第35話 ほの暗い海の底で
風よ! 風よ!
青白い月と人の建築物が描く鋭角な白と黒の陰影の中、シュルルは逃げる様に滑り行く。その進みは、やがて人の走りの域を超え、ラミアならではの速度となる。
ねっとりと纏いつく潮風は、シュルルの髪をたなびかせ、一筋の金と化した。
熱い! 熱い! なんて、熱さなの!? 尻尾の先からメラメラ立ち昇る熱気が、全身を駆け巡って頭髪の端から吹き出しそう! ふざけやがって! ふざけやがって! こっちが手を出せないのを良い事に、あのクソ怪人ゼニ男めっ! 絶対許さない! 殺す殺す殺すぅ~!!
歯噛みするシュルルは、頭を掻きむしりたいものの、両手は8つの銅のカップが。くわっと、まるで親の仇を……いやいや、姉妹の仇を見る様な目でそれらを睨むと、一瞬で融解させた。元素操作魔法。錬金術にて、銅の元素を把握したからこそ出来る事象。普通の初歩的な元素魔法では、基本アライメントである火風水土を操作出来る程度だが、シュルルのそれは、ひと夜でコンクリート並みの三階建ての建物を築いてしまったり、荒野に休息所を作る為に岩壁をぐるり築いたり、そこで馬を休ませられる様に地中深くの水源から水を湧き立たせたりと、既にその域には無いのだが、長い荒野暮らしでそれらを比肩しうるモノも無い。ましてや、荒野での狩猟生活で、その様な技をあえて使う事もそうそう無かった。
とにかく風を浴びたい!
シュルルの手で、銅の塊は剣の様に化していた。まるでその殺意を形にしたかの様な。手からにょっきり生えたそれに月明かりが映え、シュルルの瞳を撃った。
途端、ぶわっと目の前が開ける。
そこは港。帆船の描く黒い影が星空に浮かび、ゆらゆらと波間に揺れていた。
足りない! まだ足りない!
とぐろを巻いて立ち止まると、それまで感じていた疾走感が消え、体内に渦巻く熱気が再び全身から立ち昇る様に感じられた。
ガっと左の二の腕にある、あの忌まわしい大銅貨を掴んだ。あの男に打ち込まれた、忌まわしい大銅貨をだ。
そのまま、腕から生えた銅の剣に吸い出さんと念を込めるのだが……
「くっ……やはりあの男を殺さないと、この呪詛は解けないの?」
震える指先で、その滑らかな金属の表面を撫で、溜息を放つ。
身体に張り付いた大銅貨は、シュルルの念を弾き、変わらず糸の様なか細い流れを感じさせる。獣の首輪に付けられた鎖の様。あの男は判って泳がせている、今宵その疑念が確信となった。
猛獣が獲物をもて遊ぶが如く、ふざけたちょっかいを掛けられている。そんな警戒心が鎌首を持ち上げて来た。既に肉屋ギルドの手先となった冒険者ギルドとの交戦状態に陥っている。恐らくは、奴らが噂の悪獣会。それに対応する為の増援を頼んだばかりの時に、街の警備隊という新たな武装勢力が……だが、今夜のところは見ているだけの様子……
うああっ!!? 脳が沸騰しそう!!
