第53話 私も、かくありたい

 早朝、サルスベリの木の下でとぐろを巻く。


 陽はゆっくりと昇り、朝の気配を薄めていった。


 見上げると、自分の性で勘違いしてしまったか、花開いてしまった淡い薄紅色の小さな花が、青空に眩しく、シュルルは目を細めた。


 花は良い。


 純粋で、ただそこに咲き、風に揺れ、日を浴び、瑞々しくあり。


 その様に、ふと一番小さな姉妹の姿を重ねた。

 今頃、どうしているだろうか。

 預け渡した縄張りと、あの宿営地でどう過ごしているだろうか。


「また、泣いて無ければ良いのだけれど……」


 ほうと溜息一つ。

 自然、口の端が緩む。


「無いわね……」


 あそこには『呪』を一つ置いて来た。あれはあの娘への『贈り物』……

 魔法とは違う。あの地で過ごした数年の、私の願いそのもの。



 身体は未だ熱を持っていた。

 あの下衆な貴族から盗み取った、盗み取ってしまった、卑猥な衝動そのもの。

 だが、今のシュルルの心は、ただ穏やかであった。


 あれは、生物として自然のもの。

 あまた存在する生き物は、その本能の赴くままに繁殖し、その鬩ぎ合いの中に常にあった。


 生存本能。


 野生の動物達もまた、繁殖期を迎えれば、雄と雌が互いに、時には命がけで子孫を残す。


「私もまた、生物という事……か……」


 背を預ける木肌の滑らかさが心地良い。


 半人半蛇。

 上半身は、人ととても良く似ている存在。

 人の血に含まれた何らかの物質が、ラミア、人からすると怪物である自分にも同様の効果をもたらすという事は、自分達もまた自然の摂理の中にある存在であると。


 自分達は、正常であるとの証拠。


 余りの異常反応に、最初は自らも拒絶していたシュルルであったが、花開く様を目にし、そう気づかされた。


 花が咲き、実を結び、種を落とす。そして、新たな芽吹きを迎える。





 幼い頃、シュルル達17姉妹は母に追放された。

 その十数年後、シュルルは母である『一つ目』に如何に子を成したか聞く為に、探索者を目指した。記憶があいまいで、どうしても普通に戻る事が出来なかったからだ。



 当初、集団で狩猟生活をする内、成長し、単独でも獲物を狩れる様になったので、それぞれが縄張りを決めてバラバラに住んだ。自我が芽生え、妙に喧嘩が増えたのが、あの頃。

 一尾になれたのがシュルルには好都合だった。


 幾つかのダンジョンに潜る内、ものによっては、結界の様な何らかの条件で出入りが制限されるものもある事を知り、あの『蛇の穴』もまたそうなのであろうと思う様になった。

 ダンジョンに潜る内に、人との遭遇、交渉の機会も増え、情報を引き出す為に変装や演技といったスキルも身に付けた。


 そして行き着いた先が、賢者の塔。幻覚魔法。

 ダンジョンで得た金を使い、人で無くても魔法を教えてくれる所に入門した。

 人間世界へ潜り込み、そこに蓄積されているであろうラミアの知識を求める為。


 残念な事に塔では新入りのシュルルに、期待していた書物庫の開示はされなかった。

 数十年を塔で過ごし、階級を上げれば許可が下りるとの話だったので、そんな気長にはいかない。


 その頃、時々縄張りに戻っては、初歩的元素魔法で地下の水脈から水を引き上げ、縄張りに水場を用意し、馬を休められ、焚火をしても外部に漏れない様、一見自然な岩場をあつらえておいた。

 暫くしたら、狙い通り行商人が、その宿営地を経由して荒野を渡る様になっていた。


 誰だって、街道沿いの宿場を通過して、一々税金を払いたくは無い。

 それに、近場に荷を運んでも、そこで商売をするメリットがあまり無い。出来るだけ遠くへ。しかも素早く移動したいのが行商人の心情というもの。


 シュルル達が縄張りを広げた段階で、荒野の狂暴な連中は追いやってしまったから、人間の騎士団が巡回している街道沿いとまではいかないが、そこそこ安全なエリアとなりつつあった。


 大胆なショートカットを行い、旅程を短くする人間の小規模な商人。彼らのメリットを増やす為、時々人のふりをしては狩猟で得た成果物を売ったり物々交換をする。そして、人間社会の情報を得たり、医学書等の書物を購入したりの日々を送り、いつの日か人間の街へ進出する機会をうかがっていたのだ。


 あの日までは……





 瞳は熱を帯びている。


 唇は触れば溶ける鬼灯の様。


 熱い吐息はふいごの如く、内なる想いを滴らせしめ。


 心は不思議と、あの青空の様に遠く、高く、清涼に思えた。



 ただ、あるがままであれば良い。



 今までは、こうでなければならない、こうでありたい、そう想って行動していた。様な気がする。


「次に会ったら……」


 そこで言葉を途切らせ、その心情のままに再びサルスベリの小さな花を眺めた。


「私も、かくありたい……」


 あの人の前で、あの小さな姉妹の如く、何も飾らない自分でいよう。


 人で無しの、ラミアである自分は拒絶されるかも知れない。


 だが、それが良い。


「それで良い……」


 熱い想いが、全てを肯定する。

 思うがままに生きよう。

 生きて生きて生きて、そして死ねば良い。それがこの世界。世の理。



 チリン……チリチリチリ……



 小さな金属音に、ふと地面に目をやる。

 そこには、一枚の大銅貨が細かく震え、やがてピタリと動きを止めた。

 そっと手を、左腕の肩に。そこに張り付いていた、あのどうやっても取れなかった大銅貨が消えていた。一枚にして、銅貨80枚分の価値がある、あの分厚くて大きな大銅貨。


 一瞬、どうして?と思ったが、ああそうかと納得も入った。


「もう、私は捉われてしまったのね?」


 そう、そのコインに彫られた、公国の創始者クラータ公の横顔に問う。


 答えは得られた。


 両手の指先を、胸の中央へと合わせる様にして触れた。


 とくん。とくん。とくん。


 その先には、まるで何事も無く安定した鼓動を続ける、シュルル心臓がある。


「アンニャロメ……」


 あの夜、打ち込まれたのは、ただ化物を捕らえる為だけの呪詛に過ぎないのだろう。

 ただ、事実は命がけの勝負に負けた事。

 相手は、自分より強い雄と証明された。


 心を捉われても、それは仕方無い。

 それが自然界の掟。

 あの呪いは、たった今、ここに結実されてしまった。


 そう思い浮かべるシュルルの表情は、可憐な少女のそれでしかなかった。

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