第43話 赤海蛇は眠らない
じじじと香ばしくも獣脂の紅い炎が揺れ、白い煙が幾条もたなびいていた。
「では、こちらが約束の……」
その薄暗い部屋には、複数の男の姿があった。
分厚い武骨なテーブルに、じゃらりと革袋を置いた男は、黒いローブを目深に被り、その影からしわだらけの細面を覗かせており、薄ら笑いを浮かべている。
ここでは肉屋ギルド、イキリ屋からの使い、ジェフと名乗っていた。
「おい……」
これに対峙する男は、部屋の奥側にある椅子にどっかりと座り、両腕を組んでこのイキリ屋の使いをじっと見据えていた。
シャツの下からもはっきりと分かる、盛り上がった胸筋に、これまた筋肉の塊といった野太い腕には、びっしりと刺青がほどこされており、それはよくよく見れば荒海を泳ぐ赤い海蛇。赤海蛇団の名前そのものであり、その団長であるブラッドリーその人と判る。
「はっ」
傍らに立つ男がいかにもその配下でございという素振りで、テーブルの横に移動し、恭しく一礼し、その革袋を持ち上げると、数歩下がり、そこに用意されていた小さな作業台にその袋を開けた。
ジャラジャラと音を発て、蝋燭の灯りに踊る金の波。
だが、ジェフとブラッドリーは互いに目線を合わせたまま、一瞥もくれる様子は無い。
二人の背後には、もう一人ずつ別の男が立っており、二人の代わりにか、その金貨がカウントされ、10枚の山が次々と作られていくのを、ただじっと見つめていた。
チャリチャリと、金貨同士の囁きがどれくらい続いた事だろうか。
やがて、男の手が止まり、たった一言告げた。
「間違いなく……」
「ふん。良いだろう」
「では?」
「イキリ屋さんに伝えて貰おう。赤海蛇は、ベイカー街のあの新しい肉屋には、今後一切干渉しないと。好きにやってくれ。何が起ころうと見なかった事にするし、それは周囲の連中にも徹底させる。で、いいな?」
「その様にお願い致します。私目の主人も、さぞや喜ぶ事でしょう」
「はん。だといいがな」
組んだ両腕を解き、ブラッドリーはふうっと少し表情を崩すも、その目は油断無く相手を見据えていた。
そして、それは相手も変わらぬ事。
「おい」
ふと首を僅かに傾げ、後ろの男に声をかける。
「は……」
動揺に、目深にローブを羽織る男は、足元の背嚢を開き、何やら塊を取り出して見せた。
ブラッドリーの背後の男は、ハッと身を動かしかけるが、それをブラッドリーの腕がすっと横に延びて制した。
それを確認してから、ジェフは背後の男に頷き、それをテーブルへと運ばせた。
「当イキリ屋では、仕事上のお付き合いのある方には、この様な贈り物をしておりましてな。どうぞ、御収め下さい」
ぴたっとジェフの掌が張り付いた、その赤黒い塊は、何やら布に覆われている様子。赤黒いのは、そこから滲み出た液か。
ぷ~んと鼻孔を突く生臭さは、この部屋に居る全員にとって、馴染みの深い匂い。
すなわち、血の臭い。
「何だそれは?」
「はい。当店自慢の『ステーキ肉』で御座います。これを、お好みの厚さに切って、焼くなりなんなりして、お召し上がり下さい」
ぺらり、めくり上げた布の下から、真っ赤な肉の塊が。数十キロはあるだろうか。一体、何人前の。いや、それ以前に、この肉はどの獣の、どの部位の肉なのだろうか?
「ほ、ほう……」
ブラッドリーとて海の男。海獣の肉ならば、この大きさ、さして珍しい物では無い。
ただ、今回初めて交渉を得た、格上の、悪獣会の最古参メンバーであるイキリ屋からの贈り物に、食べ物、ともなると相手からも、手下からも、その対応が、その度量が試されるのは明らかであった。
「肉は厚めに切って焼くと、旨味が閉じ込められておいしゅうございますよ。ひひひひ……なかなかにワイルドでしょう?」
「は、はは……イキリ屋さんのワイルドステーキと言ったところか。部下も喜ぶ」
「ぜひ、召し上がって下さいませ。では、私目はこれにて」
すうっと立ち上がるジェフに頷きながらも、ブラッドリーは心の中で逡巡していた。
これって、何の肉っ!!? と……
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