頭を抱えたシュルルは、そのまま港の岸壁に進み出ると、ぽちゃり。海の中へ飛び込んでいた。
ぼこぼこと泡立つ浮遊感と圧迫感に、急速に頭と身が冷えて行くのが判った。
体内を流れる血流が、穏やかになっていく。
瞳を開けば月明かりのカーテンが、ゆらゆらと舞い降り、シュルルの影をゴミだらけの海底にうねらせていた。
口元に、大気を。
丸いふよふよとした空気の泡が、顔の下半分を覆い、呼吸を助けた。
ふうっと目を細めて一息をつく。
風のエレメンタルを水中で感じる事の出来るのは、この船着き場の岩壁に波が叩きつけられ、大気をふんだんに溶け込ませているから。シュルルはそれを口元に集めたのだ。
深い……
ここは、砂浜から繋がる海底と比べて、不思議と深い。
おそらくは、人の手で砂を掘って船が接舷出来る様にしているのだろう。ブラックサンは河口に発展した港だ。当然、川が運ぶ土砂と潮が沖へと堆積物を運ぶ働きとがある。砂浜の海底が自然の姿そのままだった事からも、この辺は荷を満載した船舶が直接接舷出来る様に、少なくとも桟橋や浮桟橋の先まで、水路を確保しているのだろう。
つまりはそういう事だ。
下手によそ者が船を着けようとしても乗り上げてしまう様に、海底に障害物を沈めているかも知れない。
真新しい光景を前に、ふとシュルルはそんな思索にふけた。
停泊中の帆船の船底は、海藻や貝、藤壺等がびっしりと覆い、こうして眺めると結構グロテスクだ。その上、そこに張り付く様に、スケルトンが……スケルトン!?
多分、縛り首や何やらで海に捨てられた死体が、そのまま船に張り付いたのだろう。ボロボロ衣装の白骨が、切れ味の悪そうなサーベルや手斧を手に、ゆらゆらと揺らめいている。
近付かなければ、どうという事は無さそうね。
奴らは船から離れる気は無いらしい。多分、もっと大勢集まれば、ある夜一斉に……とかありそうな話だけれど、多分船に乗ってる連中も先刻承知で、存外でっかいフナムシ程度に考えているのかもね。
さて、船着き場の岩壁に目をやれば、急斜面の砂の崖が海底まで続き、海藻の草原に小魚たちが異様に集まっていた。
何やら白い物がゆらゆらと揺れ、それをついばんでいる様子。
少し近付いた。そして、よくよく見れば……
「これは……」
思わず眉をひそめる。
人の死体である。まだ、肉が付いているからか~……でも、ある程度発酵が進んだら、膨らんで浮いて来る物じゃ?
そんな事を考えて、少し近付いたら、サッと小魚たちが逃げた。
あら、ごめんなさいね。お食事中に邪魔しちゃって……あ~……あれだ、これ……
樽に鎖でがんじがらめに繋がれた、半分白骨化した男が、ぼろをまとった子豚みたいにパンパンに膨れ上がった子供の死体を背後から抱えている。
リンチで石の詰まった樽を抱かされた男が怨念でゾンビ化して、貝採りに潜った子供が不用意に近付いたのを捕まえて溺死させたって構図かな? 気色悪い。
見渡せば、この手の樽が視界の隅から隅へと、点々と転がってるのが判る。
人の業の深さを感じさせる光景ね。
ああ、この子もゾンビになってる……
近付いた私に向かい、辛うじて残っていた白濁した眼球で、こちらを見た。
死んだふりをする知能も残って無いみたい。
日中、見れば判るだろうに。この街には、そんな物を引き上げてどうこうしようという酔狂な人間は居ない訳だ。教会とやらも相当腐ってそうね。下手すると、悪獣会のメンバーかも?
そんな事を考えながら、銅の剣と化した右手を振るうと、只のすえ物切り。簡単にバラバラに出来た。
「やれやれ……こういうのを、退治なさいよ、くそ冒険者どもが!」
腐汁漂う中、砕けた樽の中からゴロゴロ石が転がり出、海老や蟹と言った生き物が逃げて行く。さぞ、良い栄養源だった事でしょう。
それから少しの間、天を仰ぐ様に沖へと泳いだ。
船着き場に近いと、ゾンビやスケルトンが海底をさ迷ってるので、どうにものんびり考え事が出来ないからだ。
「何万人も集まって生きている割に、人間の街って救いが無いな~……」
くねくね尻尾を縦横に振り、海中を自在に進む。これは結構楽しい。楽しいんだけど、気分が晴れる訳も無い。
自然と、海底に横たわっていた。
髪がふわり広がり、赤いワンピースがふわふわと浮いて、その中を小魚が潜り込んで来たりと、少しくすぐったい。そして、大きな脂肪の塊が、二つぷかりと浮き上がろうと、上体を持ち上げにかかった。代わりに、筋肉の塊である尻尾が重しとなって下へ下がろうとする。このバランスを取って、海底の草原に横たわるの。ちょっと腹筋に良いかも?
