第40話 階段遊戯

 少なからずショックで御座る!

 匂いに気付くまで、化物の気配が判らないとは!!


「ぐぬぬ~」


 一応、自分でも鍛えている方だと。

 短い間でも心から尊敬出来る素晴らしい「せんせい」から人間の武術を学び、肉体を鍛えると共に日々瞑想等を通じ、鋭敏な感覚を磨いて来たつもりだった。

 お陰で狩猟の腕もメキメキ上がり、出来る事も格段に広がった。十五人もの冒険者に店を襲撃された昼間も、戦いを誘導し、店に被害を出す事も無く撃退出来たのだ。武術を学ぶ前だったら、きっと袋叩きにされて生きてなかっただろう。


 自分は強い! 慢心? うぬぼれ? 今や両手を塞がれた状態で、未知の怪物と対峙している。

 左右に逃れる事も出来ず、相手の間合いも読めぬ。

 しかもこちらは階下で、位置的にも圧倒的不利!



 幻影の光に白亜の階段が浮かび上がっていた。

 両腕を広げれば左右の壁に触れられる程度の、二階へと続く階段。それはラミアである彼女らにとって、あまり意味のある物では無い。

 蛇体を、下半身を床や左右の壁にくねくねと押し付け、支えながら垂直の壁すらも移動する。無論、人の脚で上り下りする階段構造はとっかかりがあって、移動し易い訳でもあるが、必ずしも階段である必要性は無いのだが……



 助かる方法はある。

 そう! 自分だけなら!

 両腕に抱えた姉妹と人間をこの場に捨てて、囮にして逃げれば良いのだ。


 だが、目の前の怪物をヒッシと睨む三日月には、そんな考えは微塵も無い。

 全身疲労困憊ながらも、相手の動く気配に全神経を傾けていた。

 いかに正体不明の怪物と言えど、何かの動作を起こす時に、そこへ意識が動く。その起を捉え、初撃をかわし、間合いの外へと逃げる。


(先に動いたら、負ける!)


 間合い。反応速度。一切不明の相手に、僅かの変化も見逃すまいと、三日月は己の呼吸を浅く、浅く、緩やかに。


 さっきまで戦っていたハックは、言わば「動」の戦士。割れ鐘の様に、気配は激しく、故に合わせる事も容易。口はともかく、真っ直ぐで好ましいとも想えた。

 だが、目の前の怪物は「静」。ぶよぶよ蠢く正体不明の漆黒の身体は、まるで生き物のそれとかけ離れた不気味さがあった。潮の香から、海の怪物、スライムの一種かとも思える。原始的な、本能的な、感情等というものを伴わぬ、「食う!!」という不変の意識か!?



 如何程の時が過ぎたか。

 既に疲労していた三日月の腕に、ごまかしの利かない痺れが生じていた。

 くっと唇をかみしめるものの、指先の感覚も怪しくなる。


(何なんで御座る!? こやつ、一体……く……)


 己がそうであるのと同様に、相手もどう動くのか待っている?

 そんな心の動揺に、ほんの一瞬、意識がそれた。


 ずるっと、両脇からジャスミンとハルシオンの身体がずれ落ちる。慌てて、それらを取り落とすまいとした瞬間、化け物も動いた。


「はっ!」


 短く息を吐き、その身を翻すより速く、黒い触手が、まるで薄っぺらな影の様に走り、三日月の二人を抱える左右の腕ごとしゅるると巻き付いた。


(はわわっ!? き、気色悪っ!!)


 ぬらり冷たい感触が触れた肌全部を覆い包み、一瞬で三日月の体温を奪おうとするが如く、ぴっとりと、それでいて力強く、きゅっきゅと締めにかかるのだ。


「ひゃん!?」


 ぐいっと引っ張られ、思わず蛇体なのにたたらを踏む三日月だが、恐るべきはそのピンと張った二条の黒い帯の様な触手。人間の数倍はあろうラミアの、更に鍛え上げた三日月の腕力を、疲れているとは言え軽々と上回る力でぐいぐいと引き寄せにかかるではないか!?


「くっ」


 尻尾を階段に「己」字に曲げてふんばる三日月。

 だが、三日月の尻尾は、ハックの身体が石畳に叩きつけられるのを防ごうと、思いっきりずった為に、所々鱗もはげ、腫れ、赤く血が滲む程に傷づいていた。

 そして、そんな三日月をあざ笑う様に、この黒い怪物はゆっくりと階段を下りもし始めたのだ。


「む、無念……」


 見る間に迫る化け物の顔の無い身体。スライム系なら、このまま全身を取り込まれてしまうに違い無い。必死に逃れようと力を入れるだが、まるでこちらが赤子の様。

 その締め付けに、眠っていた二人も息苦しそうに身悶え出した。


「うぐ……うあ? な、何が?」

「うう……苦しいよお~」

「ジャスミン! 尻尾で、尻尾で応戦するで御座るよ!!」

「ええ~、あんでさ~!?」


 絶体絶命のピンチ!

