第52話 よじれちゃう~!

 空は青く、どこまでもあんなに高いのに。

 浮かぶ雲は、真っ白であんなにふわふわしてるのに。

 私は一体何をしているのでしょう?


「も~、よじれちゃう~!」


 草むらに寝っ転がったシュルルは、青々と茂る若草の香りにむせながらも、火照る身体をねじくれさせて悶々としていた。

 原因はあのド助平子爵の血だって事は判っているのだけれど、どういう事かって大体想像はつくのだけれど、こうにもてき面に反応してしまう自分がおかしく、どうにも悩ましい。


 ラミアは血を好んで飲む。

 人間や獣や他の化け物の血を飲む時は、大概戦って倒した直後になる。相手の喉笛噛み切って、ごくごくいくのが古典的スタイルである。

 当然、自分も戦いに興奮しているし、相手も消耗しているとは言え、戦いに興奮していたに違いない。

 そうなると、興奮した生き物の血を飲んだとしても、別におかしな事になる要素は何もない。だって、自分もそういう状態なのだから。


 で、今回のケースはというと、相手が異常に興奮していて、興奮していなかったこちらが異様に影響を受けてしまったという事だろう。でも……


「私って……私って、相手が誰でもこうなるの~~~っ!!?」


 草むらの中心で哀を叫ぶシュルルの図。合掌。


 頭抱えてしまうのは、半人半蛇の怪物とは言え、うら若い乙女の心が多少なりとも備わっているという事実だろう。たぶんね。

 特に今回の興奮は戦いのそれと違い、情動。性的興奮である。男女の違いはあろうけれど、全身に現れた生理的変化はこれまで感じた事の無い異物であり、種の保存を促す本能的なげふんげふんである。


「げふんげふん」


 あ、自分で言った。


「う~ん、も~!」


 身体が薄い皮に熱い血潮がぱんぱんに詰まった、ただの腸詰の様であり、内側からうねり出す対流に、針の一刺しで弾けそうな気がして。

 大地に身を押し付けるだけではどうにも収まらず、近くに生えていた低灌木にすがる様に絡みついた。


 藪も小枝もシュルルの身に傷一つ付ける事は無い。

 シュルルの身に付けている魔法の腕輪は、ちょっとした防御能力も備えており、身体能力の活性化と共に、薄い力場が体表を覆っているのだ。


 それでも木肌のごつごつとした荒々しさを、肌で感じる事は出来た。


「違う! 違う! こーいうんじゃ無い!!」


 何とも言えない物足りなさ。

 抱き着きたいだけじゃない。

 誰かに抱き着かれたいのだ。


 暖かな熱のこもった腕が、シュルルの肉体をがんじがらめに拘束する。その抱擁を夢想しては、ありもしない腕の代わりに己の腕で、己を抱いた。

 美麗な鱗に覆われた長い尻尾で自らを巻き込んだ。


 違う!


 何かが違う!!



 そもそもラミアとは、上半身が人間の女性で、下半身が蛇という珍しいモンスターである、らしい。自覚は無いが、姉妹と母以外に遭った事が無いので、そうなのかも知れない。


 今のシュルルは、もう人間で言う所の、結婚適齢期を少し過ぎたところにある様にも思える。人間は、身体が子供をつくれる状態になる少し前から、大概はつがいになる。そして、数回の出産を繰り返す。一度にそう多くは産まない。一人がほとんどで、二人三人はまれである。


 だから、母親の乳房は二つ。それは生物的に理にかなっている様に思えた。


 そして、ラミアであるシュルルも二つある。

 だが、シュルルは17姉妹。普通に考えると、一度に出産できる数では無いのだ。

 つまりは育てられない。これは明らかに異常である。


 豚や犬の様に、複乳なら納得の身体の仕組み。


 一方、多産の象徴ともされる蛇は、一度に多くの卵を産む。そして、産みつけて放置する。育てはしないから、乳房も無い。

 それらを鑑みると、ラミアが多くを産んで、子を殺し合わせて、生き残った数尾を育てるというのは、一見妥当の様にも思えるが、それはあくまで後天的な特質であって、先天的な、生物的なものでは無い。



 どうして私は生れて来たのだろう?


 どうして私を産んだのだろう?


 物心ついた時には、そんな疑問がシュルルの中にはあった。そして、一度母親に訊いてみたいと、あの生まれ育った蛇の穴を目指し、最初は探索者を目指した。

 そして、最後に挑んだ迷宮で、もしかしたら何か結界の様な、不思議な空間にあるのではとの仮説を立て、やり方を変えたのではあるが、目的も微妙に変わって行った。


 どこにあるか判らない、どこに居るか判らない母を探すのは一先ず諦めて、別の方法、別の方向で、自分達の未来を模索し始めたのだ。



 人間とラミアは良く似ている。


 まるで、人間の身体に蛇の尻尾をくっつけたみたいに。

 似た様な種族に、リザードマンやマーメイド、ドラゴニュート等がある。一度、解剖してみたい。


 同族のラミアを解剖した事は無いが、人間はいっぱいある。医学書も手に入れて読み漁った。


 肺があり、横隔膜があり、内臓があり、骨盤がある。

 シュルルは、もしかしたら人間と同じ様に、自分達も胎盤があるのではと疑っている。

 蛇の様に卵生では無いのか? それも確かめなければならない事の一つ。



 メキメキ!


 はっと我に返ると、抱き着いたサルスベリの木が、ぼっきりと。

 だって、肌触りが良かったんだもん!


「きゃっ!? ごめんなさいごめんなさい!」


 今更ながら、木に謝ってしまう。

 これが人間だったら、背骨をへし折った挙句に内臓を破裂させていたかも。


 そそっと木から離れると、ぼっきり折れた幹を左手で戻しながら、折れたヶ所に右手を充てた。


 木は、構造が動物より単純。

 外側が生きていて、内側は芯となって体を支えているのが多い。

 問題は、その芯の部分まで折ってしまったという事。


 欠損した細胞を補う形で、新たな細胞を増殖させる。急速に!

 生命は物質であり、物質はそのエネルギーにより、固体、液体、気体に分かれ、通常は状況に応じて、安定した状態にある。

 シュルルがやっているのは、元素魔法の初歩の初歩ではあるが、錬金術によりあらゆる物質を調査研究した成果で、その大まかな特性を掴んでいる事にある。

 物質のエネルギーを操る。

 それは細胞の活性化につながり、欠損部位を修復させるに至るのだ。


 物質は木の中から集めるが、エネルギーはシュルルの魔力が生じさせる。


 実に単純な元素魔法だ。


「ほぅ……」


 シュルルは溜息一つ。

 手を離すと、サルスベリの木は折れ曲がりかけた幹は元通りとなり、裂けた地肌は真白くも艶やかなそれと化していた。


「良かった……あら? あらら?」


 見上げる枝の先、ふんわりと幾つかのつぼみが膨らむや、見ている前でぱっと薄桃色の花が咲き始めるではないか。

 ほんのり甘くさわやかな香り。それに、シュルルは目を細め微笑みを浮かべた。

 いつの間にか、その身を内から苛んでいた情動は、だいぶ落ち着いたかに思えた。


「あは……魔法を使ったからかしら?」


 それでもまだむらむらする。

 そこで、シュルルはその木の下で、とぐろを巻く事にした。


 瞑想。

 昔、賢者の塔に入門した折、己の気と身体を認識し、調和する為にと日々行っていた修行の一環である。

 かくして、一方的に押し流されていた情動に、対面する余裕の生まれたシュルルであった……


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