水面の向こう、波に揺られて輝く星々に両手をかざし、掴めないものかとふと思った。
無理無理。
そこで、ふと思った。
あの手の化け物が、街中で悪さしてないのは、もしかしたらあのゼニ男みたいなのが、退治している? だろうね? そうするよね? じゃあ、何で私は退治されなかったの? あいつ、良いゼニの香りがするってアホな事言ってたけれど、私が街にとって益になるって、個人的に判断したから放置されてる? でも、一応紐づけして?
て、事は? あいつ、私ら種族の事を何か知ってるって事?
本か専門家か何かから、情報を得てと思っていたけれど、専門家って言うと後は……
「くそ冒険者ギルドかよ!!」
思いっきり叫んで、ぼこんと泡が立ち上った。
そうだよね。化け物退治の専門家って言えば、冒険者よね? 私ら種族に関する情報を蓄積している可能性が高い場所の一つに数えられる……後は?
当然、警備隊、つまりはこの街の支配者階層にも情報がある筈。
後は賢者の塔? 私が所属する幻影魔術師の塔では、まだまだ新入りの私に閲覧出来る物は限られている。だから、知識を求めて人間の街へ来た訳で、当然他の系列の塔は望み薄よね?
冒険者ギルドは攻撃して来ている訳だから、反撃しても良いよね?って思うけれど、これで街中で死人を出そうものなら、警備隊が出張って来て、ラミアである私達を退治してしまうかも知れない。そう思うと、こちらは被害者って立場を堅持しておいて、ゼニ男から情報を引き出す方が、リスクは低くない? あいつがこっちの侵入をスルーしてくれているなら、この際、利用させて貰った方がお得よね?
ついさっきまで、ころ~す!息巻いてた相手に、交渉を持ち掛ける算段を考えてしまう自分に苦笑しつつ、結構メリットが大きい様な気がしてきて、ふと左手の人差し指で唇に触れた。色仕掛け? ないないない。こっちが化け物だって判ってる相手に、それはないわ~。でも、交渉を持ち掛けている間は、そういう事が出来る相手って認識で、武力衝突は無い筈。
冒険者ギルドを表立って攻撃したら、ヤバイ訳だから、依頼者であろう肉屋ギルドのイキリ屋の頭を潰せば、どうなる? 前金貰っての裏仕事だったら、継続する? 怪我人続出でコストがヤバイってなれば、依頼者の死亡で手を引く可能性も……
「ま、後は増援を迎え入れて、反撃はそれからかな? って、何尾来るんだろう? 今手元にある材料で、作れるのは……2尾分?」
う~ん……材料がちょっと心もとない。
色々な支払を済ませ、持ち込んだ金貨は残り少ない。それをちびちび潰して、追加の幻影魔法の腕輪の素地を作ったのだ。ガラスは砂浜で集められたから、問題無いけれど金か……
「金、無いよね?」
砂浜にいっぱいある、溶かせばガラスになる砂つぶみたいには感じられない。
「あ~あ……あの星みたいに、キラキラ降って来ないかな~?」
そう呟いて、掌を天へ掲げてみた。もしかしたら、その辺に金貨が沈んでいるかも知れない。シュルルは、全体にまんべんなく金が集まる様に魔法をかけてみた。
「ま、こんなので、金が精錬出来るなら、錬金術師なんてみんな廃業よね~」
笑いながら自分を否定。でも、可能性はゼロじゃない。砂金採りなんかは、ほんの芥子粒程度の小粒を集めている訳だから、それくらい来るかも知れないし。
のんびりゆったり、寝そべりながらかけた元素魔法。そんなシュルルの眼前に、最初は星の光の瞬きかな?って思っていたら、何やら小粒程度の金色に輝く物が浮かんでいて、そこへまるで金色の何かが集まる様に流れ込み出し、みるみるその大きさは麦の粒から、豆粒となり、続けていたら最終的には……
「へ?」
シュルルは両手でずっしりとした塊を受け止めていた。
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