第42話 アホ草


 幅にして、人の肩幅くらいはあるその海藻は、厚さからして中央部分は人の指程もあり、端にいく程に薄くなる。それが海底からまっすぐ海面へ届く程、生えてる深度にも因るが、三四階建ての建物の高さ程度には長い。

 それを体に巻いて、陸上を移動し、屋根まで上がったシュルルもシュルルだが。


「ふむ……」


 皆が蟹の甲羅のオーブン焼きに舌鼓を打っているところ、当のシュルルは改めてこのアホ草に手を伸ばしていた。

 一階の調理場の床を埋め尽くす、この黒い帯状の物体。


 周囲にあれだけの生き物が生息していたという事は、それだけ栄養豊かな海という事になる。それがどういう事か。

 生物は食べた物でその身体が構成されている。

 ドングリや草や茸、芋を食べて育った猪の肉が、あらゆる山の滋養を取り込んだ熊の肉が、そのフレバーに満ち、滋養に満ち満ちている事からも、あの海に生きていた生物の血肉に素晴らしい栄養が備わっている、その確信がシュルルにはあった。


 スッと根元に刃を入れ、薄く削り取った物を口に含む。

 確かにハルが言ってた様に、根の部分は固い、が、この切り離したにも関わらず、口元へと伝う粘り気のある粘液はどうだ!?

 無色透明でいて、無臭。ほんのりと潮の香りと共に口内に広がる何とも言えない粘液は、動物の体表を覆うそれとはまったく異質のものと想えた。


「違う……何もかもが違い過ぎる……」


 内陸部で手に入る、主に自生している植物、沼地や河川で手に入る水生の藻類と余りにも違うそれは……


「原因は海水かしら?」


 動物の体内に流れる血には、海の水と同じ程度の塩味がある。

 不思議な事に。

 血を主食とするラミアならでは、シュルルも海を泳いだ際に気付いた事。

 塩は、野生の動物にとっても欠かせない成分らしく、山中でヤギが岩塩を舐めたり、野牛等が直接に土を齧る時など、土中に濃い塩味がある事が多い。良い狩場だ。


 だが、植物には必ずしも良くは無いらしく、そういった土の質に因って植相も異なる。

 すなわち、海の中ならば、塩分を好んで生える植物もある、という事だろう。


 錬金術の実験において、大まかに分類すると物体の状態には4つの形態がある。

 気体、液体、固体、そして他の物体に溶け込んだ状態だ。


 金は変質し辛い物質だけど、今回の事で海水にわずかながら含有されてる事が判ったし。


 この際、塩で考えてみる。

 肉や野菜を塩に漬け込むと、塩分が浸透すると同時に液が出る。液は実に塩辛く、漬け込んだ野菜や肉は体積を失い、しんなりとなる。液が抜け出た分。

 顕微鏡で覗いてみれば、細胞がつぶれて、中の液が失われているのが判る。

 水に固体の塩を加えると、溶解し、塩水となる。水の容器に間仕切りをし、片方にだけ塩を入れると、仕切りの組成によって残り半分が塩水に変化するのには時間が変わるのだ。


「そして、海で自生する植物は、余計な塩が体内に入らない仕組みがあるって所かしら?」


 そして、海藻類は地上の植物が根から水分や栄養分を取り込むのと同様に、体表全体から栄養を取り込んでいる?


「ねーねー、何ぶつぶつ言ってるの?」


 ある予測に行きついた頃、能天気そうなジャスミンの声に我に帰った。


「面白いわ~、海って本当に面白い……」

「その三日月もびっくりな、変な植物も?」

「は、初めて見たんだから、仕方ないで御座るよ! 大体、シュルルが意地悪なのが悪いで御座る!」


 パッと頬を赤らめ、恨みがましそうにシュルルを睨む三日月に、シュルルは諸手を挙げて降参の意を示した。


「あははは~、ごめんごめん。もう赦してよ~」

「でもシュルルさん。それどうするんです? さっきも言った通り、地元の漁師も、煮ても焼いても食べられないって捨ててるんですよ?」


 ハルのその言葉に、シュルルは満面の笑みを浮かべ、ピッと右の人差し指を一本立て、ゆっくりとそれでいてとても楽しそうに左右に振って見せた。


「ちっちっち……ハル君。君はとても良い事を言ったね?」

「え?」


 ちょっとどの事を差しているか判らず、ハルシオンはきょとんとしてしまう。


「漁師が煮ても焼いてもというけれど、漁師さんはこのオーブンを持ってるのかしら?」

「……あ……」

「先ず、普通の竈では温度が低い! そして、私の使う鍋ならば、圧力が違う!」

「あつりょく?」

 皆、シュルルが口にした聞き慣れぬ単語に、はてと首を傾げた。


「つまりね。さっき作った瓜と魚のスープを思い出して貰いたいの。あれこそ圧力の力を最大限に引き出した一品だったのよ。食べてみて、何か違うって言って無かった?」

「確かに、香りが全然違ったけれど……良く煮えていて、具も美味しかった……」

「そこよ」


 きょとんとする皆の様子を眺め、少し間を置いてからシュルルは名探偵が事件の謎を軽くひも解く様に、ゆっくりと語り出した。


「昨日。私達は、ハル君が送金手続きをする帰りに、市場に寄った。そこまでは良い?」

「はい」

「そこで、売れ残っていた、ちょっと色の悪い瓜や鮮度の落ちた魚を、安く負けさせて買ったわよね?」

「あ、でも、僕そういうのは慣れてますから……って、そういえば、生臭さとか気にならなかったですね」


「ま、その辺は下ごしらえをしっかりしたからね~。それでも、美味しかったと言って貰えたのは、鍋の蓋を融合させ、密閉した状態で加熱したから、普通に調理したら蒸散して大気に逃げてしまう栄養素も逃がさずに済み、高温高圧で煮込む事により、より互いの旨味が染みとおると共に、具材の大きさを揃えた事からも煮えむらが無く、より満遍なく火が通ったと考える訳よ」


