第32話 どうしてこうなった?
この数日、自分でも結構上手くいってると思ってました。
周りのパン焼き屋さん達と、地回りのヤクザ『赤海蛇団』の仲がうまくいって無いのは感じていたけれど、今のままじゃどうしようも無い様子。
先ずはコミュニケーション。そう想っての差し入れです。
カチャカチャと金属のカップがこすれる音も小気味良く、さっき屋根の上から眺めていた、赤海蛇団の連中がたむろってる四辻に。
いたいた。何をくっちゃべってるのかな?と、風に乗って来る言葉の断片に、ちょっとした違和感を覚えました。
「……ですよ」
え? グリースが丁寧な言葉を使ってる。
もしかして、上の人が来ているのかな?
そんな事を思いながら、近付いて行って、挨拶をして……
「皆さ~ん! こんばん、みっ!?」
ひょいと顔を出したら、目が合った。
建物の影になる形で、あいつがいた。
グリースが話していたのは、あいつだった!
「おや? シュルルさん。こんばんは」
ぐ……しっかり、名前まで覚えてる……
暗がりに、カンテラの灯りで浮かび上がったあいつの笑顔。死霊の愛想笑い級の恐怖で、ぞわわっと全身総毛立ち。
「お? シュルルさん、こんばんはー!」
「こんばんはです!」
「おっす、おばんです!」
「ちいっす!」
可愛い赤海蛇団の面々も、グリースに続いて挨拶を返してくれた。けど、何で!? 何で、こいつがここに居るの!?
ぎょっとすると同時にそんな疑念が浮かび上がったが、そんな事は顔にも出さず、笑顔笑顔でテンション高め。
「お? 差し入れですか? 奥さん~、こりゃすいませんね!」
「そう! そうなのよ~! 皆さん、ご苦労様ですぅ~!」
「「「ありがとうございま~す!」」」
うん。赤海蛇団の皆さん、素直で大変宜しい。
いそいそと受け取ってくれました。
「ふむ。どうやら、丁度我々の分もありそうですね。戴いても宜しいですか?」
「あら、どうぞどうぞ! 皆さん、お疲れ様ですぅ~! おほほほ……」
そう言って、差し出したカップを、こいつとその配下らしい兵士が3人へ。みんなごっつい手をして……そう思ったら、最後にそっと手を伸ばしたのは、どっかで見た顔でした。
「あら? 貴方、デカハナの所の?」
「あっ、はい! 先日、転属になりまして! って、どこかでお会いしましたか?」
きょとんとする若い兵士。その面差しに、暗さが見られず、どこかホッとする。
兵士の革鎧もどこかお仕着せの雰囲気で、まだ体にしっくり馴染んでない感じがとても初々しい。多分、この場で一番若いんじゃないからしら?
「あらあら、若いのに偉いのね」
「そ、そんな事は……」
口籠る若い兵士の、少し傾いた兜を直してあげ、うんこれで良い、そう想っていたら、傍らであいつにクスクスと笑われた。こいつ~!
「ほら、言った通りだろう? ここに居れば、ちょっと良い事があるって」
「え? あ、その……はい……」
そう言って、その若い兵士は恥ずかしそうに俯き、湯気がほのかに立ち上るカップへと口をつけた。
「わ~、美味しい……」
ふわり浮かび上がる笑み。
そんな初々しい若者の表情を、カンテラの灯りによる陰影から読み取り、微笑ましくも感じているシュルルであったが、その残り半分の思考を、この仇敵とも言える男の言葉に奪われてしまっていた。
何? その、ちょっと良い事があるって???
そう言えば、最初に遭遇した時も、ふらっと現れて何やら良い匂いがどうのと言ってたわね? こいつ、預言者か何かなの?
不味いなあ~。
直ぐにでも立ち去りたい所だけど、カップを渡したまま立ち去るのも不自然過ぎるし、長居するのも藪蛇になりそうだ。困った困った。
そんなシュルルの様子を見取ってか、そいつはにこやかに告げて来た。
「いえね。この辺で、どうもボヤがあったらしくて、煙を見たって報告が城壁から上がったんですよ。
それで出張って来た訳ですが……シュルルさん、お心当たりはありませんか?」
「いいえ!」
即答するものの、妙に声が裏返る。
や・ば・い!
「私、ずっとスープの仕込みをしてましたの。気が付きませんでしたわ」
こういう時こそ、会話に変な違和感を出してはいけない。交渉術のいろはである。
シュルルは、即座に矯正して、大人びた余裕のある女性の雰囲気を醸し出してみせた。
「そうそう! 俺っちも、この辺の事をご説明差し上げていた訳で……なあ?」
そこへ揉み手でグリースが声を挟む。
「まぁ、別の火種がね……」
「奥さんトコが」
「いやあ、俺らはただびっくりするだけでさあ」
「おいっ! お前ら! その辺にしとけや!」
「「「へえ~……」」」
相変わらずの赤海蛇団だ。余計な事を言ってくれる。困った子達だ。
「聞いてるよ。昼間、妹さんが、冒険者とやり合ったんだってね? 妹さんに怪我は無かったのかな? シュルルさんは、大丈夫でしたか?」
ほら、早速に。
「え。ええ……留守中の事なので、私は何も……」
「怪我が無かったのは良かった。何かあっても、大体はもみ消されてしまうからね」
「隊長さんが、それを言うんですか?」
呆れた口調で言ってやると、これが逆に嬉しそうに笑うのだから、腹が立つ。
「ははは……それを言われると痛い。でも、本当の事だからね。ましてや、色々と噂の絶えないイキリ屋に、真っ向から挑むんだから、大したものだよ」
「バカな真似を、とお思いで?」
「いや。褒めているつもりさ。君は良い風を運んで来る。そう言った筈だ」
むむ……街の門での事かしら?
ふと我に帰ると、こいつ。空のカップを手に、随分と近くに。
スッと差し出されるままに、それを受け取ろうと差し伸べた手を、くっと手繰られ……
「美味しいスープのお礼をしなくちゃね」
くっ
不覚……
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