第41話 食べる!

 ぞりぞりっと赤味の差す甲羅を肉厚の包丁が軽やかに滑り、その下より半透明の艶やかな肉が明るみになるのを、六つの瞳が息を呑んで凝視する。その様を意識しつつ、ほっそりとした五本の指を駆使し、次々と皿の上に整然と並べて見せるシュルルは、ふっと面を上げ、静かにその皿を押し出した。


「先ずは1つ、おあがりよ」


 例の如く、銅貨を潰して制作された銅の大皿は、その赤味の地肌に蟹の脚肉をぷっくりとはりつかせ、天井よりふりそそぐ白色光を浴びて鮮やかに輝いていた。

 そこに堕ちたる三つのすじ。


 ごくり……


 誰とも知れぬ、息を呑む気配。


 まるで肉に生えた握りの如く、鋭利な蟹足の爪がそれぞれの指に捉われると、静かに引き上げられ、理路整然とした所作でそれぞれの口へと運ばれ行く。

 だらしなく垂れる事無く、わずかにクッと肉が緊張に収縮する様は、正に一つの生命が別の生命の血肉となり、受け継がれる事を悟ったかの反応。何から何までが自然の摂理、至極当然なる動きであった。


「ほあ……」

「は……」

「ふむう……」


 三者三様の言葉にならぬ感嘆の意が漏れ出し、肉を頬張りしその瞳は更に大きく、まあるく開かれた。

 先ずは舌先に広がる冷ややかなる淡白なまでの存在感が上あごにも張り付き、視床下部を貫いて脳髄をも撫で上げた。


 予想だにせぬ、この一撃に、瞬間、思考は奪われ、呆けたのだ。


 一噛み、二噛みとする度に、奥歯を押し返す肉の弾力と、そこから迸る甘みにほんのりとまとわう塩味が合わさり、内側よりねじくれる様な衝動が沸き起こり、一瞬でも早くそれらを引き込もうとするも、それに反して今少しこれらを味わいたいと相反する欲求が激しく鬩ぎ合い、呼吸をも喪失させる瞬間を創出する。

 大人の指、軽く二本程はある肉厚の、それでいて子供の二の腕程は優に長い、見事な迄の蟹肉が、もうそこには無かった。


「海は良いわよね。生き物がうじゃうじゃいて……」


 そう言いながら、皆へと目線を泳がせるもシュルルの手は整然と二の皿、三の皿を創生する。

 こんもりと、気付いたらそれらは目の前に盛られていたのだ。


「「「~っ!!?」」」


「少し沖へ泳いだらね、急に深くなってさ、そこには森が広がっていたのよ……」


 誰も聞いちゃいない。

 皆が大皿に盛られた蟹脚にむしゃぶりつくのを尻目に、シュルルは次の料理へと、流れる様に動いた。

 貫かれ、穴の空いてしまった甲羅に、蟹味噌と胸の肉をあえたものを詰めて、皿ごとオーブンへ放り込むと、次には立派な鋏を持つ海老をむんずと掴み、一瞬、びちっと跳ねるものの、ぴんと身体を張って動かなくなる。


「海の底から、真っすぐに上へ上へと、このアホ草がびっしりと、ねじれる様に生えててね……」


 そこを、頭をもいで尻尾の殻をはがし、黒い筋を抜いて節々に包丁を入れ、あっと言う間に肉厚の刺身にしてしまう。それを更に包丁の腹で、パンと叩いては皿に盛りつけていく。


「真っ暗な底や葉の間には、色んな魚やら、それこそ何十種類も暮らしててね。餌が良いのか、みんななかなか大ぶりで、何か楽しくなっちゃって……」


 えへへっと笑むシュルルは、海老の味噌を皿の端に手早く盛りつけ、四の皿を完成。

 すっと前へ押し出した。


「このアホ草も、何か調理出来ないかなって、長いから身体に巻いて持ち帰ったのだけれど、海から上がったらもう重いのなんの。赤海蛇団のみんなを驚かせたら不味いって、屋根伝いに帰ったんだけど、そうしたら三日月の絶叫が聞こえて来るじゃない?」


 そこでピクリと眉が動く三日月だったが、今は手と口が忙しい。とても忙しい。


 シュルルはシュルルで、気にも留める様子も見せず、空いた殻を傍らの寸胴鍋に放り込み、足元にたわんたわんと積み重なったアホ草に手を伸ばす。


「一体何事だろうと、そっと降りて行ったら、階段でばったりという訳よ。と~っても面白そうだから、何か言って来るかな~って待ってたら、二人を取り落としそうになるじゃない? あらっと思って、草を操って、草というよりほとんど水分だから、水を操った訳だけど」

「せ、性格が悪いで御座るよ!」

「あ、最後の一切れ、戴きね!」

「いやあ~、美味しいものは、無くなるの早いですね~」

「ね~」


 ぽっこりお腹をさすりながら、ハルシオンも満足そうに。隣のジャスミンと肩寄せ合い、もごもごする彼女と嬉し気に頷き合う。

 その陽気に当てられ、ううっと肩をひそめる三日月。

 そんな様子に小さく頷きながら、シュルルはそのアホ草の端を手にする。


「僕、海辺生れだけど、こんなに大きくて新鮮なのを食べたのは生れて初めてです! ご馳走様でした!」

「そう? お粗末さまでした」

「お粗末様~」

「ジャスミンが言うのは、何か違う気がするで御座るよ……」


「ふふ……」

「え? ハル君はお客様だから、家の者がご挨拶するのは当然じゃないかしら? じゃないかしら~?」

「い、家って、ジャスミンの口からそんな単語が出るなんて、まっこと驚きで御座る!」

「ふふふ……違いないわね」

「ひっど~い!」

「酷いのは、くっちゃ寝してたジャスミンの方で御座る。拙者、楽しみにしてたのに……」

「それは残念で、はらぺこ侍さん!

「あははは!」


「いや、本当に皆さんは仲が良いですね」

 そんな軽妙なやりとりに、始終にこにこのハルシオンは、何か忘れている様な……


「あらやだ」

 何事か思い出したらしく、慌てたシュルルが海藻を放り出し、くるり振り返るとオーブンを覗き込み、ちょっと気恥ずかしそうにそっと出した。

 それは、こんがり狐色に焼き上がった、見るからに美味しそうな蟹の甲羅のオーブン焼き。じゅわじゅわと泡立ち、蟹の味噌が少し焦げた感じの、何とも芳ばしい香りがいっぺんに広がり、息を吸うだけで蟹~っ!!という感覚が襲い掛かって来た。

「どうしましょう……もう、お腹いっぱい?」


「「「食べる!」」」


 三者とも即答だった。



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