「「「は、はあ……」」」


 む。ちょっと理屈っぽくなり過ぎたかしら?


「これが、錬金術と元素魔法を組み合わせた、いわば『錬金魔法調理』!」

「え~、だってただ蓋を鍋にくっつけて煮込んだだけじゃない!?」

 口をとんがらせたジャスミンの鋭い突っ込み。

「くっ、確かにそうだけど、本当だったらこんなにお手軽に出来るもんじゃないのよ! 錬金術だけだったら特殊な専用の装置を延々と組んで、ほんのちょっぴりの効果から推論を重ねて、とか、ちょーめんどいんだからね!」

「でも、何か凄いですね。シュルルさんは。その年でそんなに……あれ? 錬金術師は旦那さんだった筈じゃ?」

「嘘です! 変な男避けの嘘です!」

「あ、そうだったんですね。何か納得しました。あははは」

「ハル君はあげないからね!」

「くおの、直感娘が!」


 たちまち、ハルを抱かかえたジャスミンと、料理の出来る女アピール的なシュルルとのおかしな対立軸が。


「はいはい。話がそれたで御座るよ」


 パンパンと手を叩いて、シューシューと互いに威嚇する2尾を諫める三日月。


「で、その調理法ならこのアホ草を何とか出来ると言いたいで御座るか?」


「まあ、その可能性があるって話で、これからそれを試そうと思ってね」


「なあ~んだ」


「なあ~んだじゃない! あと、干物にしてみる、という手もあるのよね」


「干物?」


 荒野で干物というと、ジャスミンや三日月には余りピンと来ない。

 あっという間にハエがたかり、ウジだらけになってしまうのだ。即食べるに限る。

 街でも干物というと、干し肉、干し魚くらいだろうか。保存食としては、どちらかと言うと塩漬けの方が、樽に詰めて運ぶ点からも手軽で手間がかからず、取引量も圧倒的に多い。


「茸とかは、干しておいた方が戻した時の味が濃いから。このアホ草で試してみても良いと思うのよね~。ハーブによっては、煮込み料理の臭い消しに使うけれど食べない、ってのもあるし」


「へえ~……シュルルさんて、本当に料理人なんですね」


 あわわ。ハル君が料理できる女オーラ全開のシュルルに!

 取られてたまるか! そんなジャスミンの心配も気にせず、良い気になったシュルルはぽろっとこぼす。


「一応ね……酷い話よ。賢者の塔に魔法を習いに行ったのよ。迷宮探索でゲットした金貨を授業料に。1万枚よ! 金貨で」

「凄い……大成功じゃないですか!?」

「高れべえるの魔法を教えて欲しくば、正式に魔術師ギルドに加わぁ~れ。授業料は金貨1万枚じゃ。何? 獲物の解体が出来る? 簡単な料理も? そうかそうか。なら~ば、住み込みで学ばせてやるくわぁ~りに、調理場ぁ~で働け。下働き~もさせてやろ~うで2年間よ! 信じられる?」

「え? でも、徒弟に入るならそれくらいは……」


「シュルル、不憫な子。金をむしられるだけむしられて、ヒヒ爺の慰み者に」

「なってません!!」

「え~、またまた~。実は結構、ふけ好みとか?」

「アホか! こちとら、キスの一つでおたおただわ!」

「へ~……誰と?」

「うぇ? な、あんたらがこの間、目の前でぶちゅ~ってやっただけの事でしょ。あ~、面食らったわ~びっくりしたわ~」

「え~、キスくらいねぇ?」

「え? う、うんまあ。こ、ここでする話!?」


 途端にいちゃつき出すジャスミンとハルシオン。こいつら、どこまでいってんだ?

 妙にイラっとしながらも、シュルルはアホ草の端を持って、パンと弾かせ、表面にまとわりついたゴミやら粘液を軽く振り落とした。


 ヤバイ。何か変な気分になって来た。

 ま~た、あのゼニ野郎の事を思い出してしまった。頭に血が。

 口をへの字に曲げながら、手早くくるくるっと丸めると、ちょんと切って寸胴鍋の中に叩きこむ。

 下と、真ん中辺と、先っちょの方。とりま、三つの寸胴を準備し、その横に「下」「中」「上」とマーキングをほどこし、蓋を閉めて、蟹や海老の殻がもう一つの寸胴も加えて四つに蓋を、封を施し、オーブンに叩きこむ。


「も~寝る! い~加減寝る! お休みなさい! また明日!」


 そして風の様に去って行くシュルルを見送り、三者三様に目を細める。


(((……怪しい……)))


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