわ。息をするだけで、空気が淀む程に。

 更に、パッとその口を塞いだ。


「「むーむー!」」


「返事はいらな~い。近くで待ち合わせしてるから、そこまで来る? あれ、食べさせてあげるから」


 目でワニの死骸を示し、つとめて明るく語り掛けながらも、子供らの身体の、無様にくっついた部分から余計な骨を集めては、吸い寄せる様にして、歯を再生する。と言っても、見せかけの歯だ。


 おっと、思わず顎の骨を砕くとこでした。

 慌てて、シュルルは手を引っ込めると、急ごしらえで再生した歯並びに目を細め、うんうんと頷いて見せた。

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