第36話 今宵は打ち止めにて候

 ガガガッと、およそ乾いた木の棒がぶつかり合ったとは思えぬ重い響き。

 この薄暗い路地へと幾重にも広がり、揺れるカンテラのほの暗い灯り二つ、辛うじて激しく踊る影を壁面へ映し出していた。


「おお……神よ……」

「やべえ! やべえよ、この二人!」

「マジ、ぱねえ! マジぱねえっすわ!!」

「三日月ちゃん……頑張れ……三日月ちゃん、頑張れ……」


「いやあ~、うちの分隊長も変態だが、三日月ちゃんも相当じゃね!?」

「しっ!」

「おいおい、連帯責任は勘弁だぜ」


「聞こえてっぞ!!」


「「「ひぃぃっ!?」」」


 手に汗握り試合の行方を見守る、赤海蛇団の4人と警備兵の3人は、街の寝静まった深夜にも拘わらず結構賑やかだ。



 因みに、4人編成の分隊が3つ集まり12人の小隊となり、小隊が3つ集まり中隊、中隊が最低3つ集まりようやく大隊となる。

 現在、このブラックサンには、13の大隊が存在し、王宮守護の近衛1~3番隊。格下になる4~13番隊。以上でローテーションを組み、昼夜都内外の警備を行い、大概3分の1の隊員が完全休養を採るのが通常である。各大隊は、見習い、予備役を含め大体200人から300人が在籍し、その上級士官たる隊長、副隊長、中隊長は騎士爵以上かその系譜の者がほとんどを占めている。

 分隊長のハックは当然、ブラックサンの市民権を持つ丘小人であり、いわゆる平民である。貴族の係累ならば、最低小隊長補佐という名誉職から見習いを始め、徐々に引き上げられていくのだが、それはまた別の話である。



 風車の如く、二人の棍は時に大きく、時に小さく、前後左右と自在に動き、激しい鬩ぎ合いを演じるのだが、次第に上背のある三日月の方が打ち下ろす形となり、じりじりとハックの防御を圧しつつあるのは誰の目にも明らかだった。


「余所見とは余裕で御座るな?」

「うっせえ! くっ」


 ガツガツと、余所見の性で更に間近で受けざる得ないハックを、あくまで真っ直ぐに見据え、三日月は容赦の無い打撃をこれでもかと加えて行く。

 技はほぼ五分。悔しいが体格が違い過ぎる。

 通常なら、小柄な丘小人と人間との体格差を技でカバーするのがハックのスタイルであり、その技にそれなりの自信があったのだが……


「もう我慢出来ねぇっ! 目ん玉かっぽじいて見やがれってんだ!!」


 パッと後ろに退き、バンと石畳を叩き割るや、すっかり頭に血が昇ったハックの小柄な身体がゴム玉の様に跳ね、見るも高々と跳躍して見せた。

 地面にすらり突き立った棍の直上。くわっと見開いたハックの視界に、三日月の姿は無かった。


「何ぃっ!?」


 勢い、大上段に棍を振り上げたハックは、その浮遊感に身を委ねながらも、打ち下ろす相手も無く、しばし硬直する事となる。


 普通の人間ならば、咄嗟に真上や真下からの攻撃を回避する事は難しい。

 ハックの大技は、小柄な体を生かした丘小人ならではのものであった。これは、地を這うスタイルのラミア達にも似た、幻惑戦法。


「それで?」

「なっ!?」


 振り向くと、そこに奴がいた。

 ほぼ同じ高さ、正に目と鼻の先くらいの高みに三日月の身体もあり、その端正な面差しでじっとハックを見据えているではないか。

 ぞぞぞっと身震いを覚えたハックは、慌てて地面を叩き、それを足場にするするっと棍の周りを螺旋を描いて滑り降りた。ぐっしょり嫌な汗をかいた。


「ぬはあっ!? 手前ぇっ、な、何してやがる!?」


 同じくするするっと棍を軸にして舞い降りた三日月が、涼し気に振り向いた。何しろ、巻き付くのは得意中の得意なのだ。


「え? だって、ハックが見てろって」


「ちっがぁ~っう!!」


 激高したハックは、再度地面を叩いた。

 たちまち棍の丈の分、高みに舞い上がるが、今度はそれだけじゃない。勢い良く身体をねじりながらも回転させ、その勢いで建物の壁面を蹴り上げ、更に高みへと、一跳躍、二跳躍、三跳躍と跳びながら、三日月の気配を追った。


 来る! きっと、来る!!