 に、不機嫌そうなジャスミンは、ぷうと頬を膨らませ、三日月と怪物を交互に睨んだ。


「もう! ハル君が苦しんでるじゃないの!! 三日月も、シュルルも、ふざけないでよっ!!」


「……え?」


 ジャスミンのその言葉に、怪物の力はピタリと止まり、三日月はさび付いた人形の様にゆっくりと傍らのジャスミンから怪物へと顔を……


「じゃっじゃじゃ~ん!」


 途端に、ばたばたと怪物の身体が、まるで玉ねぎの皮でもめくれる様に剥がれ落ち、階段で弾んでは滑り落ち出し、その中からあろう事か満面の笑みを浮かべたシュルルが、両手を高々と掲げて現れた。


「シュルル~っ!!?」

「あ~っはっはっは!! びっくり大成功!!」

「こ、こ、殺すで御座るぅぅぅぅっ!!!」

「あいや、殿中で御座る! 殿中で御座る!」

「あ~っはっはっはっは!! 怒った!? 怒っちゃった!?」

「怒らいでかっ!!? も~~~~っ!!」


 背後からジャスミンに組みつかれ、今にも齧りつきそうな勢いの三日月だが、次にはがっくりと首をうな垂れた。もうへとへとである。


「うわあ~、これアホ草ですね」


 なんか体中ねちょねちょになってしまったハルは、身体にまとわりついた、その黒い帯状のそれを、さも潮臭いとばかりにつまみんで押しのけながら、何とか階段で起き上がろうと。そんなハルを、三日月をぽいと捨てたジャスミンが助け起こした。


「大丈夫? 何、そのアホ草って?」

「うん。嵐の翌日に、たま~に網にかかって、こりゃ大漁だと必死こいて引き上げてみれば、似ても焼いても食えないこのとんでも長い海藻が入ってて「うわあ~、あほくさ~」って」

「わ~、面白~い!」


「面白く無いで御座る。もう踏んだり蹴ったりで御座るよ! ハラペコで死んでしまうで御座るよおっ!!」


 きゃっきゃうふふとハルと楽しそうに笑うジャスミンと好対照。三日月はすっかりやさぐれてしまいました。


「あちゃ~。何かあったの?」

「あったのじゃ無いで御座る!」

「ふ~ん……」


 そんな三日月のふくれっ面を眺めながら、シュルルは尻尾の先にとある物を巻き付けて、そんな彼女の目の前にぬっと突き出してあげた。


「じゃあ、三日月ちゃんはおいといて、私達でコレ、食べちゃおうか?」


 それはギシギシキイキイと嘶く、銅の剣で貫かれた、それはそれは大ぶりの海老や蟹など十数匹が手足や尻尾を振り回す、実に生きの良さげな光景だった。


「食べる~っ!!」

「戴いて宜しいんですか、お姉さん?」


 二人とも息ピッタリに瞳を輝かせて即答です。


「海老食べた~い!!」

「蟹食べた~い!!」


 まるでダンスの様に手を組んで、くるりと回って見せる二人。

 そんな二人の反応に満足そうに、口元を緩めたシュルルはうろんな流し目。三日月の、更にとほほ~な顔を。


「もぉ~っ、シュルルは意地悪で御座る!! 意地悪で御座るよぉっ!! それがし、一所懸命に頑張ったで御座るのに、この仕打ちは無いで御座る!! 酷いで御座るっ!! 海老蟹、半分を要求するもので御座るよっ!!」


「え~、どうしよっかなあ~」


 棒読みのシュルル。


「「え~、どうしよっかなあ~」」


 棒読みのジャスミンとハル。


「え~、どうしよっかなあ~、じゃないで御座るよっ!! ストライキ起こすで御座るよ!! もう金輪際手伝わないで御座るよっ!!」


 そんな三日月に、三人(一人と二尾)は顔を見合わせて、やれやれと首を小さく振りました。


「「「も~、仕方ないなあ~、三日月ちゃんは~」」」


「ちゃんじゃないで御座るよ。三日月さんって呼ばないと赦してあげないんだからね!」


「「「やれやれ、御座るツンデレにゃ、勝てませんな」」」


「し、知らないで御座る」


 にやにやするみんなに、ぷいとそっぽ向く。そんな三日月に、か~っかっかっかっか、と高笑いが響く階段でありましたとさ。


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