第34話 そりゃないぜ、ゼニマールの旦那ぁ~!

 その光景に、頭抱えて滑稽な迄に絶叫したのはグリースだった。

 顔面を両手で覆い、指の間から目を血走らせ。


「そりゃないぜ、ゼニマールの旦那ぁ~!」


 芝居がかった仕草で、膝からがっくりとくずおれて見せる。まるで自分が悲劇の主人公であるかの様に。否。彼は常に自分という劇場の主人公なのだ。


「そうかい?」


 すっと離れ、涼し気にそう受け応える男。

 余りの余裕っぷりに、シュルルは自分の動揺ぶりが、この人間社会において、おかしな反応なのかと更なるショックを受けました。

 それと、ゼニキチ、ゼニゲバ、ゼニクレイジー、ゼニマール、どれが本当の呼び名なのだろうと、頭の片隅で。なんか、大半は悪口みたいに聞こえるけれど。


 これが強者の余裕なのかしら?

 唇など顔や頭などをすり合わせる行為は、荒野の野生動物においても普通に親愛の情を交わす仕草であり、交渉術においても男女の間で交わされる駆け引きに使われたりもする。

 それ以前にこいつは敵なのだけれど、表面上は無害な市民を装っているから、それを踏まえた上での挑発行為なのかしら?


 それに、相手の離れ際に、こちらからもお返しに唇を合わせてしまった。

 あれは咄嗟の反応。

 相手の示したそれと同等の事を返し、互いの絆を確認するという、野生の慣習の様なもの。そうに違いないわ。

 ふわっと反射的に出てしまったのだもの。

 ソウヨ、ソウニチガイナイワ。


 咄嗟に、混乱した自分をそう結論付けたシュルルは、その上でどう対処してやろうかと、相手の顔を改めて眺めた。

 暗がりにカンテラの灯りで浮かび上がるその面差しは、先日、夜間に戦った時のままで、不敵に余裕の微笑みを浮かべ、グリース相手に会話遊びを楽しんでいる様子。

 ただ、今夜は街の門で遭遇した時と同じ、警備兵の革鎧姿だ。他に3人居る兵士との違いは、肩にまとうマント位のもの。金属の留め具で、両肩から赤い生地なのは昼間に見かけたから知っているけれど、今は赤黒く映る。

 金の巻き毛に、青い瞳がまた少し違った色味を帯びて、揺れるカンテラに合わせてゆらゆらとその様子が違って見えるのも、面白く思えた。

 最初の遭遇戦では、薄気味悪く思えたその容貌も、こうして眺めれば年相応の男性らしく、肩幅も広く、胸板も厚く、上半身だけで組み合ったならば、力負けしそうにも思える厚みを感じた。

 まぁ、下半身で絡みつけば、人間なんて大した事ないんだけれど……

 そう思い直し、シュルルはふうっと鼻息を。どうにも背中かから首筋にかけて、かあっと体温が上がっていく。どうやら身体が勝手に戦闘態勢を取り始めている様で、心臓も力強く鳴動を始めている。

 だが、理性と交渉術の経験が、この場では不味いと、感情の起伏を押さえつけにかかっていた。こんな所で、正体を露わにしたら、計画が全て台無しよと。



「だって、人妻っすよぉ~っ!? 街の治安を守る隊長さんが、そりゃ~不味いんじゃありやせんかねぇ~っ!?」

 まだやってる。いいぞ、もっと言ってやれ。そういえば、人妻という設定だった。


 身をよじる様に下から、斜めに見上げるグリースに、例の隊長さんは口元を楽しそうに開き。

「そういう君の本音は?」

「俺もいっときゃ良かったぁ~っ!!」

 うわあ。台無し! 台無しだよ、グリース君!


 グリースは馬鹿正直な男である事は、良く判った。判ったけれど、みんな止めなよ~。

 そしてドッと大笑い。

 みんな、そっちを期待していたみたいで、グリースもある種のノリで、こういじり返されるのを待っていたのかも。

「という訳で、俺も感謝の気持ちを~……」

 と、途端にたこちゅー顔に……

「ん~……」

 ぐっと胸元で両手を合わせ、まるで祈るようなポーズを取りながら、全身をよじらせこちらへと身をねじり上げて来るグリース。

 本当に、この男はあきれる位に身をよじらせるのが好きみたい。


 呆れるシュルルは、脳内で二つの選択肢が立ち上がるのを意識した。

 1つは、チュッと返して、ゼニなんちゃら君とのキスもその程度と流してしまう事。そうすると、他のみんなとも……って、それは無しね!

 あと1つには、上手く拒否して流してしまう事。この場合は、人妻設定が生きて来るし、グリースも無作法を冗談で流してくれるでしょう。


 私は無言で迫り来るグリースに、でこぴんした。

「はうっ!? な、何で俺には……」

 大層、痛そうに仰け反ったグリースは、震える足で何とか踏み止まり、奇妙な身振り手振りで上体を起こすと、哀しそうな瞳で見つめて来る。その身をぐるりとよじらせながら。

「俺のハートは、これ位じゃめげふっ!?」

 何か別の生き物じみた怪しい動きだったので、もう一発。

「……さ、最初から……お、おげふっ!?」

 3発目で、額から血がぴゅっと。

「ま、負けねぇ……俺ぁ……ぶはっ!?」

 もうちょっと、脳を揺らした方が良かったかしらと、もう一発。

「へ……へへへ……」

 まだ立つかと、一発。


「うわあああっ! その辺で! その辺にしといて下さいよおっ!」

「あ、兄貴! しっかり! 俺が判りますかっ!?」

「い、医者は!? 誰か医者は居ませんかぁっ!?」

 笑って見ていた手下三人の顔が、段々と青ざめて行き、流石にここで割って入って来た。

 遅い。いや、止めが。げふんげふん。

「へ……へへ……真っ白に燃え尽きたぜ……」

「「「兄貴ぃ~っ!!」」」

 カクンカクンと白目で首を揺らすグリースに、手下三人がそっと石畳へと寝かせて介抱を。

「そ、それじゃあ隊長さん。後の事はお願いしても……」

 苦笑いのシュルルは、そっとそいつに。

「ああ、何かあったらまた後で」

「何かって……嫌ですよ。私、少し頭を冷やして来ますね」

「どうぞどうぞ」

 まるで何事も無かったかの隊長さんの様子に、シュルルは手早くカップを集めると、そそくさとその場を立ち去るのであった。


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