 両腕に抱え込む様に棍を構え、即座に身をよじって全力の殴打を。来たっ!!


「そこじゃぁ!!」


 産毛逆立つ嫌な気配に、振り向き様に全身ねじった一撃。

 ガッと撃ち合う棍と棍。

 息がかかる程の間合い、くわわっと互いに目を見開いて一瞬の交錯。ハックは三日月の唇が、愛嬌良くにぃっと歪むのと同時に、圧倒的な重みで突き飛ばされるのを全身で悟った。


「三日月の勝ち、で御座る」

「し、しまたぁ~っ!!」


 己の軽さは悲しさだった。

 これは最早、暴れ馬や暴れ牛に跳ねられる感覚に近い。

 一瞬で世界は高速回転しだし、きりもみし石畳に頭から叩きつけられる。そんな一寸先を脳裏に描き、それから走馬灯が走った。

 父よ、母よ、妹よ……嗚呼、風のうなりが激しくて、何を言ってるのかさっぱり判らん。


「ま、まざー……」


 制御を失った手足は、まるで壊れた機械人形の様、無様に空を泳ぎ、唇から漏れた最後の息は、少年のそれの如く。


「んんん? 今、何て言ったで御座るか?」

「っ!?」


 不意に暖かな何かに包まれた感のハックは、ぎょっとして閉じかけた瞳を開けると、風に髪をたなびかせる三日月の顔が、さっきより更に間近にあってこちらを覗き込んでいた。

 続いて、衝撃が二度三度とハックの小さな体を襲い、ずざざあっと何か重い物がこすれる音と衝撃。肉の焼ける様な香ばしい匂いと共に、二本の棍が石畳に舞い落ちて、カランカランと乾いた音を発てた。


 見上げれば路地の両側には三四階の高い建物。


 あの高さから落ちる自分を……だっこしただとぉっ!!?


 声にならないハックの叫び。

 まるで赤子の様、ハックは三日月の腕の中に抱きかかえられていたのだ。

 そんなハックをまじまじと見つめる三日月。


 うおっ!? 近い! 近過ぎる!


「えっと……今、何て言ったで御座るか?」

「ば、ばぶう……」


 うおおおおっ!! 恥ずかしくて言えるか!! 俺はそれより死を選ぶぜ!!


「え~? 違うで御座るよ? 確か、ま~なんとかで御座った。ま~……あ?」

「うう、うるせえっ!! それより、何で助けた!!?」

「え~? だって、答えを聞かないのに、死なれたら三日月、困っちゃうで御座るよ~。せっかく、こんなに汗かいたんで御座るから~」


 そう言われて、まるであやす様に揺さぶられるハック。確かに、目の前にある青いワンピースの柔らかい胸元は、汗でぴっちり……それを左半身全域に押し付けられて大変……

 これは……

 これは……

 これはあああああっ!!


「ハック分隊長~! 大丈夫すか~!?」


 パタパタと駆け寄って来る気配に、己の社会的権威やもろもろが崩壊する危険を察知。

 くわわっと目を見開いて、慌ててこの恥ずかし状況から脱出を図るのだが、いかせん全力を出し切った直後。妙に柔らかいやら、つるつるやら、力が思うように入らないのだ。


「な、何でそこ掴むんで御座るぅ~!?」

「ば、ばか! 降ろせ! 早くおろせ!」

「バカとは何で御座るかぁ~! バカとはぁ~! ばぶうとか訳の分からない事、言っちゃってぇ~! あ、暴れると汗で滑べ、滑るで御座るよお~!」


 後に、ハック中隊長のご乱行、お姫様抱っこ赤ちゃんプレイ事件、と大隊内で語り継がれる珍事の嘘偽りの無い顛末であった。

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