第38話 海底からの使者?

 ざざ~ん。ざざ~ん。


 ざんざざんざと寄せては砕け、砕けては飛沫舞う港。

 月明かりに照らし出された岩肌は、ぬらぬらと青白く輝き、その石組みの上を潮の泡が撫でる様に幾度も流れ落ちた。


 その内、停泊中の木造船群からギシギシ、キイキイと木の唸り声が響く中へと、ガラガラと乾いた音を発て、ゆっくりと一台の荷馬車が倉庫街の闇間から抜け出して来た。

 小さなカンテラが揺れ、御者と荷台の上にある複数人の影を浮かび上がらせる。

 こんな夜更けに。

 真昼間から怪しげな積み荷が行き交うブラックサンの港だ。だのに人目をはばかる様なそれは、静かに海辺へと寄せ、ゆっくりと左へ巡らせ、荷台を海へと向け停止した。


「おい。この世の見納めだぜ」

「くくく……バカな奴……」

「俺達に逆らったらど~なるか、思い知れや!」

 ガッ!

 ゴッ!

 ドッ!


 荷台の上。見れば大人の腰程の高さはある樽を囲み、三つの人影がそんな事を。


 樽にはこれまた大人程の人影が、まるで抱き着く様に張り付いている。否、手足を縛られ樽に固定されている。


「ん~! ん~! ん~っ!!」


 殴打を受けつつも、辛うじて身じろぎする。

 口には猿轡。目には布で目隠し。今、僅かな抵抗をあざ笑う様に、頭を振ったその目隠しが乱暴に外された。


 何事か口からはくぐもった声が漏れるものの、潮風に吹き飛ばされ彼らの耳へ届かない。

 怯えの色を浮かべる、血走った二つのまなこが大きく見開かれ、周りを次々と見上げるが、ずりずりと重たげに樽ごと荷台の端へ運ばれて行く。その向こうには、広大な夜の海が広がる。


「へへへ、あばよ」

「お前の女房子供の心配は必要無ぇぜ」

「ちゃ~んと、俺達が然るべき所に売っ払ってやっからよ!」

「ひゃははははっ!」

「ふご~~~~っ!!」


 3人に続き、御者もこれが最後だと振り向きあざ笑う。そのぞろり覗いた味噌っ歯の笑いが、不意に凍り付いた。


「あ?」


 その気配に、樽を押す手も止まる。

 まさか見回りが? そう思い、左右に目線を走らせる。そして、真ん中の男は真っ直ぐに見上げ、御者と同様に息を呑んだ。


「ん?」


「おっ!?」


「ふご~~~~っ!!?」


 そこには闇をまとったかの塊があった。


 ぬらぬらと光沢を帯びたそれが、漆黒の体表を蠢かしながら、眼前をのっそりとせり上がって来るのだ。

 ざばざばと下たる水音。

 びちゃり。重い水音が響き、岸壁を打った。続き、荷馬車のへりにその黒いものがのしかかるや、荷車は重く悲鳴を上げ、ゆっくりと人々の乗る側が浮かび上がる感覚。


「くっ!」


「化け物!」


 一瞬、気を呑まれていた男達は硬直より逃れ、慌ててナイフを引き抜いた。

 すらりと白刃が光を帯び、幾つもの弧を描く。

 それでも、その黒い何かはまるで前足の如くに、男の縛られた樽にその身を乗せると、更にせり上がるではないか。


「ちいっ!!」


 一人が切りつけるや、残る二人もそれに続いた。

 だが、その切っ先は、ぬらり脈打つ化け物の肌を滑り、刺さらぬではないか。


 ぶしゅうううっ!!


「「「うああああっ!!?」」」


 唐突に、化け物が冷たい何かを吐いた。

 びっくりしたのは、それを顔や体に受けた男達だ。

 慌てて腕で顔を覆い、潮水のそれ以上に生臭いそれから身を守る様にのけぞる男達。

 樽に縛られた男は、目を瞑るしか出来ない。


「うひいいいいっ!!?」


 浮足立った御者が、転がる様に御者台から転がり落ち、そのまま這いつくばる様に逃げ出すや、残る三人も同様に荷台から転がり落ちてばたばたと逃げ出すではないか。

 俗に言うモラル崩壊という奴だ。

 残るは、樽に縛れた男のみ。


 ギシギシキイキイと何かのきしむ音が多重奏となって響き、それらは男の前で、その正体を露わにする。

 まるで棒状に連なった、蟹や海老といった甲殻類がぬらりその闇色の体躯より露わとなり、剣の如くその切っ先を突き付けて来たのだ。

 手足をもぞもぞと蠢かしギイギイ騒ぐ様は正に生きた剣。

 それが首筋に触れるや、余りのおぞましさに気が遠くなった。


 ぐいと確かめる様に首を押され、辛うじて堪えるや、スッとその生きた剣は引き戻され、ほっと息をつこうものなら、ひゅんと一閃。


「うぐっ!」


 硬直した身体は、痺れたかの様に震え、ぎゅっと目を瞑った顔は苦悶の表情を浮かべた。


 その四肢から力が抜け、くたりと体が横たわると、ハッとなって身を起こした。


 あ、あれ?


 この数日、散々痛めつけられた身体を、こわごわと動かす。

 動く。

 引き戻した腕は、濡れた革紐が真ん中で真っ二つに。脚の縛めも切られていた。


 強張り震える指先を何とか動かし、猿轡を外すと潮風を肺一杯に吸い込み、その身を起こした。


 荷台の上には、自分の他には石を詰めたであろう樽が。それ以外はいない。

 御者台も空で、馬は繋がれたまま、まるで何事も無かったかの様に大人しくしている。


「一体……?」


 はっとなった男は、慌てて御者台に移ると、慣れぬ手さばきで馬車を動かし始めた。



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